鳥!連続写真!掲載中!

近くの多摩川に飛来する野鳥の連続写真を中心に、日頃感じた出来事を気ままな随想でご紹介し、読者双方との情報を共有したい。

ホームレス小屋の撤去

2016年11月14日 00時00分01秒 | 提言

 強制的に行っているわけではないが、河川敷管理のお役所から何らかの動きがあったのであろうか、自主的に解体する動きがあった。おそらく、私的な河川敷の独占を放置することによる何らかの弊害を危惧したのか、それとも直接行政の担当部署へ市民からの苦情なのかどうかはわからないが、多摩川の各所で同様な小屋があるのは問題なのであろう。

 

 小生が知る2か所の小屋は、住民は異なる目的であるようだ。1か所は、パイプハウスで、居住している。もう一方は、空き缶の回収者で、缶をつぶして生計を立てているらしく、居住はしていないようである。このような場所で生活するには、最低限の寝具のほか、炊事用品も必要となる。電気製品は配電していないため、利用していないようである。しかし時折聞こえる電動機は、自家発電かもしれない。

 

 風呂やトイレもどのようにしているのかわからないが、近くにセセラギ館があり、屋外の公衆トイレばかりではなく、水道も完備している。飲料調達や、冬場を除き、体を拭くのは可能である。つまり、河川敷であっても生活できるのである。どのような理由で、そのような生活をせざるを得なくなったのかについては詳しく聞いたわけでもないが、孤独な生活を選ばなければならないところまで追い詰められたのにはそれなりの訳があるのであろう。

 

 福祉政策だけでは片づけられない世界もあるが、同じ人間として、関与できないことも確かなことである。河川敷でも生活できるとすれば、住民票もないし、税金もない、行政は、事実があってもすぐには対応せずに数年が経過している。どう考えても怠慢という他はないが、役所も縦割り行政をバックボーンとして、積極的には対応していないようである。どう考えても不合理の一言に尽きる。

 

 数年前に、勝手にアカシア林に小屋を建てた老人がいた。何をするわけではなかったが、伐採したアカシアの木は丸裸にするような行為が続いたが、不審火を出し、撤去に至っていて、今は徐々に元のアカシア林に変わってきている。自然派もよいが、公共の場を長期間継続的に私的に利用したことが反発を招いた結果であろう。

 

河川敷を私的な家庭菜園として利用しているごく少数の人間が現存している。これら者も、ホームレスと同様で、身勝手な行為に対し、社会的制裁の対象者と考えられる。継続使用は、独占であり、法を逃れる勝手な行為は公的機関で厳罰に処すべきである。法的責任を持つ大人の行為とは考えられず、関係行政機関に対し、早急な対処を望みたい。


富有柿の熟成

2016年11月13日 00時00分01秒 | 紹介

 今年は天候が不順だったせいか、収穫した柿は塾生が進んだもの、まだ表皮が青いもの等が多く、粒がそろっていない。2回に分けて収穫したが、2回目は熟成度がちょうどよかった。女房の弁によると、どこから聞きつけて来たのかわからないが、青い(未成熟)の柿を冷蔵庫に入れておくと、適度に熟すらしい。渋柿を焼酎に浸けると渋が抜ける。また、渋柿を蒸かす(あおす?)と甘くなる等生活の知恵の一つであろうか。「何事もやってみないと分からない」我が家の家訓である。

 

 2週間ぐらいたった冷蔵した柿を食してみた。それが大変おいしいのである。じっくりと熟成させたからであろう。柔らかさといい、歯ごたえも残っていて、とにかく甘いのである。富有柿は、もともと渋みはないが、採り立ては固い感じがして、それはそれでおいしいが、まろやかさに欠ける。冷蔵した柿は、硬さ、甘さ、うまさどれも合格であった。

 

 原理は想像すると、低温で、柿の持つ酵素が影響しているのかもしれない。常温の下では、酵素が活発化するし、皮から水分も抜けて、張りが失われる。しわしわになってしまう。しかし、低温化ではゆっくりと熟成するので、新鮮さを保つことができる。北国で、収穫した野菜等を室に貯蔵し、雪をかけることや積雪の多いところでは雪を掘ってそこに野菜を埋めておくことが行われている。そうすると断熱され,0℃以下にはならないという。

 

 野鳥が未成熟の柿の実を突っつくことによって、早く熟すのはどのような理由かはっきりしないが、樹木のほうで傷をふさごうとする働きがあり、そのことと関係するかもしれない。柿の実の中には種がいくつか入っている。実は本来、成熟し、野鳥等の食性を利用して、種を遠くへ運ばせて発芽させるという知恵を持っている。その意味では、鳥の突っつきを契機として、スイッチが入り、早く熟させようとしているかもしれないのである。

 

 富有柿の原種と現在の人間好みに変性を経た柿との間にはどのような遺伝子上の違いがあるのかわからないが、台木に挿し木をしていると聞いたことがある。すでに60年も前のことであるが、柿の種を植えただけでは確実に発芽するか、甘い実がなるとは限らず、一般的に渋柿になるそうである。自宅の柿の実を植えて実験すればよかったのであるが、熟して落ちた柿の発芽はほとんどなかったように記憶している。


喪中の葉書

2016年11月12日 00時00分01秒 | 紹介

 この時期は年末の恒例である年賀状書きに先行し、事前に喪中の挨拶状を贈る習慣がある。住所録の整理には良いのであるが、すでに何枚かの喪中を通知する葉書をいただいている。年齢的に考えれば、ご両親が他界したとの通知が多いのであるが、同僚やご令室、ご子息やご令嬢の訃報の通知は心痛むものがある。

 

 女房の母親が8月末に他界し、喪中であるため、今年はすでに喪中の挨拶状を書き終えた。書き終えたのではなく、パソコンで作成し、プリンターで印刷したといったほうが正確である。裏の文書は定型文であり、亡き母の名前と享年を差し替えただけである。時間がかかるのはむしろ宛先である。住所録の整理であり、今年いただいた年賀状の分は、大方整理したが、それ以後の転居や、転勤で住所が変わった方、亡くなられた方等は、新たに住所録を整理しなければならなかった。

 

 最近は、個人情報の取り扱いに神経を注ぐせいか、それとも職場を離れて久しいため、あえて通知をされないのかわからないが、転勤等の挨拶状がめっきり少なくなった。寂しい部分もあるが、虚礼廃止と考えれば仕方ない面もある。

 

 住所録の整理が終わったが、年々所在が不明な方が増えている。約1年間は旧住所から郵便局のほうで、新住所へ転送される。しかし郵便局へ届けなければ、あて先不明で戻ってきてしまう。若干のそのような葉書も出ることは仕方ない。むしろ問題であったのプリンターの誤作動が引き起こしたダブル印刷である。印刷枚数が多くなるとプリンターのトレーに収まる葉書の枚数が決まっていて、トレーに供給する葉書を何度となく加えなければならない。その都度、印刷設定がクリアされてしまうため、これも誤作動であり、ダブル印刷が発生してしまう。今回30数枚がダブルで印刷されてしまった。失敗した葉書を郵便局へもっていくと5円で引き取ってくれ、新たな葉書と交換できる。

 

 住所録はアクセスを利用しているが、印刷する順序が登録順になっている。あいうえお順ではないため、印刷順がつかめない。そのため、途中で故障すると厄介なことになってしまい、今回のようなダブル印刷が出てきてしまう。印刷のプログラムを変えればよいのであるが、プログラムにはプロテクトがかかっているので、操作できずに諦めた。

 

 年末の多忙な時期に年賀状を書かなくて済むが、なんともわびしい挨拶状づくりであった。


衝撃の記事その2

2016年11月11日 00時00分01秒 | 提言

  前回の執筆中に思い出したのであるが、伝統技術・技能と称されている産業は、徒弟制度が導入され、人材育成と言いながら、実際は教育も訓練もしない低賃金労働を強いる今でいうブラック企業であり、休日はわずか盆と暮れだけという超長時間労働であった。その名残は今でも水面下では行われており、卑近な例として板前といえば格好は良いが、基本的な労務は相変わらず前近代的であり、教えないということを教育と勘違いしたまたは当然とした思い込みの不幸である。

 

例えば、江戸前ニギリ寿司を握らせるまで3年や5年をかけるばかげたことが行われてきた。握るだけなら、1日で覚えられる。その間の下積みが職人としての技量を磨くなどと言われるが、後継者が生まれない理由はだれが考えてもわかる。今やすし店の主人は、回転ずしの調理場でアルバイトをしている状況である。さすが手当を渡さない世界はなくなったが、名門といえども労働の質や作業環境は劣悪と言わざるを得ない。

 

上述の例は極端であったかもしれないが、現在でも小企業や零細企業では、流儀や、たたき上がりが実権を握り、職業訓練を拒否している企業が散見されるが、教えない理由は、技術の流出による自らの立場を失うことになるという先入観であり、被害者意識で、後継者の育成を行わないという狭い身勝手な了見である。

 

基本的な考えを保守として、守る世界もあるが、後継者がいなくなればその業務は廃れてしまうし、その代限りとなり廃業となる。技術の変革や情報量の多さは昔と異なることぐらい肌身で分かっていても、旧態依然とした会社経営は徐々に転換を余儀なくされる時代である。グローバルとまでいかなくても、異業種交流ぐらいはできるであろう。ブラックボックスを保ち続けることは、反面、オープンイノベーションに乗り遅れるというニコンの教訓はどの企業でも無関係ではない。オープン化することにより、専門分野の先行を可能にするのであるが、早ければ早いほど、協業が可能となり、さらには、自らが業界のスタンダード化に寄与するのである。

 

技術の流出を危惧する気持ちもわかるが、秘密は、いつかは流出するし、他社でそれ以上の技術を生むことになる。中国で、我が国が輸入していたレアメタルを出し渋り、価格を上げてきたことがあった。我が国はレアメタルに代わる新技術で対応したことにより今やレアメタルは暴落しているではないか。同様なことは多くの産業で現れていて、造船技術なども定年退職者や高賃金を望む技術者の海外流出は避けて通ることはできず、近隣諸国の技術レベルの向上は急速である。ブラックボックスを金科玉条とする世界は終わりを迎えているといえよう。


衝撃の記事

2016年11月10日 00時00分01秒 | 提言

 今日は現オバマ大統領の後任を決める全米の大統領選挙である。ヒラリークリントン氏かトランプ氏かの選挙人を各州で選出する。住民の代表というべき存在であるが、代理人は、そちらかの大統領候補を決めているため、選挙人の数の和が274名以上(過半数)となれば、どちらかが大統領に推挙されることになる。選挙人の総数は、過半数の2倍なので、548名である。この制度は一見、間接選挙の形であるが、実際は、直接選挙である。大方はヒラリー氏がオバマ氏の後任と目されていたが、最終的には、トランプ氏に決定した。

 

 この衝撃的なニュースは、大方の予測と反するもので、安定政権を求めないアメリカ市民の気持ちを如実に示した、想定外のことであった。コメンテーターなり解説者の如何に事前の予想が覆される事態を想定できなかったかの限界を示すものであるという教訓である。

 

 このことも今後勝因の分析等、解説者や分析者があることないことを宣うのであるが、後出しじゃんけんで、見苦しい姿を見ることになる視聴者にとっても、無意味な時間を過ごすことになる。そのことが分かっていながらの世界はなんともむなしい時間である。

 

 衝撃的なのはそのことではない。あのニコンが1000名の従業員削減を発表した記事である。詳細については新聞紙上でご確認していただければよいのであるが、自分にとっては、アメリカ大統領選以上の衝撃であった。つまり技術立国として戦後の我が国を支えてきたトップランナーの世界的シェアが極端に落ち込み、今や、1割にも満たなくなったのである。光学精密機器の分野は、将にお家芸でもあった。現在でも大手の数社は国際競争力の上位を占めているが、ニコンがなぜこのような凋落を示したのか?

 

 答えは簡単である。グローバル化に乗れなかった企業体質であり、自社ブランドを守る戦略の失敗である。聞こえは良いが、発明当初の技術はブラックボックス化し、それを大切にする姿勢である。しかし、今回の凋落の原因は、オープン化しなかったために起こった悲劇というほかはない。抱え込んでしまったために、世の中の潮流に取り残されてしまったのである。

 

 カメラの基幹部分である半導体露光装置の自前執着が、対抗馬である、オランダのフィリップスから独立したASML社に凌駕されてしまった。ASML社が取る戦略は、オープンイノベーションであった。これは外部企業への技術情報の提供と協力関係で連携し、機動的な製品開発を続けたためと分析されている。あきらかに、他の血を入れることによって、新製品開発への活路が開けるのであり、自社の力だけでは今の技術向上は不可能であることを示す結果となった。

 

 我が国の多くの企業が抱えている狭い了見は、いずれ、他者に吸収されることは必至である。オープン化することによるデメリットよりメリットが大きいことをお伝えしたい。


再び九州の実家へ

2016年11月09日 00時00分01秒 | 提言

 連休をはさんで九州の実家へ里帰り、今回の目的はいくつかあるが、年に数回地元のシルバーセンターに依頼している草刈り、立木の剪定派まではしてくれないため、電線にかかる樹木の剪定を行った。梅の大木と、白木蓮である。南天も伸び放題、キンモクセイも大きな株となっていた。これらをのこぎりと剪定鋏を使って丈を切り詰める。このほかには、モッコク、ツバキ、ツツジ、ツゲ、クロマツである。

 

 立派な池があり、水は張られてないが、枯山水の情景となっている。山から切り出した大きな岩は苔むし、それなりの風情が楽しめるが、これも手入れができていないため、残念ではあるが、にわか仕立ての剪定だけではいまいちであった。

 

 目的の二つ目は、割れた屋根瓦の補修である。同じ種類の瓦が見つからず、業者に任すことにした。瓦を取り寄せてからの施工となるが、数日かかるとのことで、帰京後の作業となってしまった。瓦にも流行や生産停止があり、時間を経た瓦は探すのに時間がかかるとのことであった。

 

 帰省に合わせて、墓地の墓碑の彫刻依頼を早めてもらい、納品という段階になったが、石材店の方が気をまわして、すでに墓地へ搬入し、据え付けるところまで済んでいた。支払いだけが残っていたため、それを済ませることができた。コンピュータを使っての彫刻だそうで、若干字体が統一できなかったことや、大きさも大きめであったが、やり直すわけにもいかず、仕方ないとして、渋々不満足ながら受け入れることとした。

 

 次は、台所脇にある控えの間の床面の補修である。安い合板の化粧張りをしてあった部分が、めくり上がり、全体にべこべことしていたため、張り替えを知り合いの大工にお願いした。実は、実家を建てた棟梁の弟子であったことが判明し、大いに話が盛り上がったところである。人の縁というのは全く偶然出会っても、何らかのつながりがあるもので、不思議な縁(えにし)を感じたところである。

 

 外灯の修理を行った。これはカバーが外れていたため、直接雨がかかっていたため、漏電寸前であり、新品と取り換えた。最後に建物の外周を見て回ったが、床下の除湿のためにつけた装置は稼働しているのであるが、換気口の処理が悪かったため、いずれ修理をする予定である。普段行っていなかった部分は意外にも多くあり、空き家が早く悪くなるのがよくわかった今回の帰省であった。