ろう学校の野球部員の奮闘を描いた韓国映画「ホームランが聞こえた夏」を観にいった。
ろうの世界に関心があり、中高と元野球部で、韓国語も以前(20年以上前だけど)勉強していた自分としては、必見映画だったわけで。
で、感想はというと、うーん…。
キャストが撮影前に手話や野球の練習を積んだのだろうということはスクリーンからも伝わってはきたし、ベタだけどグッときそうなセリフもああったし、興味深い点もあったのだが。
興味深い点といえば韓国手話。
植民地時代に日本の手話が教えられた影響があるらしく共通の手話単語も多いらしいのだが、実際見ていてかなり似ているのもあった。
野望としては将来韓国手話を勉強したいとは思っているのだが。
それはさておき、映画に話を戻すと、健聴者側で話を進め過ぎる物足りなさはあったなあ。
野球部員側内部の描写が足りないというか、まあ手話への演出が大変だからだろうが。
ストーリーは、スポーツものの王道的な展開でそれはそれでいいのだけど、ろう的な観点や野球的な観点から見て、「どうなってんだー」という箇所が多すぎて…。
野球的な観点は、下手なポンコツチームが上手くなる設定なのだが、その野球のディテールの差異の描き方がずさんと言うか、丁寧に描かれてない。
当初は下手な設定なのに結構上手かったり、例えばスライディングもうまかったり。
うまくなった後の試合では、そこはスライディングだろうという部分でスライディングしなかったり、ボールの追い方が下手だったり。
劇画タッチの特訓とかは、まあそれはそれでいいと思うんだが、ストーリー展開や試合展開で説明するだけではなく、プレーの向上をもっときちんと且つさりげなく見せてくれないとなあと思った次第。
もちろんそういう箇所もあるのだが、荒い部分があることで台無しにしている印象だった。
その他にもバッテリーの食い違いなど、もう少しきちんと描くことで面白くなる部分はあったと思うのだが。
アメリカ映画とかだと、映画はつまんなくても野球に関する描写はしっかりしたりするんだけど。
次に聴覚障害的な観点。
ろう学校高等部の野球部の投手は、中学の時、試合中に突発性難聴になり耳が聞こえなくなってしまう。
つまり中途失聴者である。
中途失聴者の一番の苦悩は、「しゃべれるけど聞こえない」ことだ。
なかには健聴者の時ほどはうまくしゃべれなくなる方もおられるようではあるが、多くはほとんど健聴者と変わらないしゃべり方の人が多い。
だがその投手のしゃべり方はとんでもなく変だ。
なんというか、口話があまりうまくないろう者を真似て健聴者がしゃべるしゃべり方というか、
懸命にうまくしゃべれない風にしゃべっている。
むしろ普通にしゃべれるのに聞こえないことこそが大変だという風にした方が自然だし、よかったと思うのだが。
さらに驚いたのは、中途失聴者である彼がもっとも口形を読むのがうまい、読唇がうまい設定になっていたこと。
むしろ先天性のろう者のほうが、口形を読むことを長年強いられてきているはずだから、逆じゃないのかと思ったのだが。
突発性難聴になって2年たった設定であるし、両親は先天性のろう児と差別化を図りたかったようであるから、その間に特訓したのだらうか。
というか冒頭、試合中マウンド上で彼が突発性難聴で聞こえなくなった直後、キャッチャーが歩み寄ってきて、会話をするシーンがある。
彼としては、キャッチャーが何を言っているのかわからなくて、ごまかすのか、頓珍漢な応答をするのかと思ったら、普通の会話になっていて驚いた。健聴者の時から口形が読める設定だったのか。そんな馬鹿な。
まあそんなこんな(その他諸々)の違和感があったということですが。
なんだか批判ばかりしているようだけど、いいシーン(?)もあったといえばあったのだが。
強豪校がわざと三振したりする場面で元プロ野球選手の監督が
「同情はやめろ。こてんぱんに叩きのめされて、立ち上がる権利さえも奪うな」的なことを敵チームの選手たちに言うシーンがあり、障害者に対して安易な同情はやめろという重要なシーンになっているのだが、本来は当事者自身が怒るべきシーンだと思う。
少なくとも投手役は手を抜かれていることもわからない程経験がない設定ではないわけだから、投手の方から怒って行くべきシーンだったのでは、それを監督が代弁するというような。
まあ、きりがないのでこのへんで。