見せたくないから隠す。
周囲への同化を望んでいるけれどし何処かで拒んでいるような。
だから見える世界の半分を隠すつもりで、見えるものを半分にする。
実際には、遠近感が若干狂うだけで両目と見え方は変わらない。
「世間をちょっと斜めに見ています」と周囲にアピールの甘ったれ。
精神的なことから考えるとこう。
昔の日本の「神様への生贄」とかみたいに
「普通の人間を【人工的に特別な人間】に位置づける」
為にあえて何処かを欠損させて「逃げられない存在」にしてしまう。
足を折ったり、刺青彫ったり、眼を潰したり。
シャーマン的なことから考えてみるとこう。
と、すると。
逃げられない「宿命」を背負わされたのが「鬼太郎」系。
・カカシ(「NARUTO」)
・ギンコ(「蟲師」)
・ラグ・シーイング(「テガミバチ」)
・鬼太郎(「ゲゲゲの鬼太郎」)
・マータリ・シュバン(「DAIVA」)
*マータリの場合は別のモノを隠すためのカモフラージュ
変えられる「運命」を持った記号的な象徴的な存在が「ジョー」系。
・島村ジョー(「サイボーグ009」)
・ジルベール・コクトー(「風と木の詩」)
・エドガー・ポーツネル(「ポーの一族」)
・そのほか多数。
記号というか、「キャラのパターン」という感じ。
例えば「島村ジョー」の場合は、
「迫害される立場でありながらも繊細さと強さを併せ持った
孤児の少年が運命に翻弄されつつも強く生き抜いていく」
→ジョーの派生で、萩尾望都は「エドガー」を生み出して
「異質な存在側の苦しみや魅力」が描かれた「ポーの一族」を。
(そう考えたら「鬼太郎」派かもしれないけど)
竹宮恵子は「ジルベール」を生み出して禁断の美。
「少年愛を軸にした愛憎物語」の「風と木の詩」を描きあげてる。
そしてこの2人の御大のキャラも「キャラパターン」の派生の元になって
多くの類似キャラ・作品が多種多様に別場所から生み出されてる訳で。
大雑把過ぎるくくりかもしれないけれど、単純にはそんな感じだと
思ってる。
「ただもう可愛い女の子を描く為に漫画を描く」ロリコン漫画家の元祖
吾妻ひでお氏…も何故か昔、ジョーの怪しいイラストを描いていたりする。
「チョコレートデリンジャー」のチョコちゃんとか、「あめいじんぐまりー」の
マリーみたいな、トロンとしたロリータフェイスのジョー。
間違っても「ハイパードール」のランジェちゃんや、「ミニティー夜夢」の
夜夢みたいな可愛くて凛々しカッコいい少女ロリータ風じゃない。
男は怪しいかキモイかヘンなヤツかヘロヘロかロンパリかでしか描かないのに何故?
【島村ジョー】は、ショタ系にもロリ系にも見ることができた「中性的キャラ」
の原点でもあったのかも。今でこそ二次キャラの「女体化」は珍しくないけれど、
この吾妻ひでお版【島村ジョー】はインパクトがいろんな意味で大きくてイタイ…
しかもよりにもよって「贋作・ひでお八犬伝」に巻末頁に掲載されているので
本を捨てるに捨てられない。
周囲への同化を望んでいるけれどし何処かで拒んでいるような。
だから見える世界の半分を隠すつもりで、見えるものを半分にする。
実際には、遠近感が若干狂うだけで両目と見え方は変わらない。
「世間をちょっと斜めに見ています」と周囲にアピールの甘ったれ。
精神的なことから考えるとこう。
昔の日本の「神様への生贄」とかみたいに
「普通の人間を【人工的に特別な人間】に位置づける」
為にあえて何処かを欠損させて「逃げられない存在」にしてしまう。
足を折ったり、刺青彫ったり、眼を潰したり。
シャーマン的なことから考えてみるとこう。
と、すると。
逃げられない「宿命」を背負わされたのが「鬼太郎」系。
・カカシ(「NARUTO」)
・ギンコ(「蟲師」)
・ラグ・シーイング(「テガミバチ」)
・鬼太郎(「ゲゲゲの鬼太郎」)
・マータリ・シュバン(「DAIVA」)
*マータリの場合は別のモノを隠すためのカモフラージュ
変えられる「運命」を持った記号的な象徴的な存在が「ジョー」系。
・島村ジョー(「サイボーグ009」)
・ジルベール・コクトー(「風と木の詩」)
・エドガー・ポーツネル(「ポーの一族」)
・そのほか多数。
記号というか、「キャラのパターン」という感じ。
例えば「島村ジョー」の場合は、
「迫害される立場でありながらも繊細さと強さを併せ持った
孤児の少年が運命に翻弄されつつも強く生き抜いていく」
→ジョーの派生で、萩尾望都は「エドガー」を生み出して
「異質な存在側の苦しみや魅力」が描かれた「ポーの一族」を。
(そう考えたら「鬼太郎」派かもしれないけど)
竹宮恵子は「ジルベール」を生み出して禁断の美。
「少年愛を軸にした愛憎物語」の「風と木の詩」を描きあげてる。
そしてこの2人の御大のキャラも「キャラパターン」の派生の元になって
多くの類似キャラ・作品が多種多様に別場所から生み出されてる訳で。
大雑把過ぎるくくりかもしれないけれど、単純にはそんな感じだと
思ってる。
「ただもう可愛い女の子を描く為に漫画を描く」ロリコン漫画家の元祖
吾妻ひでお氏…も何故か昔、ジョーの怪しいイラストを描いていたりする。
「チョコレートデリンジャー」のチョコちゃんとか、「あめいじんぐまりー」の
マリーみたいな、トロンとしたロリータフェイスのジョー。
間違っても「ハイパードール」のランジェちゃんや、「ミニティー夜夢」の
夜夢みたいな可愛くて凛々しカッコいい少女ロリータ風じゃない。
男は怪しいかキモイかヘンなヤツかヘロヘロかロンパリかでしか描かないのに何故?
【島村ジョー】は、ショタ系にもロリ系にも見ることができた「中性的キャラ」
の原点でもあったのかも。今でこそ二次キャラの「女体化」は珍しくないけれど、
この吾妻ひでお版【島村ジョー】はインパクトがいろんな意味で大きくてイタイ…
しかもよりにもよって「贋作・ひでお八犬伝」に巻末頁に掲載されているので
本を捨てるに捨てられない。