サッカー狂映画監督 中村和彦のブログ

電動車椅子サッカーのドキュメンタリー映画「蹴る」が6年半の撮影期間を経て完成。現在、全国で公開中。

障がい者サッカー7競技の紹介映像(解説付き)

2016年04月26日 | 障害者サッカー全般

 障がい者サッカー7競技を紹介した映像を制作、youtubeにアップされています。
 どうぞご覧になってください。 

サッカーなら、どんな障害も超えられる。 -障がい者サッカーの魅力

 使用している映像に年代のバラつきもあり、映像の流れにそって簡単に解説を加えておきます。主としていつ、どこの映像か、という解説です。
 競技自体の説明は各障がい者サッカーのHPや、このブログの過去の記事などを参照してください。


 知的障がい者サッカー
 全て2006年当時の映像。映画『プライドinブルー』からの抜粋です。
 2006年ドイツワールドカップ閉幕後、同じドイツで知的障がい者サッカーの世界大会が開催されました。大会には日本代表も参加。満員のスタジアムは開催国のドイツと日本の開幕戦。3万人ほどの観客が詰めかけ生中継もおこなわれました。
 その大会では思うような結果は残せませんでしたが、その後日本代表の実力も上がり8年後のブラジル大会ではなんとベスト4に進出!
 日韓ワールドカップの時から世界大会がワールドカップ開催地で行われることになり、次回はロシアで開催されます。

 日本代表のGKが当時通っていた秋田の養護学校(当時は特別支援学校という名称ではない)のサッカー部の映像も少し使用。10番の選手は本当にサッカーが好きな選手。試合に出てもほとんどボールに触れることはないのですが、とにかく楽しそうな表情でプレーする姿が印象的でした。


 ろう者サッカー(=デフサッカー)
 女子の映像は2009年台北デフリンピックに出場した“もう一つのなでしこジャパン”を追った映画『アイ・コンタクト』からの映像。
 男子の映像は、2015年5月におこなわれた“ろう者サッカー男子日本代表”vs“知的障がい者サッカー日本代表”の試合、2016年3月のろう者サッカー男子代表合宿の映像。合宿は今年6月にイタリアで開催される世界大会へ向けておこなわれています。
 後半の映像は、トルコデフリンピック(2017年開催)のアジア予選を兼ねたアジア太平洋ろう者競技大会韓国戦(2015年10月)でのゴールシーン。

 ちなみに女子日本代表チームがあるのは、七つの障がい者サッカーのなかでろう者サッカーだけです。(個人としては電動車椅子サッカー日本代表候補の選手などもいます。電動車椅子サッカーは男女混合)
 その他男女のデフフットサル日本代表チームもあり、昨年タイで世界大会が開催され、大会は劇的なシーンの連続でした。その時の映像も使用したかったのですが長さの関係で割愛しました。


 ブラインドサッカー
 いずれも東京で開催された2014年世界選手権、2015年リオパラリンピックアジア予選を兼ねたアジア選手権の2つの大会、並びに2016年3月の日本代表vs韓国代表の親善試合の映像。東京で開催された2大会は各メディアにも取り上げられていましたので目にした人も多いかと思います。
 視覚障害者のサッカーにはロービジョンフットサルもありますが、後半のほうでロービジョンフットサルの選手の映像があります。その映像はロービジョンフットサルとCPサッカーのクラブチームとの交流試合のなかの一コマ。


 電動車椅子サッカー
 試合の映像は、2012年8月のブロック選抜大会(各地区で選ばれた選手たちが集まって日本一を決める大会)、2013年1月オーストラリアで開催されたAPOカップ(日本が優勝)、2016年3月のドリームカップ(クラブチームが国際ルールの10kmで競技する大会)。その他も含めてすべて現在撮り進めている電動車椅子サッカーのドキュメンタリー映画からの映像です。
(映画は2017年7月に開催される世界大会まで追い、2018年3月完成予定)


 CPサッカー
 主として2016年3月に撮影。後半の練習試合は2006年撮影。
 クラブチーム(エスペランサ、ASユナイテッド)の練習風景、横浜みなとみらいで行われたイベントなどの映像です。
 CPサッカーに関しては(CPサッカーのルールにのっとり、双方がCPサッカーのチームである)試合映像がまったくありません。映像ではフットサルルールだったり、練習試合の相手が中学生だったりです。


 アンプティサッカー
 2016年1月静岡で開催れた『第1回静岡障がい者サッカーフェスティバル大会』の一環で行われた東西戦、並びに2015年5月開催のレオピン杯の映像。
 東西戦ではセルジオ越後氏から(映像のなかでPKを決めた)少年にMVPが贈られました。


 ソーシャルフットボール
 2016年2月大阪で開催された第1回ソーシャルフットボール国際大会の映像。見事に日本が初優勝を飾りました。
 
 他の6つの障がい者サッカーに関しては映像を見ればそれぞれの競技がなんとなくはわかるふうになったと思いますが、ソーシャルフットボールに関しては特性を描くところまではいってません。私の理解が足りていない、映像も足りないということによります。


 このブログで各障がい者サッカーごとに、各々の大会など詳しく書き込んでいるものもありますので是非目を通してみてください。

 


電動車椅子サッカーの選手たち

2016年04月04日 | 電動車椅子サッカー

 JIFF障がい者サッカー連盟設立前から各障害者サッカーなどについて書き込んでいこうという思いはあったものの、忙しさにかまけてほとんど何も出来ていなかった。

 例えば昨年10月に岐阜まで観に行ったCPサッカー全国大会。あるいはブラインドサッカー日本代表パラリンピック予選敗退のメディア報道で、“批判”がほとんどなかったことへのブラインドサッカー協会松崎さんの指摘のことなど、下書きして放置したままになっている。そのあたりは時期を逸してしまったが、“今日”は電動車椅子サッカーの選手たちについて少しだけ書こうと思う。


 電動車椅子サッカーの選手は、障害(難病)的には、筋ジストロフィー、脳性麻痺、脊髄性筋萎縮症(SMA)、脊髄損傷などがいる。昨年放映されていたドラマ内で電動車椅子サッカーをプレーしていた三浦春馬さんの設定はALS(脊髄性側索硬化症)だったが、実際にはALSのかたとはお会いしたことがない(認識できてない可能性もある)。
 
 電動車椅子サッカーにはクラス分けがあり、ざっくりいうと軽い方のクラスは主として脳性麻痺の選手、重い方のクラスは脳性麻痺以外の選手ということになる。

 各々の障害(難病)にもいくつかのタイプがあり、症状も個人によって異なる。
 筋ジストロフィーにもいくつかの型がある。私自身ヘルパーの資格をとり介護の現場も経験、実際体に触れることにより筋ジストロフィーを実感したりもした。その30代の男性が昨年亡くなった。彼は電動車椅子サッカープレーヤーではないが、この1年で(私の知る限り)電動車椅子サッカー関係者が6名以上亡くなった。なかには面識がある人も含まれていた。
 2013年1月オーストラリアで開催された大会に参加することになっていたが選手が大会直前に入院、その後亡くなるということもあった。
 そのなかの一人はお葬式を撮影させていただいた。撮影していいものなのか、撮影させてくださいとお願いしていいものなのか、かなり迷ったが ご家族にお願いして承諾をえた。

 若くして亡くなった人々の想いの延長線上に電動車椅子サッカーがある。
 その想いの一端だけでも、現在制作中のドキュメンタリー映画で伝えられたらと思っている。

 ちょうど1年前の4月4日も19歳の電動車椅子サッカープレーヤーが亡くなった。当日午前中も電動車椅子サッカーの練習をしていたという。面識もありFacebookのお友達でもあったが、その時は都合がつかず前夜式も葬送式も伺うことができなかった。せめて1年後、追悼文らしきものを書こうと思い、こういう書込みになった。


JIFF(障害者サッカー連盟)が青く染まった日

2016年04月03日 | 障害者サッカー全般

 4月1日に設立したJIFF(障がい者サッカー連盟)が、翌日、渋谷で開催されたWarm Blue Day2016に参加。
 それなら行かなきゃということで、行ってきました。立場としてはなんだかよくわからないけれどもボランティアスタッフみたいな感じで。 

 Warm Blue Dayは『世界自閉症啓発デー』。世界中を青く染め。自閉症のみならず様々なマイノリティへの理解を深めるためのイベントでもある。サッカー的に“青”は日本代表の色。そういった意味でもJIFFにとってもピッタリ。

 イベントには、ろう者(デフ)サッカー・フットサルの選手などを中心に各障がい者サッカーの選手たちが参加。

 電動車椅子サッカーの北沢選手は2日連続のフル参戦。Yokohama Crackersの清水選手などとともにデモンストレーション。他競技の選手たちも興味津津、キック精度の高さに驚いていた。
「そりゃーそうだ」北沢選手のキックの精度はおそらく日本一ですから。

 たまたま通りかかった人々もブラインドサッカーなどを体験。おみやげはSAMURAI BLUEのタオルマフラーと障がい者サッカーHAND BOOK。HAND BOOKには各障がい者サッカーのことがわかりやすく書かれている。

 ソーシャルフットボール、ブラインドサッカー、CPサッカーの選手たち、北澤会長、東ちづるさんも姿を見せた。

 デフフットサルとソーシャルフットボール間のガチンコ試合をやってほしいと思っていた私は両者間の橋渡しを。(最近手話を使っていなかった私は午前中は手も動かずしどろもどろだったが、手話を見たり手を動かしている間に少し勘が戻ってきた) 

 同じルールでやっている競技団体同士はどんどん強化試合をやっていってほしい。そういった試合を他競技の選手たちが観に行って刺激を受けたりだとか。
 もちろん異種競技間の交流をメインとしたイベントも大切だがつながれるところからつながって、“ガチンコ”の試合が増えていけば良いと思う。

PS 既にそういった試みは各地で進みつつあるようです。 代表同士のガチンコももっと見てみたい!

障がい者サッカー連盟 JIFF 設立

2016年04月02日 | 障害者サッカー全般

障がい者サッカー連盟JIFFが設立された。
(連盟のHP http://www.jiff.football/
過去10年間各障がい者サッカーと関わって来た身としては、とても感慨深い。

JIFFとは、Japan Inclusive Football Federation。Inclusive(インクルーシブ)とは包括するという概念、つまり何者をも排除しないということでもある。
以前は健常者スポーツと障害者スポーツの管轄が違うということもあり、健常者サッカー(何だか変な言い方ですが)と障害者サッカーは分断されてきた。 以前も細いパイプが皆無ではなかったが、今後はJIFFが双方の大きなパイプ役となる。

障害者差別解消法が施行された4月1日、JIFFの設立発表会がおこなわれ私も行って来た。
発表会には各団体より1名ずつ選手も来場し挨拶や質疑応答に対応した。いずれの選手も旧知だったり、面識はなくても試合を観ていて知っている選手ばかり。
知的障がいサッカーの内堀選手などはうまく答えてくれるだろうかと勝手に心配したりドキドキしたりしてしまったが、それぞれの選手の受け答えからメディアの方々も何かしらのものを感じ取ってくれたのなら良かったのかと思う。
ろう者サッカーからは河野選手。河野選手は拙著『アイ・コンタクト』(岩波書店)で、人口内耳のフットボーラーとして紹介した選手。手話よりも口話を先に身につけたわけだが、発表会ではしゃべりながらの手話(というか手話がついた口話)と、音声日本語を発しない(しゃべらない)手話の2パターンで受け答えしてくれた。
多くの選手に共通していたのは、知ってもらいたい、プレーを見てもらいたい、日本代表と同じユニフォームを身に纏いたいという想い。
それらのことが実現できることを願っている。というか、願っているばかりでなく出来ることはやるつもり。

また発表会のオープニング映像を作らせていただき会場で流してもらった。こちらは後日HPにアップされる予定。 

もう少しいろいろ書き込もうと思ったが、力尽きました。