サッカー狂映画監督 中村和彦のブログ

電動車椅子サッカーのドキュメンタリー映画「蹴る」が6年半の撮影期間を経て完成。現在、全国で公開中。

植松聖死刑囚移送

2020年04月08日 | 障害一般

本日8日横浜拘置所へ『相模原津久井やまゆり園事件』植松聖死刑囚の接見に初めて行ったのだが、空振りに終わってしまった。
昨日、刑場のある東京拘置所へ移送されたそうだ。

事件が起きたのは2016年7月。当時は電動車椅子サッカーのドキュメンタリー映画『蹴る』の撮影中で、障害への理解や製作資金捻出のため介護の資格を取り訪問介護の現場に身を置いていた時期でもあり、とても衝撃を受けた。
しかしその後は『蹴る』の撮影、編集、公開でいっぱいいっぱいで、数冊の書籍に目を通す程度。
今年に入って公判が始まって以降、正確に理解しよう事件と向き合おうという思いもあり、慌てて新聞、書籍、雑誌『創』等に目を通し、裁判の抽選に通い一度だけ公判の傍聴ができた。
そこで植松死刑囚本人の顔や姿かたちは目にすることができたが、肉声は聞くことができなかった。
その後、植松死刑囚の自宅~津久井やまゆり園~小学校への通学路を歩き彼の人物像を思い描くのだが、裁判が犯行動機に深く分け入らなかったことも相まってなかなかイメージ出来ない。
そこでどんな声でどういうふうにしゃべるのか一度接見してみようと先月ご挨拶したばかりの『創』の篠田編集長にお願いし、同行することは出来たのだが既に移送された後だった。
念のため東京拘置所へも行ったが面会出来ず。今後、植松死刑囚は親族と弁護士にしか接見できないという。

これからは、情報も減り話題になることも少なくなってくるだろう。
自分としては出遅れてしまったのだが、この事件のことは考え続けていきたい。


「津久井やまゆり園殺傷事件」公判傍聴

2020年02月12日 | 障害一般

今年に入って始まった「津久井やまゆり園殺傷事件」の公判傍聴に行って来た。
今日も外れるかと思ったが20数名枠の傍聴券が当選。初めて法廷に入ることができた。

本日(12日)は、遺族や負傷者の家族の陳述が続いた。
名前も顔も明かされる方、傍聴席との間の仕切りで姿や見えないものの涙ながらの声が聞こえてくる方、弁護士に代読を依頼された方々、それぞれの思いが語られた。
息子や娘、兄や姉が「言葉は発することは出来なくても感情はあり意思疎通は出来ていた」思い出を語り、事件以降の苦しみを吐露された。
「不幸を作ったのは被告。息子は幸せを作っていた」
「(被告は)意思疎通をとろうとしなかったからこういうことになった」
「死刑を求める」「(実質的な)終身刑は日本にはない。だとしたら一つしかない」
死刑を求める声も複数あった。
家族の声を聞く植松被告の感情を読み取ることは出来ないが、真剣に耳を傾けているというよりは、何といったら良いのか、眺めているような表情にも見えた。

また、やまゆり園の職員の方も陳述。殺された方々の顔が脳裏に浮かんでは言葉に詰まり、「『しゃべれません』という私の言葉で利用者の命が奪われた」「抵抗したら殺される」と思い何もできなかったという、当時の生々しい状況が語られた。
彼女はそのショックから長い間PTSDに苦しんできたという。
そして「命が終わる最後まで、命の尊さと向き合ってほしい」と言葉を結んだ。
植松被告の論理のなかでは、第三者に迷惑をかけてしまったという意識があったのだろうか?
ご家族の話の時よりは耳を傾けているようにも見えた。

結審まではあと2回の公判、来月判決が言い渡される。


再び24時間テレビとバリバラから派生して

2016年08月31日 | 障害一般

 昨日の記事の続き(のようなもの)です。

 以下は『24時間テレビ』と『バリバラ』に関しての、自身も先天性の身体障害がある森田かずよさんへの取材記事。
 24hourtv-or-baribara
 
 そのなかで彼女は次のように語っています。

 「24時間的な感動か、バリバラ的な笑いか。この2つしか障害者の描き方がないと思われるのは、とても、しんどいなぁって思うんです。その両方の間に、多くの当事者がいると思うから」

 まったくその通りだと思います。
 私自身、過去に『知的障害』『聴覚障害』 の映画を制作した際に強く思ったことは、一つの障害のなかだけでいっても、いろいろであり、様々であり、多様性にあふれていること。現在は電動車椅子サッカー選手のドキュメンタリーを撮影していますが、その過程でも常に感じていることです。
 障害の面だけからみても様々ですし、性格や個性といったらてんでバラバラです。 

 映画完成後「この映画で何を伝えたいですか?」という質問をよくされますが、「いろいろ」だと答えます。「いろいろな人がいる、その等身大の姿さえ伝わればそれで良い」といったようなことです。
 何かを伝えたくて映画を作り始めたことは一度もありませんが、結果としてはそこに行きつきます。

 例えば知的障害者サッカーの映画を作ったときのことです。あくまでサッカーを通じてたまたま映画を作ることになったので、知的障害に関する予備知識は皆無でした。映画では知的障害者サッカー日本代表を中心に撮影していましたから、選手たちはほとんどが軽度の知的障害でした。
 そのなかで強く印象に残ったことは、軽度知的障害者の苦悩。
「私はなぜ知的障害者として生まれ、知的障害者として生きていかねばならないのだろう」といったような。

 これは事前には全く想像できなかったことで、同時に映画のテーマというか核心になるものだとも思いました。重度中度の知的障害者からみるとスーパーヒーローである彼らが、健常者とのボーダーライン付近にいるがための苦しみ。
 知的障害といっても幅広く、絶対に一言では語れないということを痛感しました。

 養護学校(特別支援学校に変わる前)にも何日か撮影で通いましたが、狭義の意味での知的障害以外にもダウン症や自閉症、ADHD、さまざまな子供たちがいました。「詐欺にあわないようにしましょう」という授業が行われていましたが、卒業後騙されてお金をだまし取られる人がいる一方、(学校関係者とは別の人から聞いた話ですが)だます側に回る者も少なくない。実際調べてみると犯罪に手を染める知的障害者もかなりいることがわかりました。そのことも映画に盛り込もうと何度も考えましたが、一つの作品で描くことのできる限界を超えていると判断し割愛しました。いわば闇の部分です。 
 闇とは違いますが、障害者の性もなかなか描けない”タブー”化されている点です。記事にもあるように『バリバラ』ではかなり触れていました。自分自身も劇映画(フィクション)にできないかと何度か考えましたが頓挫したままです。 

 ところで映画を作っていく過程で何度も「台本は?」と聞かれました。「えっ!?だってこれドキュメンタリーでしょう。なんでそんなものが必要なの?」と疑問がわきましたが、テレビ等のドキュメンタリーの多くは最初に台本があり必要な映像を撮り進めていくということのようで。

 私はそれまで劇映画(つまりフィクション)の世界で育ってきていたので驚きました。フィクションには(原則として)台本があるがドキュメンタリーにはないと思っていましたから。ただ編集の祭は撮影したインタビュー内容などを書き出して台本のようなもの作り構成を練りました。

 
  次作の「聞こえない、聞こえにくい人たちのサッカー」に関するドキュメンタリー映画はさらに混迷を極めました。知れば知るほどわからないことだらけ、詳しく書くと1冊の本になってしまいます(実際本になって岩波書店から出てます)。

 聞こえの程度も様々、手話を覚えた時期も様々、手話が出来ない人もいて、手話はろう学校で以前禁止されていて、日本手話と日本語対応手話がありろう者内部での意見の対立もあり、もちろん海外には海外の手話があり、ろう学校に通っていた人と一般の学校に通っている人がいて、デジタル化してからの補聴器の進化は凄まじく、人工内耳の子供たちも急増、その点も賛否両論があり…。
「聞こえない、聞こえにくい人々」と他の障害の決定的な違いは、言語、言語獲得の問題が密接にからんでいること。
 何とか理解し整理して1本の映画にまとめましたが、その後各メディアの報道に触れると、ほとんどの場合が理解しないまま垂れ流している間違い原稿、映像だということがわかりました。

 映像の場合は、知らない人が勝手にイメージしたものの再現が多いような気がします。「聞こえない聞こえにくい人」の中にはイメージにたまたま当てはまる人もいて嘘ではなかったりもしますが、かなり偏った描き方が多く「聞こえない聞こえにくい人」の理解になかなかつながらないことが多いわけです。
 聴覚障害に関しては、NHKのバリバラでも、司会やレギュラー陣がいまいち理解しきれず番組が進んでいると感じることも多いです。 NHKには『ろうを生きる 難聴を生きる』という番組がありますから、そっちにお任せ的な側面もあるかもしれません。
 

 24時間テレビの場合は、最初に人ありきでなく感動物語ありきで、そこにあてはまる人をキャスティングするということだったのでしょうか。『感動』という切り口だけでは随分と漏れてしまうものがある気がします。近年は(企画の大きさによるのかもしれませんが)ありのままを伝えるといったように変化している部分もあるようですが詳しくはわかりません。

 自分の場合は最初に人ありきで始まっていますが(一目惚れから始まること多し)、最初に(ガチガチの)企画ありきだと類型に流れてしまいがちです。現実に起こったことを必要ないと無視するといったことも出てきます。
 24時間テレビも今後も続いていくのなら、仮に企画が類型に流れそう、あるいは類型こそがベスト(?)であるのなら、同時にあるいは深夜にでも補足説明的な企画をやると良いのかもしれません。24時間もあるのだから。 
 

 記事の最後で森田さんは次にように述べています。
「問題は、障害者を見えなくすることだと思っています」
「例えば、映画やドラマの中で、身体障害者が取り上げられるときは、主役が多いですよね。でも、リアルな学園ドラマや、街を映すときはどうですか?学校にいたはずの障害者、街を歩いているはずの障害者はそこには写ることはほぼない。障害者がいない、健常者だけの『きれいな世界』がそこにあるだけです」
「障害者を社会からいないことにしちゃいけないし、見えないことにしちゃダメなんですよ」

 現実には、障害者は学校に一人だけ、あるいは0ということも珍しくはありません。もちろん狙って写すということはあり得るかとも思いますが、まずは現実の方から変わっていく必要があるかと思います。ただ街中には障害者はあちこちにいるような気がします。車椅子に乗っている人、脳性麻痺で歩いている人、白杖を使っている人、手話使用者、補聴器をつけている人、ダウン症、おそらく知的障害であろう人など、(東京では)しょっちゅう見かけます。(ちなみに手話か?と思いきや、やたらと身振り手振りをつけて話す人だったりすることもありますが)

 これはおそらく私が当事者を見慣れているので目がいくのではないか、以前は気付いていなかっただけで視界に入っていなかったような気もします。
 ではどうやったら人々に意識のなかに障害者が入ってくるのか?

先日観たドキュメンタリー映画『風は生きよという』の出演者であり電動車椅子使用者の蛯原さん(SMA=脊髄性筋萎縮症)は映画のなかで「私の仕事というか役割は、外に出て人目にふれ障害者という存在を見てもらうこと」(というような意味合いのこと)と話していました。障害者もより多く街へ出る。
しかしスマホから顔を上げないと視界に入ってこないかもしれません。 


『24時間テレビ』と『バリバラ』 感動ポルノって?

2016年08月30日 | 障害一般

 “24時間テレビ ろう学校”で検索しこのブログにたどり着いた方が、1週間ほど前からかなりいました。3年前の24時間テレビで『ろう学校の生徒たちによるタップダンス』が行われ、そのことに関する書き込みが検索にヒットしたようです。
 24時間TV ろう学校の生徒たちのタップダンス

そこにも書いたように普段は『24時間テレビ』を視聴することはありません(たまたまテレビをつけて少しだけ観ることはあります)が、今年は『ろう学校生徒の踊り』があると知りその部分だけは録画して翌日に観ました。

 その時間帯の前には、サッカー日本代表の本田選手とアンプティサッカーの少年が出会いを果たすという企画もありました。
妻が気を利かせて録画しておいてくれたのですが、少年が本田選手を(本田選手の物まねで有名な)じゅんいちダビットソンと間違うというエピソ−ドもありました。
 リアルと言えばリアル? 『24時間テレビ』が狙った『感動』とは違ったものになったのでしょうか?
本田選手は松葉杖をつきながら少年とボールを蹴り合ったりするのかなと思いきや、本物とわかってもらう説明に終始。ボール蹴ればすぐわかりそうなものですが。
 また全体としてアンプティサッカーの印象度は薄かったような気もします。
 
 ちなみに以下の映像(障がい者サッカー連盟の各種サッカーの紹介映像)にもアンプティサッカー及び少年(ケンちゃん!)の映像もあります。よかったらご覧になってください。私が作りました。

サッカーなら、どんな障害も超えられる。 -障がい者サッカーの魅力


 今回のろう学校生徒のダンスは盲学校生徒達などとの合同よさこい踊り。ろう学校生徒によるダンスは既に過去放送しているし、盲学校との合わせ技でより感動を得ようという企画意図だったのでしょうか?
 障害理解という意味では拡散したような印象もありますが、 そもそも『24時間テレビ』は障害理解の一助となるような番組ではないように思いますし、そんなこと言ってもしょうがないのかなという気もします。
 24時間テレビは巨大なチャリティ番組(出演者のギャランティの問題で物議を醸し出すこともたびたびありましたが)で、募金の為には視聴者の心の琴線に触れる為には手段を選ばず(というか定番で押しまくる)ということでしょうか?
「文句あるなら観なきゃいいじゃん」と言われているような気がして、まったくその通りで、だから普段は観ないんですが。

 一つの障害のなかにも様々なパターンがありますし、別の障害を組みわせるととてもわかりにくくなったりします。もちろん異なる障害が出会うことにより見えてくるものの少なからずはあると思います。
 フィーチャーされていたろう学校の生徒は、口話が達者な女の子。手話単語もつけて発言していました。勝手に想像すれば残存聴力と補聴器活用、並びに母親の協力な指導(援護?サポ−ト?)もあり口話を習得。手話をいつ覚えたのかまではわかりません。
ちなみに彼女の発言は、広義の意味では手話という言い方も出来ますが、狭義(言語学的にみたりすると)の意味では日本語で手話ではありません。


 出演された方々に対して何かしら批判的な思いがあるということでは全くありませんので誤解なきよう。 


 今年は、裏番組の『バリバラ』(NHKのEテレ)で『24時間テレビ』を意識した内容が話題になっているようです。
自身も障害者であったステラ・ヤングさんの言葉を借りて、『24時間テレビ』を暗に『感動ポルノ』と批判したということですね。

 ステラ・ヤングさんは既に亡くなられたかたですが、彼女が発言した『感動ポルノ』のことはかなり前から話題になっていましたので関心がある方はご存知かと思いますが、インターネットでも講演録を読むことができます。
障害者は「感動ポルノ」として健常者に消費される–難病を患うコメディアンが語った、”本当の障害”とは
以下、少しだけ引用します。 

「私はそれらを『感動ものポルノ』と呼んでいます。(会場笑)『ポルノ』という言葉をわざと使いました。なぜならこれらの写真は、ある特定のグループに属する人々を、ほかのグループの人々の利益のためにモノ扱いしているからです。障害者を、非障害者の利益のために消費の対象にしているわけです』

  24時間テレビに則して言えば、『感動』のために障害者をモノ扱いして 消費しているということですね。ただそれを望んでいるのは『お茶の間の視聴者』であり、『24時間テレビ』側はそれに応えているだけだという言い方もあるでしょう。しかし『お茶の間』の意識も少しずつですが変わって来ているようにも思います。

 また『バリバラ』は『24時間テレビ』に対抗していきなりそんなことを言い出したわけではなく、番組のコンセプト自体が『感動ポルノ』から脱却するというか、障害者目線の番組作りを一環して続けてきています。私自身は番組開始からしばらくは毎週欠かさず視聴していましたが、その後は面白い時と面白くない時の差が激しく、現在は観たり観なかったりです。『バリバラ』では「笑いは地球を救う」というお揃いのTシャツを着ていましたが、『障害者目線』『笑い』のコンセプトだと、外しちゃうこともあるわけです。障害者に向かって「つまんねー」と言えるような視点も重要で、もちろんそれもありなんですが、つまんない時はつまんないというか…。


 確信犯で『感動ポルノ』であろうとする番組、ドラマ、映画は年々減ってきているように感じます。ただそこから脱しようとしても脱しきれない作品は多々あるかと思います。
 自分自身も『感動ポルノ』に堕すことのないように作品を作っているつもりですが、そういった要素を全て排除できているわけではありません。
 

 最後に『感動ポルノ』とは全く意味合いが異なりますが、感動するポルノ映画もあるという話。
 一般的なポルノは、性 の対象として女性をモノ扱いし消費の対象とする、ステラ・ヤングさんもそういった意味合いでポルノという言葉を使われています。
 しかし中には、感動するポルノ映画もあります。
 過去日本には、日活(後期はにっかつ)ロマンポルノという映画群がありました。当然テーマは『性』ということになりますが、そのなかには、『性』の対象としての女性を『モノ』ではなく『人間』として描ききった、傑作とでも呼ぶべき作品もありました。神代辰巳、田中登、曽根中生、池田敏春などの監督の諸作品等々。


 話は脱線しましたが、障害、あるいはポルノと言っても様々です。 AではなくB、Aが正義でBは悪といったような単純なことではないと思います。
一面的な見方では、全く見えないもの、見落としてしまうものがあるような気がします。
 

相模原障害者殺傷事件についての雑感

2016年07月29日 | 障害一般

 神奈川県相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」で起きた殺傷事件から数日が過ぎたが、いろんな思いが錯綜している。

 
最初の一報に触れた時は今年2月川崎の老人ホームで起きた殺人事件を想起した。またしても介護の現場で痛ましい事件が起きてしまったのかと。時折起きてしまう“職員による虐待”の延長線上の殺人。
 次に殺された方々の数の多さにただただ驚いた。
  そして
「障害者がいなくなればいいと思った」という趣旨の供述からナチスの優性思想に基づく障害者虐殺のことが即座に思い浮かんだ。現代においてこんなことを実行してしまう人間が本当にいたのか?という、驚き、恐怖、憤り。
 いったい何が起きてしまったのだろう?

 障害といっても実に様々だ。殺人犯は“誰”を殺したのか?報道では当初“重度障害”という漠然とした言い方だった。
 
衆議院議長に充てた手紙を読んだ。重度障害という言い方ではなく重複障害という言葉が使われていた。殺人犯は重度知的障害と何らかの障害の重複障害者を“ターゲット”に考えていたようだった。
 
殺人犯は職員として重複障害者のケアをするなかで「この人たちは何故生きているのだろう、何のために生きているのだろう?生きている意味があるのだろうか?」と考えたのだろうか?   殺人犯と同じ立場にたてば少なからずそんなことが頭に浮かぶこともあるだろう。食事介助や排泄介助が思うようにいかなかったり、家族と絶縁状態にある障害者と接すれば思いが強くなることもあるかもしれない。
 そこまでの部分には共感できるものもあるだろうが、その後「(役に立たない)障害者はいなくなるべきだ」と考え暴力をふるい凶行にいたった植松殺人犯はあくまで特殊事例だ。 仮に手紙の文面で一部共感できる点があったとしても、視覚障害者でもある藤井克徳・きょうされん専務理事も言うように、容疑者の言葉にふりまわされてはならないだろう。
 同様の立場の方々の多くは、何らかの解を見出し仕事を続け重度重複障害者のわずかな感情の変化をくみ取れるような職員になったり、「向いていない」とやめていったりするだろう。
 
 
 だが殺人犯の狂信的な優生思想に共感してしまう人々も少なからずいるのも悲しいながら事実だろう。
 現在の日本において、弱者を切り捨てるといった排外的な空気感が一部あることだけは確かだ。殺人犯もそのことを感じ取り、その空気感が殺人犯の歪んだ正義感を後押しした面も否めないのではないか。少なくとも殺人犯は、安倍首相の目指す社会との親和性を感じたことは確かだろう。
 
 強者のために弱者が切り捨てられる社会、弱者に寛容な社会、どちらの社会に人々は住みたいだろうか?どちらの社会が住みよい社会だろうか?

 亡くなった方々は実名ではなく年台と性別でのみ報道された。家族などに配慮してのことだという。確かに障害者関係の施設などに撮影取材依頼をしても断られたり顔を写せないといったことは多い。家族に障害者がいることを知られたくなかったり、あるいは家族で面倒をみることができず施設に預けていることを知られたくなかったり。現在においては致し方ない面もあるだろう。
 しかし殺された人々は障害者である以前に1人の人間であるはずだ。実名で報道されても問題の無い社会であってほしい、家族を入所させても後ろ指を指されない社会であってほしい。

 「措置入院をもっと長く」という議論も語られているようだが、この事件により精神障害者全般への偏見につながることがあってはならない。また日本は精神科に長期入院させてきた世界でもまれに見る歴史を有し、その問題は現在尚続いている。歴史が逆戻りすることがあってはならない。

 
 殺人犯は友人とのラインのやりとりで「話は障害者の命のあり方です。目、耳に障がいがある人たちの場合は尊敬しています。しかし、産まれてから死ぬまで周りを不幸にする重複障害者は果たして人間なのでしょうか?」と書き込んでいる。
つまり殺人犯は社会に有用な障害者、不用な障害者を分けて考えていたことになる。

 重複障害者や重度障害者が人間であることは間違いない。
しかし「何故生きているのだろう?何のために生きているのだろう?活きている意味があるのだろうか?」
 その問いに明確に答えらる人は多くはないかもしれない。
 
 だが仮にその問いを自らに向けた時、明確な答えを人々はもっているのだろうか?


(社会的には植松容疑者と呼ぶべきなのかもしれませんが、ここでは殺人犯という言葉を使用しています)