ユニバーサルシアターであるシネマ・チュプキ・タバタでドキュメンタリー映画「こころの通訳者たち」鑑賞。
この映画は、とある芝居に舞台手話通訳が付いた様子をまとめた「ようこそ舞台手話通訳の世界へ」というドキュメンタリー映像に音声ガイドを付ける様子を描いたドキュメンタリー映画。
いわば二重構造になっているのだが、ようするに「手話を見えない人に届ける」という、かなり無謀なチャレンジのドキュメンタリー映画だ。
その中心は、本作のプロデューサーであり、シネマ・チュプキ・タバタの代表でもある平塚千穂子さん。映画にもガッツリと出演している。
手話学習の際に「ラベル」と呼ばれる、表出する手話単語だけを抜粋したメモのようなものがあるのだが、それを役者のセリフと同時進行で、音声ガイドでも読み上げることを提案。 ある程度手話ができる私としては「いや。それはいくらなんでも無茶でっしゃろ」と心の中でツッコンでしまったが、「無知だからこそ踏み込めた、無邪気な提案」だった。
手話には「顔が主役で、手がおかず」と言われたりすることもあるように、手話単語以外の表出が言語として極めて重要な文法的な要素となっており、いわば手話の生命線でもあるからだ。
案の定、相談した手話通訳士からもかなりの反対を受けることになる。ちなみにその方は以前通っていた日本手話サークルの主宰者で、久々のスクリーン越しの再会で懐かしくもあった。
しかし平塚さんは、モニターである視覚障害者、ろう者、手話通訳者、ナレーター、介助者等を巻き込んで何とか打開策はないかと邁進していく。
「無知だからこそ踏み込んだ」場合、見るも無残な形になることも少なくないが、「目の見えない人にも映画を届けたい、共に鑑賞できるようにしたい」という変わらぬ思いで活動を続けてきた平塚さんだからこそ、ろう者、手話通訳者とも対話を積み重ね、解決の糸口を掴んでいく。
その平塚さんと、舞台手話通訳のドキュメンタリー映像を結びつけたのは、本作監督の山田礼於氏。その発想が、この極めて興味深い作品へと結実した。
この映画の後半では、音声ガイドを選択せずともガッツリと成果を聴かせてくれる。
通常、音声ガイドは映画本編の音声と出来るだけ重ならないように制作するが、本作の舞台手話通訳部分は役者のセリフと音声ガイドがもろに重なっている。音の調整はなかなか難しかっただろうと思う。
ただ、同時多発的な音声情報を視覚障害者の方々は聴き分けることにより、その感覚は、ろう者が舞台手話通訳を見ながら役者の演技をも同時に見ていることと、共通するものがあると思いを馳せることもできたようだ。
ちなみに私の場合は、手話が出てくると必死に見てしまい、それ以外の視覚情報が疎かになってしまいます。
映画「こころの通訳者たち」はシネマ・チュプキ・タバタの他、新宿K's cinemaでも上映中。