佐村河内氏関連番組の調査報告番組を視聴し、HPにアップされていた報告書を読んだ。
感想を書き記したい。
3月16日NHKとておきサンデーの枠内で、佐村河内氏関連番組の調査報告が行われた。
時間は10分ほどで調査報告チームの責任者が緊張気味に説明。
簡単に言えば「NHKスペシャルの番組関係者も気付けなかったと申しております。気付けなかった理由は、かくかくしかじか。すみませんでした。今後気を付けます。詳しくはwebで。」みたいな内容。
番組はとても薄い内容だったので、即座にNHKのHPにアップされていた調査報告書を読んだ。
http://www.nhk.or.jp/toppage/report/20140316.pdf
報告書を読んだ全体の印象は、そもそもディレクター(番組は提案者である契約ディレクターと職員ディレクターの2人体制)は番組制作にあたり、聞こえないとはどういうことなのか、中途失聴者はどういう存在でどういう特徴があるのか、何が大変なのか?、そういった番組のベースになることをきちんと調べて理解していたのだろうか? そして、何か番組作りの根本的な部分が、とてもとても浅い意識の上で作られているのではないか、そんな印象があった。
また伝音性難聴で骨伝導によりピアノが“聴けた”と言われているベートーベンと違い、感応性難聴の全聾あるとされていた佐村河内氏が本当に作曲したのなら「現代のベートーベン」どころかベートーベンをはるかに超えた奇跡の作曲家である。
そこまでの認識はあったのだろうか?
また基本的に疑っていなかったということが書かれているが、嘘をつくメリットがある人間の場合は疑ってかかるという批判的な目でみる必要もあったのではないだろうか。
次に報告書を目次別に見ていきたい。
目次は以下のようになっている。
1発覚の経緯
2訂正とお詫び
3ご出演、ご協力いただいた方々への対応
4番組で取り上げるまでの経緯、および番組の概要
5番組のチェック体制
6なぜ気づくことができなかったのか
(1)本人が作曲していなかったことについて
(2)聴力について
(3)3月10日の聞き取りで佐村河内氏が語ったこと
7今回の問題に関する報道について
8再発防止について
1~5は省略し、6から順次みていきたい。
6なぜ気づくことができなかったのか
(1)本人が作曲していなかったことについて
ー(事前調査したが)本人が作曲していないのではないかという情報はなかった。
ー「記譜するシーンを撮影しようとしたが断られた
ーしかし、 曲のイメージを本人に質問したところ、すらすらと全体構成図を書いた
ー「出来上がった曲はその通りになっていた」
以上の理由で気づかなったそうだ。見事に騙されたということだ。
ただ完成した譜面の音符の字体と表紙の名前の字体の違いに違和感を抱いたスタッフがいたそうだ。
“捏造”した創作ノートと照らし合わせれば、嘘に気づけたのかもしれない。
また、8再発防止の項で「佐村河内氏に関しては、そもそも、別の人物が作曲しているかもしれない、という想定はまったく持っておらず…」とあるが、私は存在を知った時から、かなりの部分を手伝うアシスタント的な人物はいるのではないかと思っていた。
前述したように、感音性難聴の全聾という状態で作曲しているのならばベートーベンより凄いことになり、すべての作業を1人でやっているとはとても思えなかったからである。
ベーシックな部分の作曲をするだけでも充分凄いと思っていた。
いったい何故そういうアシスタント的な存在を考えてもみなかったのか?
そうすれば何かが見えてくる可能性もあったかもしれない。
ただ会議では、聞こえない人がどうやって作曲するのか何度も話題になったようで、そういった意見も出たのかもしれない。
(2)聴力について
ー医師の診断書と障害者手帳の存在で信じこんだ。
ー常に手話通訳を介しての会話で疑わなかった。
ー新たに加わった職員ディレクターによると、佐村河内氏はとても流暢に話すので、最初は、「耳が聞こえないのにあんなに話せるものなのか」と思ったが、手話通訳の人から、中途失聴者はこれくらい話せると聞いたので、「そうなのか」と納得していた
流暢に話せるというのは、中途失聴者の特徴だ。発音は多くの場合、きれいだ。だから聞こえると勘違いされ大変な思いをすることがある。しかし、声の音量の調節ができずに静かな空間で場違いな大きな声を出したりしてしまうこともある。また発音はきれいでも、(うまく言えないが)声に表情をつけるのがなかなできない時もある。番組を見た時に、佐村河内氏が声の表情や音量にいたるまで完璧にコントロールしているので疑問をもった。
おそらくディレクターが疑問に思った点は、ただ発音がきれいだという点だと思われる。そうであるとすれば、理解や下調べが足りなさすぎないか?
もっと突っ込んだ疑問であるのなら、手話通訳者の説明くらいでは到底納得できないだろう。またそもそも手話通訳者は通訳するために現場にいるわけで疑問に答える相談役としているわけではないだろう。
耳が聞こえないと痛感した2つのエピソードも紹介されている。
ー(職員ディレクターが)新幹線の車内で会話中(手話通訳を介して)、トンネルに入りゴーッという音で声が聞き取りにくくなったが、佐村河内氏は同じ声の大きさで話続けていた。
聞こえる人なら声が大きくなるという理屈だ。まさに佐村河内氏の演技の見せところだったわけだ。
しかし前述したように、しゃべれるけど聞こえない人は静かなところで大きな声を出したり、自分の声の音量を調節できないことが多い。
そういったことを把握していれば、一定のトーン、音量でしゃべる佐村河内氏に対して違和感を感じた時があってもおかしくはなかったわけだ。
次に2つ目のエピソード
ー契約ディレクターが、石巻市の被災現場で「今日、どんなことを感じたか」をインタビューした際、佐村河内氏は車道に背を向けていたが、車が近くを走っても気づかなかった。ところがその後、車が視界に入ったらしく、突然驚いた素振りでインタビューをさえぎり、「(耳が)聞こえないので、車が急に来る感じがする」と言った。このときの様子は撮影素材に残っている。
撮影素材が残っているのなら、是非、公開してほしい!!
聞こえないのなら、突然視界に入ってくるのが当たり前なのに、何故佐村河内氏は驚いたのか?
驚くほど近くを通ったのか?
だとすれば風を感じたのではないか、振動も感じたかもしれない。
車との距離や車の大きさによっては、風や振動を感じない方が不自然ということもありうる。
もし仮にそうだとすれば、聞こえない演技をしていることに気づくチャンスだった可能性もある。
以下のようなこともあったようだ。
ー石巻でのコンサートのあとピアニストに演奏についての感想を言う場面を目にして、「不思議に思った」と言うが、「特別な感性を持っている人にはわかるのかな」と、それ以上疑うことはなかったと話している。
佐村河内氏としては、少し聞こえているのかもというぼろを出した瞬間というよりもむしろ、ピアニストの手の動きを見れば脳内で再生され“脳内”では聴こえていると言いたかった場面だったのかもしれない。
7今回の問題に関する報道について
ー契約ディレクターに関し、佐村河内氏の虚偽を知っていたかのような報道があるが、本人は全面的に否定
ーその裏付けとして、佐村河内氏とのメールのやり取りと、佐村河内氏の発言が引用。
一体全体、佐村河内氏の言葉が裏付けになるのだろうか?
だとすれば、報道の否定の根拠は「償いきれないほどの裏ぎりをした」という佐村河内氏のメールの文面だけになる。
根拠もなく契約ディレクターを疑ってはならないが、気づけなかった点も含めて、契約ディレクターに対する調査が足りないのではないか。契約ディレクターはNHK出版から本も出している。番組の制作以外の時間も佐村河内氏と時をともにする時間もあったようだ。
番組制作時以外は、調査対象外としているようだが果たしてそれでいいのだろうか。
ー被災地の少女を探し出したのはNHKスタッフではない。
これも裏付けは、佐村河内氏の言葉である。
8再発防止について
ー佐村河内氏の「音楽的経歴」については、両親への取材を申し入れたが、拒否された。友人にも話を聞いたが、佐村河内氏の経歴を疑わせる発言はなかった。もっと取材範囲を広げて裏付け取材を行えば、経歴が虚偽であったことを見抜けたかもしれない。
社会的に一定の評価が定着している人物を番組で取り上げるとき、その経歴や評価についてどこまで確認をとるべきなのか、番組制作の教訓として重くとらえている。
確かに、どこまで裏付け取材をするのかむずかしい問題ではある。
ただ、嘘をつくことによりメリットを得る可能性が高い人の場合は必須であろう。
また再発防止のためには、前述したようにベーシックな部分に対する理解がもっと必要なのではないだろうか。
今回の件で言えば、 聞こえない聞こえにくいこと、そしてそれにまつわることは、とても理解するのがむずかしい。
私自身の体験で言えば、ろう者サッカーのドキュメンタリー映画を撮った際には、(ある程度の)理解のために膨大な時間を費やした。
たまたまそういった蓄積があり、番組を見た時点でも疑問に思うところが多々あった。
ところが、疑問や疑念があるのにも関わらず、その後、佐村河内氏のことを特に調べたり何もしなかった。
そのことをとても後悔している。
ひょっとしたら嘘に気づけたのではないか。そこまでいかないまでも、確信をもっておかしいとは思えたのではないか。
新垣氏の会見の後しばらくしてから、本当に落ち込んだ。
ブログにしつこいくらい書き込み続けているのは、そんな理由があるからだ。
それはさておき、結果として間違った情報を垂れ流し、佐村河内氏個人の“嘘の”宣伝番組を多くの予算を使って制作した報告書としては、あまりにも物足りない。
再発防止のためにも、直接関わったディレクターやプロデューサーがきちんと肉声で語る検証番組が必要なのではないだろうか?