カラスとのバトル中、上空高いところで行われていました。画像は小さいのですが、カラスとの比較でハイタカのようです。勝負は尽きません。
正月も5日を過ぎるとお正月気分は抜け、普段の生活に戻りつつある。初夢、書き初め等、新たな年の仕事が始まる。江戸時代には元旦に武家は初登城をしていた。2日には武家諸事始めで、乗馬始め、謡始め、民間では民間諸事始め。書き初め、掃き始め、商始めであった。5日には、手斧(ちょうな)始め、7日は七日正月といい、七草がゆを食する。10日には十日戎、15日は小正月(女正月)で小豆がゆが食されていた。
こうしてみると正月は物事の始まりとして労働に従事し、儀礼や祭礼が行われていた。食する物は餅であるが、胃の調子を考えてか、餅から粥(かゆ)へと移行する。その間は女性もあまり炊事場に入らず、手をぬらさない簡単な食事であったようである。15日の小正月で新年のご挨拶や来客が済むのであろうか、女性の正月が用意されていた。おせち料理が作られたのは、3が日は全く炊事をしないための物と考えられる。
仕事始めが4日となった現在では、当時から比べると2日間はゆっくり出来、見方によれば、十分と思われるが、4日には、内部関係部署の挨拶から始まり、組織の長からは年頭の挨拶があった。挨拶が終わると外部の関係部署や企業等への年始回りが行われた。サラリーマンも挨拶から始まると行っても良い。同時に相手先も同様な年始回りに出かけ、途中で出会って、路上での挨拶もあり得た。相手方に訪問し不在の時は名詞を机上に置いて失礼することが行われる。
20日には鏡開きがあったが、現在は11日となった。鏡餅は、重ねた部分にカビが生える。現在は冷蔵庫があるので、切った伸し餅や丸餅は長い期間食することが出来る。カビを取り除いた後の餅は水の中に入れ、しばらく浸けた後に火であぶると食すことが出来、砂糖を加えたきなこを付けて食したことがある。小豆がゆも砂糖をかけて食したことがあるが、今考えると砂糖が貴重だったからかも知れない。
事始めはそれぞれの組織で異なると思うが、世の中が一斉に動き出すのも正月明けである。決まった行事は生活のリズムを作り、年末年始休暇からの再稼働であるため、ペースが出来るまでは慣らし運転が必要であろう。急な切り換えはリズムが乱れるし、ペースも保てない。しばらくは助走でよいと思うが、完璧性が求められれば、それも致し方ないことで、特に精神的な気構えや気力はある程度時間が必要であり、安全に注意し病気やけが等事故のない一年にしたいものである。