シメがおめでたいかどうかは分かりませんが、初物です。
門松、しめ縄、輪飾り等を各家庭でそれぞれの場所に飾り付けを行い、歳神様をお迎えする。元旦から三日間を三が日といい、国旗を門に飾ったものであるが、今や国旗を見ることも少なくなった。巡回バスは旗日には国旗を付けて走っているが、総てのバスではない。自宅にあった国旗も飾ることが無くなった。
町内会では餅つき・どんと焼きなどを行っているようである。自宅近辺は高齢者が多く、子供の数も少ない。世代が変わったせいもあり、静かでよいのであるが、何となく淋しい気もする。一方で、南部線沿線の武蔵小杉は、高層マンションが建ち並び、若い世代が入居しているため、地元の小学校や中学校は教室が足りない状況を生んでいる。武蔵小杉駅は南部線、東横線、横須賀線が交差していて、都心へも便利な場所である。世代は分散する方がよいのであるが、そう思うようにはいかないのが世の中である。
しめ縄や輪飾りは結界と呼ばれ、神様がいる常世(とこよ)と人間が活動する現世(うつしよ)とを分ける意味があり、正月は、神が各家庭にはいるため、その目印である門松やしめ縄が張られる。輪飾りはしめ縄や注連飾りを簡略化した物で、各部屋に飾っていたが、最近は玄関だけになった。正月の間は、神と家族が一緒に過ごす意味があるのかも知れない。正月は1月一杯を言うのであるが、7日、15日正月(小正月)を過ぎれば、もはや正月気分は飛んでしまう。世の中忙しくなり、仕事始めは4日となって久しい。
次第にデパートや商店も元旦は休みが多いが、2日から開店している。コンビニは元旦からの商売で、自分が子供の頃は繁華街を除き、各店舗も3が日は休んでいた。お屠蘇気分はいつまでも酔ってばかりはいられないのかも知れない。世の中全体がそのようなムードが広がり、数少ない家族との団らんも余裕が無くなってきている。
1月は、1年間の計画の時期でもあり、今年予定することを家族全員で話し合える良い機会なのであるが、そうもいかなくなっている。お正月をともに祝うことの意味は、家族の健康や学業の目的、就職の相談、結婚や新築、転居等人生の各ステージで起こる様々な事柄についての情報を共有する機会でもある。絆を深め、家族の大切さを確認できる良いチャンスでもある。果たしてどのように過ごされたか多くの方に聞いてみたい気がする。