鳥!連続写真!掲載中!

近くの多摩川に飛来する野鳥の連続写真を中心に、日頃感じた出来事を気ままな随想でご紹介し、読者双方との情報を共有したい。

恩師の逝去

2016年01月21日 00時00分01秒 | 緑陰随想

 年賀状の返事の中に、昨年12月中旬に逝去された恩師の奥様からの喪中の挨拶状が含まれていた。大学校に併設されていた研究所にトータルで11年間勤務していたこともあり、学生時代には直接授業は受けていいないが、教授室が同じ棟にあったため、顔を合わす機会も多かった。先生の研究助手をしていた後輩が、すれ違いであったが、最後の職場に勤務していたこともあって、話題には尽きなかった。沼津にご自宅があり、新幹線で通勤をされていたが、大学の再編があり、大学が小平市の方へ移ったため、それを機に交流が途絶えていた。

 

 気にはなっていたが、基礎学科の担当であったため、自分の退職前の仕事が直接関係していなかったことが理由の一つである。退職後も年賀状のやり取りだけは続いていた。退職して3月には9年になるが、逝去された別の教授の葬儀で何度かお会いしたことがあった。どこかで気が合っていたのか、顔を合わすといつものように元気な声で、皮肉を含め、禅問答のような哲学的なことを気楽に話していただいたことを思い出す。

 

 残念な結果となってしまった。持病があったのかもしれないが、詳しい死因は承知していない。73歳での逝去は、早いといえばそうなのであるが、薬石功なく帰らぬ人になったのはとても寂しい気がする。奥様の心中を察し、陰ながらご冥福を祈りたい。それにしても、通夜や告別式の通知がなかったのは突然のことであり、通知が間に合わなかったことも考えられる。

 

 奥様とは面識もなく、さぞかし辛い状況におかれていたことと察している。ご主人の関係者については存知上げることもなかったのかもしれない。最近は家族葬を選択される方が増えているため、意識的に通知を行わないことが増えているようである。詮索する立場ではないが、まさかのことがよく起こる昨今である。自らが、退職後は意識的に交流範囲を狭めてきたのも事実であり、人と人の交流の程度(深さ)までは普段話題には出ないが、亡くなってしまうと、胸に空洞が空いたようで、なんとも心もとない。

 

 いずれは友人から詳しいこと等を聞くことになるであろうが、悔やんだところで何もすることができない。自分を責めたところで埒があくわけではない。人の死はなんと冷酷なのであろうか、生きるものの定めといえども過酷な仕打ちのように映る。務めて、脳裏に焼き付いた、生前の友人を忘れないようにしたいものである。