ガトゥ・ハロゥ

八犬伝と特撮と山田風太郎をこよなく愛する花夜のブログ。

「BABEL」1巻発売

2018年06月03日 01時48分14秒 | 八犬伝いろいろ

(「BABEL」1 石川優吾)

ぞわりと来た。

「BABEL」一巻が発売されたので発売日に購入して読む。
一応雑誌連載で読んではいるけど、まとめて「八犬伝」として読むとまた、作者が物語ろうとする流れがなんとなく見えてくるような気がするのでもう一度まとめて最初から。

で、改めて「ぞわり」と来た理由。
物語が「八犬伝」の序盤の序のはずで、普段なら「この八犬伝に出てくる八犬士はどんな人物なんだろう」と「八犬伝」モードのまま思考が切り替わるのに、伏姫と玉梓のキャラ人物像が強烈過ぎて。

「八犬伝」のテーマを元にする「亜流」(あえてこう呼んでいる)の漫画や小説は、何はともあれ「八人の犬士」が登場すればどんな内容であろうと「八犬伝」モノとしての作品にはなる。

だから、「八犬士」が「八人の○○」であることをまず最初に押し出せば、それがその作者の「八犬伝」の売りとなり特徴となる。
「八人」の「青年」「少年」「男子」が基本としても「八人」の「女子高生」「忍者」「ホスト」「キャバ嬢」「姫」「雀士」他、多種多様に造り出すことが出来る。
タイプの違う人物を八人出して、「私達は運命共同体」などと唱えていれば良いのだから、物語を作る側も物語を追う側も楽と言えば楽。
八人登場しない場合はただのタイトル詐欺に過ぎないのだけれど。

その「八犬士」の物語を陽として表とするなら、「伏姫と玉梓」を含む里見家のどろどろとした怨念や傷痕の物語は影である。
物語の切っ掛けであり、死んだ後も霊的存在となり八犬士の手助けをする「聖女」。
同じように切っ掛けとなり霊的なものとなり八犬士の邪魔をする玉梓は「妖婦」もしくは「悪霊」。

結果的には彼女らが「八犬士」という存在を生み出したのだから、見方を変えればどちらが「聖女」であっても「悪霊」であっても物語は成り立つのである。伏姫はいいなずけとなるべき人物を捨てて家の為に別の雄に乗り換えたのも事実で、玉梓に自分の欲望に忠実というのも抑えの利かない正直者として見ることができ、だからこそ一度「許す」とした言葉を覆した里見義実に執念深い怨みを残したとも考えられる。

「BABEL」の伏姫は序盤の世界で、犬士となるべき年代の信乃や額蔵(荘介)、老年のゝ大法師と同じ世界に生きている。玉梓も然り。
ゝ大は伏姫との間に情のしがらみはないが、八房との間に精神的な強い繋がりを持っている。そして八房を伏姫に引き合わせるという、原作とは逆の役割を担うことになる。

つまりは、王道の「八犬士」の世界に「if」を散りばめて創られているのである。オリジナルキャラを登場させての「if」ではなく、王道筋を追いながら基本のキャラを使っての「if」の物語。

先が気になるのも仕方がない。
物語の、どの辺りでタイトルの「BABEL」の意味が判るようになるのかも楽しみである。

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