先日、映画「ザ・トライブ」を観に行った。
セリフ無し全編手話という紹介をされているウクライナ映画。手話があるということはセリフがあるということで、正確には翻訳字幕がない映画ということだ。オリジナル版にも字幕はないわけで、手話のセリフを理解できる人はウクライナ手話がわかる人だけということになる。映画を観る前の知識としては、上記以外ではカンヌで賞を取った。ストーリー的にはウクライナのろう学校の寄宿舎が舞台となっていて、暴力や売春がはびこっている的なこと。
それらのことから映画を観る前に想像したことは、手話の一部の視覚的要素を強調するという演出をすることでストーリーの流れはおそらく掴めるようになっているだろうこと。したがってストーリーもシンプルなものだろうということ。
で、実際そんな感じでした。
感想などの書き込みを読むといろいろと誤解している人もいるので説明しておくと、まず手話は各国によって違う。また視覚言語である手話であるからストーリーの進行がわかるというわけではなく、手話も全体として大きめで感情を込めた手話が使われていて、そのシーンで最低限わかっておいてほしい情報はわかるふうに演出されていた。もちろん手話だけの問題ではなく撮り方や様々な演出も含めてということである。スクリーンサイズはシネスコサイズ、つまり縦1横2,35の横長の比率(資料を確認したら縦1横2.39)。人物の配置は基本的には横並びで手話(顔と手)も少なくとも横からは見えるような構図となっていた。そして映画は1シーン1カットで進んでいく。良くも悪くも方法論先にありきの映画で先が読めないということはあまりなく、手話も細かくはわからないので途中で考えごとをする時間が妙にあった。
映画はサイレント映画ではなくしっかりと現場音があり、ろう者の息遣いなども聞こえてくる。学校の寄宿舎内を移動する足音などを聞いているうちに、なんとなくロベール・ブレッソンの映画を思い出した。ブレッソンの映画も足音などがとても効果的に使われているからだ。ひょっとしてブレッソンなども意識しているのかななどと考えながら映画を観続ける。ロベール・ブレッソンは成瀬己喜男監督と並び大好きな監督だ。
音の事を言えば、聴者(聞こえる人)の声は車の音で聞こえないようにされていたり窓外から撮ることによって聞こえないようにしたりと、映画から排除されている。またろう者の声(言葉ではなく音としての声)も演出上意図されている場面以外は排除されているようだった。演出上意図されている場面とは、非合法の堕胎やセックスの場面である。
映画の方は長回しで進んでいく。ドキュメンタリーっぽい長回しではなく、リハーサルを積み重ねた風の長回しである。ストーリー的には主人公がとあるろう学校に転校してきて寄宿舎に入る。そこでは盗み、売春などが行われている。通過儀礼?を通過した主人公は族=トライブのなかでの地位も徐々に上がり売春の手引きなどもするようになり、その女性を好きになってしまう。彼女が売春を続ける目的は閉塞したウクライナの聾学校の寄宿舎からイタリアへと旅立つことだった。そして悲劇的な結末を迎えるといった流れ。
キャストはほぼ全員がろう者ということで、いわゆるろう文化的な仕草が随所に見られる。会話する場面でまずは自分のほうを向かせる。時には強引に胸倉を掴んだりして。また聞こえないことによる悲劇も効果的に描かれる。大型トラックのバック音に気付かず轢かれてしまったり。隣のベッドで何かが起きていても気が付かなかったり…。
監督のインタビューを読むと、子どもの時に通っていた学校の近くにろう学校の寄宿舎があったようだ。そこでろう者たちのコミュニケーションの取り方、ジェスチャー、喧嘩の仕方などに惹きつけられたという。この体験とサイレント映画を作りたいという思いが合わさって映画として成立したようだ。ただ現実には音にもこだわった映画にもなっている。サイレント映画のテイストに、音と横長のカラー画面が加わった感じだろうか。音のことは当然ろう者の観客には伝わらない。例えばラストのエンディングでは男が立ち去っていく足音が建物を出ていくまで画面外の音として表現される。
また逆にウクライナ手話がわからない聴者、あるいはウクライナ手話がわからないろう者には会話の詳しい内容は伝わらない。全てに情報を知りえるのはウクライナ手話がわかる聴者のみということになる。かなり限られた人のみである。監督としては大きな流れを掴むために必要最低限の情報並びにエモーショナルなものを感じ取ってくれればそれで充分。その点は映像で伝え得るという確信に基づき制作したのだろう。
私自身も最初にろう者サッカー日本代表の合宿に行った際に、サイレント映画のような映画の原点に立ち返ったような映画を作りたいという思いにかられたことがある。「サイレントにして饒舌」な手話に魅かれたのだ。しかしその後再び合宿に行くととてつもなくしゃべる人もいて構想はあっさり崩壊した。撮影していたのはドキュメンタリー映画だったし、まさか難聴者の声を締め出すことはできない。ウクライナのろう教育事情はわからないのでキャストのなかには口話もできる人がいたかどうかはわからないが、いたとしても声は禁じられていたのだろう。
もちろんこの映画はフィクションであり、実際のウクライナのろう学校はどんな雰囲気なのだろうか。
ちなみにウクライナはデフリンピック(ろう者のオリンピック)では、メダル大国である。詳しいことはわからないが、デフリンピック選手にもオリンピック同様の強化費が支給され、練習環境も整えられていたようだ。(現在の状況はわからないが少なくとも2013年まではそうである)。男子サッカーは2013年大会が準優勝、2009年大会では優勝。女子バレーにいたっては他国を寄せ付けずダントツの世界一のチームである。ちなみに日本の女子バレーは2013の大会で銀メダルを獲得した。アメリカを破った準決勝は本当に心震えた。決勝のウクライナ戦はもう仕方がない、やりきっての銀メダルだった。現在チームは2017年トルコ大会でウクライナの牙城を打ち砕くべく、合宿を積み重ねている(はずだ)。ブルガリアデフリンピック以来、合宿に行けてないんですが。