鳥!連続写真!掲載中!

近くの多摩川に飛来する野鳥の連続写真を中心に、日頃感じた出来事を気ままな随想でご紹介し、読者双方との情報を共有したい。

犬小屋の修理

2016年11月22日 00時00分01秒 | 紹介

 愛犬に見られながらの修理であったが、実際には新たに新築したといってよいほど、今回は手間がかかった。犬小屋は長年使っているものが悪くなったわけではなく、雷や暴風が吹くと最後の逃げ場は古いが犬小屋である。これは別段壊れているわけではなく、十分犬小屋として使われている。今回修理したのは、段ボールで仮住まいのものである。本箱を利用して、にわか仕立てで段ボールを囲む形であったが、素材が室内用のチップ罪でできているため、経年の雨水によって腐食が進んでいた。

 

 特にたたきと接する部分の腐りは、土台の機能はすでになく、破棄せざるを得なかった。ごみとして出すため、50cmぐらいに切断して、捨てるようにしていたが、それに代わる覆いを倉庫から探し出し、古い茶箱を利用することにした。出入りができるように入り口には透明なビニールを縦に裂いて風よけとしたのであるが、犬はなかなか入ろうとしない。数日後まで様子を見ることにしたが、段ボールには入るが、茶箱に入る気配はなかった。

 

  このところ朝夕はめっきり冷え込んできたため、茶箱をあきらめ、新たに作り替えることにした。どうも高さがないと出入りが嫌なようであったため、高さを60cmは確保したかった。できるだけ出費を抑えるために、使わなくなった木戸を利用しようと分解にとりかかかった。どのねじくぎも腐食で簡単に取り外せたが、それらの角材を切りそろえ組み立てたのであるが、材の腐食が進んでいて、打ち込んだ釘がぐらついたため、古材の利用はあきらめ、近くのホームセンターで新品を購入することにした。30cmの角材4本と、厚手の合板2枚である。角材は四隅の支柱に使い合板は天板と底板用である。

 

 ホームセンターから帰宅し、さっそく取り掛かることにした。段ボールが入る底板は50×40cmの大きさにし、高さを60cmとした直方体である。横板を張って出来上がったが、明日は補強のための措置とビニールを前面入り口にとりつけるつもりである。早速段ボールを収め、もとの位置に置くと、愛犬はスムーズに入ってくれた。

 

 昼間はいつも段ボールに寝ているのであるが、今日は作業の監視()のため、作業している近くにいて、必死に起きていた。愛犬用の小屋の修理をすることはわかっていたようで、満足してくれたようであった。何ゆえか、段ボールで寝るのが好きなようで、子犬の頃からである。体のどこかが触れていることが安心するのかもしれない。屋外で飼っているため、これからの寒い夜間は、ウイスキーの空き瓶に熱湯を入れ、タオルでくるんだ湯たんぽを入れている。何とか冬場を乗り切れそうである。


韓国と日本

2016年11月21日 00時00分01秒 | 緑陰随想

 隣国でありながらなぜに仲たがいするのか、原因はよくわからないが、お互いに不幸であることは良いことではない。同じ自由貿易経済国であり、経済、社会、民族等それぞれに影響力が強いのであるが、どうもしっくりとはいっていない。戦後生まれの小生にとっては戦後の動乱期に、流言飛語によって民族間に溝が生じていた歴史があったことを知っている。最近の情勢では朝鮮学校への補助金の支給、慰安婦問題等、いまだ解決していない問題も多い。

 

 どの地方へも韓国・朝鮮人のがあり、差別的な言動や、行動があったのも事実で、どこかに溶け込むことができない要因があったのであろう。今の時代では表立った敵対行為等は見ることなないといわれるが、果たしてそうであるのかははっきりしていない。人種差別は、都会においてもあるのだが、どこかで一線を引いて暮らしているのも事実であろう。

 

 最近よく目にする韓国出身のTV解説者が伝える内容は、朴大統領の疑惑事件の発生とともに、我が国とものの考え方が著しく異なることがよく分かった。民族問題を語る立場ではないが、自分が育ってきた間には、韓国をめぐる違和感以上に、魚釣島の韓国の軍事的占拠と我が国の領土帰属問題は明らかに未解決の懸案事項であり、軍が駐留して実効的支配に及ぶに至って、隣国の友好的な関係をほとんどゼロに帰した思いがする。

 

我が国に対する嫌がらせともいえる韓国の行動は、新聞等の報道の域を出ないが、隣国の友好関係の構築とは逆行していて、朴大統領が起こした疑惑も同情する気にはなれない。まったく不幸という他はなく、次世代へもこの関係が続くのもなんともしようがない。戦前の日韓併合は、侵略といえばそうなのであるが、日本が併合しなければ、中国やロシアの属国となっていただけであろう。

 

お互いの思いが異なるわけで、どうも合意できない相談や考え方の違いは埋めようもなく、誠に残念である。以前JICAの仕事で、技術協力に参加したことがあり、相応の支援を行ってきたが、その後の様子は知る由もないが、最近になって、民族の違いを見せつけられるにつけ、無駄な投資を行ってきたようである。韓流ブームも去り、日本からの観光客も姿を消したといわれる。コピー文化やパクリは日常で、密告社会であり、家族主義の悪い面を見せられると、もはや韓国への魅力は失せてしまう。どこへ行ってしまうのか、まるで糸の切れた凧のようである。


友人からの電話

2016年11月19日 00時00分01秒 | 紹介

 数日前に来月の上旬上京する旨の電話があった。大学時代の友人からである。広島市に在住し、現在も現役である。詳細は承知していないが、早くから自営している会社を息子さんへ譲渡し、経営にはタッチしていないが、相談役のような立場で活躍されている。自営業者とはいえ、定年など明確な規定はないようで、サラリーマンであった自分とはどうも様子が異なっている。自分は60歳の定年に際して、継続雇用の選択肢もあったのであるが、採用条件や後輩への思い等できっぱりやめる決意であった。実際、そうしたのであるが、今になって思うと、いささか早計だったかもしれない。

 

 定年退職後すでに10年を経ているが、65歳ぐらいまでは働けたかもしれない。退職後半年間は、失業し、再就職のための職安へ雇用保険をもらいながら通っていた。半年後からは、友人の誘いがあり、前職に近い組織で嘱託を3年ほど経験した。その間時間を見て地域のボランティア活動や趣味の世界の割合を広げて、今に至っているが、広島の友人のように、定年がない世界も気になるところである。

 

 定年退職後はどのように生きるかの真価を問われることになるが、これも、評価するのは自分であり、自分が満足していればどのように過ごそうとも良いのである。突き詰めて考えるほどのこともないので、成り行き任せである。そこそこ贅沢せずにいれば生活できるので、良しとしている。カメラマン同士の雑談で、野鳥の撮影に没頭すればするほど、仕事を持っていないことのメリットが話題に上がることも多い。野鳥撮影といえども、常に臨戦態勢であり、そうしなければ、つまり、仕事を持っていることによってチャンスを逃すという意味で、満足度のウエイトを高める方向を同感している。

 

 早速関東在住のといっても遠くて埼玉県であるが4名に連絡を入れた。現在のところ予定はないとのことで、6名での新宿での宴会を予定している。       いつも行く午後3時から開店している駅横の居酒屋である。「知る人ぞ知る」の居酒屋で、もちろん利用者の多数は高齢者である。忘年会を兼ねることになると思うが、話題は孫のことや持病のことが中心で、同期の消息も重要な話題である。気兼ねなくいつあっても当時のことを語ることができる、大切な仲間である。

 

 おそらく蟒蛇(うわばみ)と言われた大酒の身も70を超すと勢いは次第に低下し、寄る年波には勝てない。それをつまみにするのも楽しい時間である。

 


秋真っ盛り

2016年11月18日 00時00分01秒 | 紹介

 このところ、朝夕の冷え込みによって居住している地域の紅葉が進んでいる。たぶん、山間部では紅葉の真っ盛りであろう。場所によってはライトアップとLED電球による電飾とのコラボレーションが楽しめる。日中だけではなく夜間も集客が期待され、新たな名所もできつつある。さらに、一足早く、ご自宅に電飾を施し、一足早いクリスマスの雰囲気を醸し出している。あまりはですぎるとサンタクロースは戸惑うのではないだろうか。

 ハローウインに続き電飾利用による木々の飾りつけは、年々派手になるようで、エスカレートするのであろうか。

 

 早朝より晴天に恵まれ、風もさほど強くなく、小春日和であった。紅葉見物に行きたいところであったが、庭の落ち葉も気になり始めた。樹木はどこかで季節の変化を感じ、冬の準備を始めている。葉にたまった栄養分を幹に戻し、葉を枝から落とす。冬の期間は、春先に伸びる葉や花を寒さから守りながら、ゆっくりと成長しているのである。人間には活動が鈍っているように見えるから剪定時期としている。そろそろ庭木の剪定時期だなと思いながら、計画を立てることにしている。

 

 同時並行として、ガラスサッシや雨戸等を年末の大掃除に集中するのではなく、早めに取り掛かることにしている。ガラス窓は、1~2か月に1回ぐらいのペースで拭き掃除をしておくと、次回の掃除が楽に終わる。あまり時間を置くと、雨染みが簡単に落ちなくなり、石化して固着し、ガラスの透明度を落とす。自家用車も同じで、月に1度ぐらいは洗車をして、水垢を取り除いたほうが良い。ガラス掃除は、薬剤を使う必要はなく、水で十分である。ホームセンターで売っているT字型のスクイージイを利用する。水気をゴムの箆で掻き取るのである。残った水滴は、若干湿らせたタオルでふき取る。若干湿らすとは、ごくわずかな霧を吹きかける程度である。

 

 古くは石粉(いしこ)を水に溶いて汚れを落としたが、現在ではどこで売っているのかよくわからない。台所用クレンザーは洗剤が入っているので、不適である。石粉を含んだ水は雑巾を使ったガラスを湿らすが、水が蒸発するとガラス面に残る。これをタオルでふき取るのであるが、水垢も落としてくれる。しかし、毎回石粉を使用するとガラス面を傷つけてしまうので注意が必要である。界面活性剤入りのボンベに入った薬剤を塗布してもよいが、薬剤がガラス面に残ることもあり、きれいに仕上がらないこともある。要は、月に1度ぐらいのペースでガラス窓は掃除をするのがベターである。外側だけではなく内側も忘れないように磨こう。


市民アカデミー16後期第7回目

2016年11月17日 00時00分01秒 | 日記

平成28年11月16日

 

 前回は工学院大学新宿の見学会であったが、体調を崩し、欠席した。今回の担当講師の所属先である。今回はがんの原因と治療をテーマとした講義であった。高齢者の参加が多い塔講座は、普段より出席者は多かった。興味深いテーマセあったが、期待に反し、特別の切り口はなく、世間で言われているせいか、目新しい話ではなかった。特に愛煙家である小生にとっては、喫煙がもたらすがんの話は耳が痛く、デメリットばかりを強調されたため居心地が悪かった。

 

 喫煙ががんの原因の一つであることは間違いないところであるが、男性の平均寿命(余命)は女性より短いことは事実であったとしても、その差を喫煙に絞っていて、必ずしも納得できる話ではなかった。反論したところで、解決するわけではないが、生命医学におけるがんへの完全な克服には至っていない段階での極論は研究者らしからぬ話の展開であった。

 

 厚生労働省の統計に基づいた話があり、がんも早期に発見すれば治る病とも言っていたが、統計上の数値にはどうにでも解釈できる点は依然として疑問が残った。つまり、世界的に見て我が国の平均余命が高いことは、医学の進歩ばかりではなく、食生活の向上や、健康志向など多くの要因がある。一般的に言われているがんの原因は、細胞分裂時に何らかの原因で、遺伝子情報の配列が正しくコピーできず、がん化する。がん細胞は増殖し、その制御が不可能となる。リンパ液や血液によって体内をめぐるため、転移し、最後は死に至る。ここでいう何らかの原因がなんであるかは、人によって異なり、個人差があるようである。

 

 個人差が原因に出てくるとサプリメントなどの健康食品が生まれてくる原因なのであるが、講師はきっぱりと効果は疑わしいと断言していた。実際に体内で不足している物質はなんであるかは測定できると思うが、突き詰めた話はなく、これも統計による傾向に行き着いてしまう。人体の詳しいメカニズムと食性の関係だけでも明確な答えは出せないようで、バランスよく食するとの、雲をつかむ話で終わってしまう。

 

 ストレスや、過重労働などの影響、紫外線やX線の影響等もあり、人体自体が持つ様々な防衛機能との関係もいまだ明確になっているとは言えない。つまり癌一つをとってもいまだ全貌を知りえる段階ではないことが分かった。


高齢ドライバーの交通事故

2016年11月16日 00時00分01秒 | 提言

 高齢化社会が引き起こす新たな交通事故は、瞬時にして被害者から加害者の立場になる。このところの紙面には連日高齢者が引き起こした交通事故が報じられている。その原因は様ざまであり、特定することは難しいが、高齢化による身体機能の衰えや判断力低下が原因の一つとして考えられる。中でも認知症による車を運転中の徘徊である。

 

 以前からブレーキとアクセルとを踏み間違えて、停車中の車が発信後高速で建物等に衝突する事故があった。通常では考えられないが、止めようとしてブレーキペダルを踏まずにアクセルペダルを踏んでしまう。それも構造上片足で段差があるブレーキとアクセルの位置は感覚がわからなくなることはない。それを踏み間違えることが実際に起きている。

 

 一定の年齢を超えれば免許を返上するような自主返上もあるが、なかなか進んでいないようで、認知症を免許切り替え時に診断して、もし発見できればその時点で運転免許の更新をやめることで、防止策が行われている。次の更新期間までに認知症が進めば、完全な防止策とは言えまい。さらには高齢者ばかりではなく、若年者にも認知症が発生する場合もある。

 

 過疎の地域では高齢化が進み、単身の一人世帯も多い。生活に必要な買い物や、病院通いは公的交通機関がなければ、自家用車を使わざるを得ない。またタクシーを毎回頼むだけの費用だけでも生活費を圧迫する。動けるうちは、自家用車の利用を制限することができないであろう。本来ならば、事故の未然防止が行政の建前なのであるが、状況によっては、後手に回らざるを得ない。きれいごとでは済ませない悩ましい問題である。

 

 高齢者ドライバーの運転が原因した交通事故にあわれた方も悲劇であり、不幸という他はない。死亡事故に至っては、賠償すら難しい場合もある。ではどのようにすれば被害にあわなくて済むか、現状ではその解決策はないに等しい。なぜならば、車を運転することは交通ルールを守っているという前提で、道路を走っているからである。自車の前方を走る車がおかしげな運転をしていれば、それを避けることは可能であるが、交差点等で信号を無視されれば、事故は防ぎようがない。

 

 車自体の制御を人工知能やセンサー等で行うなどの自動運転は緒についたばかりで、これからの世界である。一刻も早い成功と実現を期待したい。


皇帝ダリアの開花

2016年11月15日 00時00分01秒 | 紹介

 九州に帰省した時に見られた皇帝ダリアの開花、本日一輪が開花した。つぼみはたくさんあり、今後、毎日何輪か咲くのであろう。時季外れで花が少ないこの時期であり、3mの丈がある皇帝ダリアであるが、単色しかなく、なんとも変わったダリアである。数年前から株が増え、今では6~8本が狭い庭に鎮座し、見上げてもさほど目立たず、二階のベランダから見て、丁度良い。なんとも不思議な花である。

 

学名は木立ダリアといい、原産地はメキシコ、中米、コロンビアである。なかには8~10mになるそうである。高地や山地の植物で、標高は1500mぐらいに咲くという。塊根を持つ多年草で、毎年花を咲かせる。幹は竹状なので、節から上下5㎝ぐらいで切り取り、土に埋めておくと翌春、芽を出し、植え付ければ立派な茎が成長し、花を咲かすことができる。

 

茎を節部分で切り分けるときに多量の水が出る。これは砂漠等で水を求める旅人に、水分補給をする植物として重宝しているそうである。葉についても食料になるとのことで、自宅に飛んでくるヒヨドリが時々葉を食していることから、人間にとっても食べられるのであろう。

 

幹回りは10㎝を超える太さになるが、夏から秋にかけて来襲する台風によって、突風は最大の被害を起こす。太い幹を持っていながら、耐えられないのである。幹の途中から折れてしまうと、開花できなくなってしまう。通行に邪魔になる枝葉を切り取っても影響はない。その強さに比べると、風による被害が最も大きいといえる。

 

キク科に属し、下向きの薄ピンクの花は次から次に咲くので、しばらく楽しむことができる。何故、いろいろな花が見られないのか不思議であるが、いずれ品種改良して多色を楽しむことができるようになると思う。

 

株で育った皇帝ダリアを嫁入りにと丹精込めてよく春までプランターに入れて保管するのであるが、ほぼ100%芽が出るので、それは良いとしても、狭い敷地では伸びすぎるため、なかなか嫁入り先が決まらない。それでもいくつかは元気に育っているとの話も聞くようになった。もともと元気が良いのかもしれない。