サッカー狂映画監督 中村和彦のブログ

電動車椅子サッカーのドキュメンタリー映画「蹴る」が6年半の撮影期間を経て完成。現在、全国で公開中。

明治日本の産業革命遺産の光、影、疑問

2015年07月19日 | 日記

 世界遺産登録に関してブログに書き込もうと思っていたのですか、延び延びになっていました。
 何故かと言うとなでしこジャパンのせいです。女子ワールドカップ決勝前夜に世界遺産登録が決定したのですが、その時の私の頭のなかはなでしこジャパンで溢れかえっていて…。
 
(以下サッカーに関する記述が続きます。関心がないかたはこの段落のみスルーしてください)
 「日本とアメリカのマッチアップを考えるとロイドのところがこわい。自由に動き回ってマークを掴みづらいし。センターバックがマークするのか?ボランチがマークするのか?センターバックがいくとしたら岩清水選手。サイドに展開されてクロスを入れられた時は熊谷選手が残っているほうがいいし。センターバックがつり出されそうになったらボランチがマーク。右なら阪口。左なら宇津木。うーん。ロイド要注意!要注意!要注意!」「その他気になるマッチアップは宮間選手とアメリカの右サイドバック、クリーガー選手のところ。クリーガー選手身体能力高いからな。味方につければ頼もしいお姉様なんだけど…。そのあたりも不安!不安!不安!そこは宇津木がフォローしてくれ。そうするとロイドがフリーになってズドン!いやいやいや…」

 そんなことが頭のなかで渦巻いていたので世界遺産登録決定!と聞いても「あ、そうでっか」という感じになってしまい…。
 世界遺産に登録された三池炭鉱のある大牟田市は私の生まれ故郷なのに!
   実家が荒尾市に引っ越したので万田坑はすぐ近くなのに!
 
 ということで世界遺産登録に関して、私の地元中心に書き込みます。
 世界遺産に登録されたのは福岡県大牟田市が三池港、三池炭鉱宮原抗、三池炭鉱専用敷跡。熊本県荒尾市が三池炭鉱万田抗。

 そう、韓国から「朝鮮人が強制的に働かされていた」抗議を受けた施設です。日本政府が「1940年代に意思に反して連れて来られ、厳しい環境で働かされた多くの朝鮮半島出身者らがいた」と述べ、いわば玉虫色の解決を図ったところです。
 『強制徴用』に関しては国内でも議論がわかれるところですがある種の強制性があったことは確かで、明治日本の産業革命遺産が対象としている1850年代から1910年以降のこととはいえ、こういった負の歴史も後世にきちんと伝えていくべきだと思います。
 
 当初、明治日本の産業革命遺産は1850年代から1910年までを対象としており、『負』の部分はその後のことで世界遺産登録には緩解のない話という議論がありました。確かにある時代にスポットを当てることにより見えてくる歴史は、確実にあるでしょう。しかし連続性を無視してしまえば必ずや何かを見失ってしまいます。歴史は連綿と続いていくものですから。
 
 ところで有明海は世界で二番目に大きい干満の差があります(だったと思います)。大きな船が入るために切望されていた三池港の開港(1908年)。そこから多くの石炭が運び出される。そして戦争へと向かう時代。ある種の活気にはつつまれていたのかもしれません。1930年代にはヒトラーユーゲントも来日し立ち寄ります。映画監督の森崎東氏も、当時かなりの衝撃を受けたようです。そこには〝熱狂〟があったのでしょう。   
 
 もちろん炭坑には負=影の歴史のみならず、強烈な光の時代もありました。黒いダイヤを求めて多くの労働者が集まり街は活気に満ちあふれます。
 そしてエネルギーの主流が石炭から石油と移り変わるなかで再び影の時代へ。総資本対総労働の対決と呼ばれた三池争議、458名の人々が亡くなり多くの一酸化炭素中毒患者を出した炭塵爆発。高い高い塀に囲まれた三池工業の甲子園大会優勝。優勝パレードに目を輝かせていた原辰徳少年。
 三池工業は、強制的に宮原抗で働かされていた囚人たちが収監されていた『三池集治監』の跡地にあります。宮原抗は昭和6年まで続いた囚人労働で有名。またその昔は囚人のみならず女性も坑内で働いていました。戦前には朝鮮人のみならず多数の中国人も働いていました。また与論島出身者も過酷な労働を強いられていました。そして1997年の閉山。

 大牟田の街は人口も減少し、現在は認知症への取り組みが注目されています。
 そんななかでの世界遺産登録。近年にない明るいニュースでした。

 詳しくは
 大牟田の近代化産業遺産のHP https://www.miike-coalmines.jp/
 荒尾市万田抗のHP http://www.city.arao.lg.jp/mandako/


 それにしても何故、明治日本の産業革命遺産は1850年代から『1910年』までなのでしょう。何故明治の最終年明治45年(=1912年)ではなく『1910年』までなのでしょう。
 『1910年』と言えば日韓併合の年。
 日本が開国し明治維新を経て西洋列強並に植民地を持つにいたった。そういった流れのなかの産業革命遺産というようにしか読み取れないのですが。
 何故1912年ではいけなかったのでしょうか?このあたりも相当韓国を刺激したように思うのですが。1912年にすべきだったと思いますが、何か他に特別な理由があるのでしょうか。あるいは1850年代~明治末でもよかったのでは。しかし英訳する場合にはやはり具体的な西暦年号が必要となるのでしょうか。
 (日韓併合の解釈論争はここではしません)

 また他の地域に目をやると、何故、萩の城下町までが世界遺産に登録されたのでしょう?
 松下村塾も何故?と思わないでもないですが、こちらは人的資源を輩出したということでは理屈は通っているといえばそうかなという感じです。それでもかなりの疑問符はつきますが。韓国から見ると安重根が暗殺した伊藤博文を輩出したところでもあり、安重根が韓国内で英雄的な扱いを受けていることを考えると韓国を刺激する点はあったかもしれません。
 松下村塾はいいとしても何故、城下町まで?山口県出身の安倍首相の影響なのでしょうか?

 個人的には萩は好きなところです。生まれて初めての一人旅で泊まったところが萩市。市内、松下村塾など見てまわりました。中学生の時のことです。その後も一度訪れたことがあります。吉田松陰に関する本も高校の時に何冊か読みました。

 
 歴史には光と影、そして闇があります。影や闇だけを取り出してみることは著しくバランスを欠きますが、光のみで歴史を語ってしまえば途端に語り部にとって都合の良い歴史に堕してしまいます。
 光があれば必ず影があるということは、歴史そのものが証明してくれています。


新国立競技場は 障害者スポーツと生涯スポーツが出会う場に

2015年07月18日 | サッカー

 新国立競技場の建設計画を白紙に戻すことになった。
 誰もが感じるように安保法案で支持率が下がった安倍内閣の支持率アップのためだろう。安保法案とたまたまタイミングが合わなければこの無謀な計画は多くの人に反対されながらも突き進んでいったわけだ。

 当初の予定より膨大に膨らんだ予算、足りない分はtotoの収益金からも捻出されることになっていた。ということはその分何かが削られるということだ。そんな金があったらアスリートに回せよ!と誰もが思うだろう。障害者サッカーの場合も、totoの収益によるスポーツ振興くじ助成事業から助成金を得ているが、かなり細かいチェックも入るようだ。そのくせ新国立競技場にはとてつもない金額が出ていくのにどんぶり勘定かい!!思わず突っ込みたくもなるだろう。

ともあれ新国立競技場はゼロベースから考えることになった。その結果ラグビーワールドカップには間に合わなくなった。ラグビーファンとしては落胆した人も多いだろう。開催地として決まっているスタジアムで決勝の開催条件を満たしているのは横浜国際競技場だけなので、横浜で開催されることになるものと思われる。東京会場は消去法で味の素スタジアムになるのだろうか?秩父の宮ではキャパシティだ少ないだろうし。
 芝の問題はどうなるのだろう。日韓ワールドカップの時もなかなか芝が根付かない競技場もあり不安視された。例えば埼玉スタジアムも2001年におこなわれた日本代表vsイタリア代表の試合は芝生が根付かずプレーに大きな影響を与えていた。本番には間に合ったが開催前年ではなく同年完成の場合の芝はどうなんだろう。男女サッカーの決勝は新国立競技場で行われるだろう。芝に足をとられて苦労するなでしこジャパンなど見たくない。この点もきちんとクリアしてほしい。

 日韓ワールドカップで思い出すのは、東京が開催地として立候補しなかったこと。東京都民としてとても落胆したことを覚えている。サッカーワールドカップを開催した国で、首都が開催しなかった国は他にあるのだろうか?
 もし東京で開催されていればその時に新国立競技場が誕生していたのだろうか?
 その後国体のために味の素スタジアム(以前の名称は違いますが)を作ったわけで、それならば7万人収容の新国立を作ろうという話になっていても不思議ではないようには思う。サッカー的には景気は良かったが世間的にはバブル崩壊後だったので、シンプルな新国立競技場ができていたのかもしれない。そうすれば今回のような問題も起きなかったのかもしれない。

 過去はともかく新国立競技場の未来像を考えると、やはり基本的な理念が必要だと思う。神宮外苑の大きな歴史の流れも考える必要があるだろうが、五輪後のスポーツ施設としての具体的な未来像だ。
 陸上、サッカー、ラグビーができる競技場として残すのか?残せるのか?
 サブトラックは五輪後、なくすことになっていると聞いていた。しかし陸上の大会が開けるようにするためにはサブトラックを残す必要がある。
 サブトラックはやはり残すべきなのではないだろうか。地下にサブトラックを設計する案も見たことがある。どの程度実現可能なものかわからないが検討には値するだろう。サブトラックを残さないのならトラック部分は撤去し球技専用競技場に改装すべきだろう。 

 サッカー、ラグビーをおこなうためには芝を良い条件で保つための条件整備が必要だ。日照の観点からいって観客席の屋根はどの程度まで許容範囲なのか?
 資金回収という観点にたてば、可動式屋根をつけてコンサートを開くという考えは当然あるだろう。しかし芝の日照を考えるとかなりの広範囲の可動式屋根となる。そのぶん建設資金も膨れあがるだろう。また可動式屋根があることで維持費も高くなるだろう。コンサートを一度開くとかなり芝がいたむということも、あらかじめ考慮しておかなくてはならない。だとすると可動式屋根をつけることは本当に得策なのか?
サブトラックも含めて市民をは多く受け入れ、またスポーツ施設の象徴的な存在とすることで大局的に医療費の削減につながるような取組ができないものだろうか?
 新国立競技場は、オリンピックのメインスタジアムであるとともにパラリンピックのメインスタジアムでもある。例えば高齢者が障害者スポーツができる環境を整える。競技用の車椅子をレンタルして車椅子マラソンをやったり、そうすることで健康増進につながる。その他様々な障害者スポーツを高齢者が経験、日常的にもおこなう。
 新国立競技場がそういったことの全国への発信源となればいいのではないか。
 さあ、爺さん婆さんどんどん寄っといで! 巣鴨も楽しいけど新国立競技場も楽しいよ!地方からも観光バスで乗りつけろ。楽しいのはゲートボールだけじゃないぞ。電動車椅子サッカーだってあるぞ!
 
 そこにいけばすべての障害者スポーツに触れることができる、理解することができる場所にする。パラリンピックだけを見て『感動をありがとう!』 しゃんしゃん!!ではなくパラリンピックがきっかけになるべきだ。そしてまたパラリンピック競技は障害者スポーツの一部でしかない。そういった障害者スポーツに出会う場として、子供たちが授業の一環で新国立競技場を訪れる。
 忙しいぞ新国立競技場。障害(者)スポーツと生涯スポーツが出会う場だ。
 興行収入だけではなく、医療費の削減、教育という観点から元をとる、そういう発想はないだろうか?

 戦争の観点から言えば障害者は『ごくつぶし』だ。ナチスからすれば『虐殺の対象』だ。
 でも障害者スポーツのアスリートはカッケーぞ!!


『聲の形』とデフフットサル女子

2015年07月18日 | 手話・聴覚障害

 少年マガジンに連載されていた『聲の形』(ろう者の女の子が主人公)とFC岐阜のコラボマッチが、7月12日(日)に開催されたそうです。作者が岐阜県大垣市の出身で岐阜に縁があるからのようです。 また『聲の形』の主人公がろう者の女の子である事から、今回デフフットサル女子日本代表もなんからの形でコラボしたようです。
 詳しくは、FC岐阜のHP http://www.fc-gifu.com/information/9634 

 本当は開催前に『聲の形』の感想なども含めてブログを更新しようとしていたのですが、書きかけたままになっていました。

 『聲の形』に関しては以前少年マガジンで読み切りで掲載された時に目を通し、ブログにも書き込みました。2年ほど前のことです。
ブログの記事
http://blog.goo.ne.jp/kazuhiko-nakamura/e/e4a8cb73159732effc738312c8699c00

http://blog.goo.ne.jp/kazuhiko-nakamura/e/5458045089e308a1ceec8ae0088a5c4c

その後、今年に春ですが単行本全7巻をやっと読み、ブログに書きかけて放置していました。途中までは春に書きかけていた文章です。
 
 「この漫画がすごい」男が選ぶ第1位にも選ばれたわけだが、多くの読者が関心を引いた理由は以下のようなことになるだろうか。
いじめを扱ったこと、そこに障害がからんでいること、主人公の将也がいじめる側からいじめらる側になるという両面を描いていること、そしていじめた側といじめられた側の関係の修復が描かれた(描かれつつある)こと。しかも“少年誌”の連載という形であったことなど。
私自身も上記の点は画期的だとは思う。
ちなみに手塚治虫文化賞新生賞にも選ばれたそうで、受賞理由は「障害者と『いじめ』という重い題材から力強い希望と再生の物語を紡ぎ出したことに対して」だそうです。

 感想などを読むと描写そのものもかなり評価されているようだが、その点はそれほどか?とは思うものの、きっと相対的にはいい作品なのだろう。
 全体の印象としては、大枠の構成が当初からありそこにエピソードが詰め込まれた印象で心情的な部分は弱いような気もした。自殺へといたる女の子(西宮硝子)の心情が少々理解しにくいように思った。
 作者のインタビュー記事によると全体構成として主人公の将也目線で描き、(基本的には)将也が見聞きした事以外は描かないという意図もあったようだ。読者は知っているのに登場人物は知らないという構成がいやだったのかもしれないが、硝子のことは情報として小出しにした方が得策という目論見もあったのかもしれない。

 作者の母は手話通訳士だそうだが、漫画内の手話に関しては静止している絵ということで書く方も苦労があったと思う。手話のどの部分かはおおよそわかったが、1箇所だけわからないところがあった。ちなみに作者は岐阜県出身のようで東京とは違う手話表現だと思った箇所もあった。

 硝子の聞こえない聞こえにくい部分に関してはかなりわかりにくいことになっている。というよりあまり現実にはいなさそうな設定になっている。読み進めている間、いったい硝子はいつ手話を覚えたんだろう、何故日本語力がかなりあるのだろうと凄く疑問だった、というか不思議だった。「まあ漫画だから手話ができる設定にしておいた方がストーリー的には好都合で、そうしているのかな」と考えるしかなかった。 
 
 実際の聴覚障害者は大きく二つに分けることができる。ろう学校に通い、ろう社会と何らかの接点をもち手話を身に付けている人々、そのなかには親も聴覚障害者でデフファミリーと言われる人々もいる。そして聴者(聞こえる人)の学校に通い、ろう社会との接点もなく手話を身に付けることのなかった人々である。今年聴覚障害者の議員が2名誕生したが、明石市市議の家根谷さんは前者、北区区議の斎藤さんは後者である。
(かなり以前は小学校に通うこともできなかったという時代もあった。また後者であっても大学入学や成人後に手話を身につけた人も多い)。

 『聲の形』の主人公・西宮硝子はどちらにもあてはまらない。
 小学校6年生までは普通校に通っているが手話は出来る。口話は苦手だが日本語力はある。こういう人は(私の知る限りでは)現実の世界では少ない。 親がともに手話を覚え、普通校に通っていても手話ができる。口話もできる。日本語力もあるという人は少数ながらいるだろう。今後は増えてくる可能性もある。

 硝子のプロフィールを漫画にそってみていくことにする。彼女は胎内にいる時の何らかの感染症で聞こえない子供として生まれてくる。しかし聞こえないということがわかったのは3歳の時だ。硝子くらいの年齢であればもっと早期にわかる場合が多いが、障害者手帳をぎりぎり取得できるくらいの聴力の場合はわからない場合も多い。
 聴覚障害者ではなく知的障害を疑われる場合も多い。しかし硝子はもっと重度(105~110db)でそれくらいの聴力レベルで3歳までわからないケースは21世紀に入ってからだと極めて珍しいだろう。作者は彼女を口話があまりできない設定にしたかったようで、そのために3歳までわからない設定にしたのだと思われる。もっと早くにわかった場合は聴覚口話法で口話がかなり出来るようになる人も多い。 ちなみに右耳は徐々に悪くなり高校の時点ではほぼ全く聞こえなくなったようだ。

 聴覚障害があると分かった時に、母は義父から「わざと隠してたんだろう。わしらの家にあーゆーのはいらん」とののしられ、産んだ母親のせいにされ、夫と義父母から離婚を迫られる。「今時こんな人たちがいるのか!」とも思うが、いつの時代でもいろんな人がいるわけで。とにかく作者は父母にではなく、『母』に育てられる設定にしたかったようだ。この点は作者のかなりのこだわりがあるのかもしれない。
 
 まあとにかく聴覚障害児はここからが大変である。言語をどうやって獲得するかという大問題に直面するわけだ。それをどう解決するか、多くは母親に委ねられる。補聴器を付け、ろう学校幼稚部へ通い、自宅に帰って聴覚口話法で来る日も来る日も発音練習。つまり自然言語でない日本語を第一言語として覚えるということである。もちろんいろいろと調べたうえで手話を第一言語として覚えるという選択をする親もいる。
 しかしこの漫画では言語獲得の大問題は祖母が担ったようだ。おそらくろう学校の幼稚部には通って口話練習も繰り返したようだが、祖母が鬼になれなかったぶん(?)あまり口話は身に付けられなかった。しかし手話は手話サークルに通って覚えたようである。ほぼ第一言語として覚えたものと思われる。そして少なくとも小6の時点で書記日本語もかなり使いこなせるようになっている。つまり硝子はそれなりのレベルで手話と書記日本語のバイリンガルであるように思える。実際、筆談の日本語も問題がないように描かれていた。
現実の聴覚障害児にとっては、日本語力を 身に付けることが大変だ。しゃべるということではなく書記日本語(書いたり読んだり)の力である。助詞の使い方や音読み訓読みの読み分けなどの苦労する場合が多い。

 母親は言語獲得の大問題は祖母(自分の母親)や妹(娘)に委ねたようだが、とにかく普通校に通わせることにはこだわったようだ。離婚をせまられた元夫や義父母に対する意地ということなのだろうか?
 硝子が普通校でいじめられてもから普通校に転校。その後さらに大きないじめがありあきらめたのか、ろう学校に転校させることにしたようだ。 硝子は手話もできるのだから、硝子としてはろう学校に行ったほうが確実に楽だが硝子の意志はよくわからない。というか描かれていない。漫画ではろう学校という名称は不自然なまでに避けられているし、描写も全くない。何故描写がないか?前述したように将也が知らないことは描写しないことにしたかららしい。

 繰り返しになるが、硝子は小学校6年生までは普通校に通っているが手話は出来る。口話は苦手だが日本語力はある。このことはかなり特殊な設定であり、そのことが聴覚障害者の理解という点ではわかりにくくなっている。
 漫画というフィクションに対してくそリアリズムで語るのは本当に野暮だが、硝子は聴覚障害者のことを知らない人が思い描いたとおりの設定になっているとも言える。そのほうが漫画的に好都合だからだろう。
 
  硝子はかなり特殊な設定だが、作者の母親が手話通訳士であったり、全日本ろうあ連盟も当初は監修していたようなので裏付けはなされている。ただ正直かなり苦しい説明になっている印象だった。

 ぐだぐだと書き連ねて、まとまらない文章になってしまいました。

 ところでFC岐阜のスタッフのかたとは、以前(確か2010年)岐阜県内で開催されたCPサッカー(脳性麻痺7人制サッカー)の合宿地でお会いしたことがあります。合宿中に私の監督作「アイ・コンタクト」の上映会があってFC岐阜のスタッフのかたが観に来られたんです。

 冒頭で触れたデフフットサル女子日本代表は、11月20日~28日、タイで開催される世界大会に参戦。グループリーグは、ロシア、トルコ、スペインと同組。ロシアは前回大会優勝の強豪。参加国は16か国。
 男子は、トルコ、ノルウェー、ベネズエラと同組。トルコは前回大会優勝国。男子も参加国は16。
 男女チームとも世界大会に向けた強化合宿を積み重ねている。

 (参考)
日本ろう者サッカー協会HP  http://jdfa.jp/
日本ろう者サッカー協会 フットサル委員会公式HP http://deaffutsal.grupo.jp/


なでしこジャパンの準優勝、そして新国立競技場で…

2015年07月18日 | サッカー

 なでしこジャパンの準優勝から随分たってしまいました。ブログも少しだけ書きかけて放置したままになっていました。忙しかったということもありますが決勝戦の16分間の4失点で打ちのめされたということもあります。安保法案、新国立競技場などに関心がいっていたということもあります。(もちろんその2点については今後も関心は継続します)

 それはさておき、準優勝という結果は大会前の予想通りでした。
 グループリーグ1位抜けはするだろう。日本のヤマのほうがはるかに楽な組み合わせだったし苦しみつつも決勝にはなんとかいくだろう。しかし決勝で対戦する可能性が高いアメリカ、ドイツ、フランスには勝てない確率の方が高いだろう。多少なりとも女子サッカーに興味がある人なら想像の範疇だったと思います。もちろん優勝を願ってはいましたが。
しかし2対5というスコアはさすがに予想外でした。多くの人が語られているようにアメリカの1点目、ラピノーのグラウンダーのコーナーキックにロイドが走り込んだ瞬間は絶句しました。映像を見返しましたがTVのフレームの外から凄い勢いでロイドが走り込んできました。その2分後にもラピノーのFKからロイドのゴール。この時は岩清水選手がロイドのことをとっても気にしながらもフリーにしてしまいました。その9分後には岩清水選手のクリアミスをホリデーに決められます。
 この3点に共通していたのはいずれもアメリカの右サイド=日本の左サイド=宮間サイドからチャンスを作られたこと。昨年のW杯のコートジボワール戦で香川サイドを執拗に攻められたことをふと思い出しました。アメリカはそもそもラピノーやクリンゲンバーグの左サイドの連係から崩す場合が多いですが、左サイドを意識させておいて右サイドへ展開というふうな感じでもありました。
まあ要するに守備の面では弱点でもある宮間選手の裏を狙ってきた。というより宮間が中に入ってくる傾向が強く、そうすると日本の左サイドが手薄になる。そこを狙われる。そんな感じでもありました。決勝に関しては宮間選手をトップ下におく4・2・3・1や、4・4・1・1でスタートしたほうが良かったようにも思いました。アルガルペカップの最終戦などうまくいった試合もありましたし。
  日本にとってアメリカは、普通にやって勝てる相手ではないと思っていました。秘策や特別なことが必要だ。システムやメンバーもいじった方がよいのではないか。うまくいっているチームはいじらないという定石がありますが、定石では勝てるとは思えなかったんです。
 試合開始直前の両チームの表情を見て「やばいんじゃないか」と不吉な予感がしました。笑顔から入るのはなでしこジャパンの強みですし世界一の気持ちの切り替えの速さもあるかとは思いますが、立ち上がりから押されるような気がしました。
 何というかある種のすがすがしさというか、やるべきことをやったうえでその場にたっている潔さというか、何かさばさばしたものを感じました。慢心とは違うのですが「死んでも失点しない」的な感じがないというか。気持ちの持っていき方に少しだけ疑問を感じました。まあ 私の男性的・オヤジ的な発想のほうが間違っているんだと自分に言い聞かせましたが。
 しかし、キックオフが準決勝までと同じような形だったので不吉さは増しました。
 いろんな意味で「試合の入り方」はどうだったんでしょうか? アメリカのほうが一歩上手だったと言えばそれまでですが。

 ところで各メディアでも語られていますが、世代交代はまったく進みませんでした。来年のリオ五輪に向けて世代交代がうまく進んでいけばいいですが、そう簡単ではないと思います。
 リオ五輪をどう位置づけるかによっても変わってくるかもしれません。2020年の東京五輪に向けての大会と捉えるのか? 後のことは考えないで金メダルを取れる可能性のみを探った人選、考え方で臨むのか? 登録人数も23人から18人に減りますし、常識的に考えれば澤選手は選ばれるべきではないでしょうし選ばなくてもいいような状況にならないといけません。また宮間選手も圧倒的なキックの精度、高いキャプテンシーなど、高いパフォーマンスが示せる最後の大会になるかもしれません。
 
 その前に2枠しかないアジア予選を突破する必要があります。簡単なミッションではありません。今大会ベスト8のオーストラリア、中国、ベスト16の韓国、そして北朝鮮もいるわけですから。

 以前、サッカー日本女子代表が2000年シドニー五輪出場権を獲得出来なかったために、なでしこリーグもどん底にあえいでいた時代がありました。私が女子サッカーを観始めたのは2002年ですが、ベレーザの試合を観にいったところ金網越しに立って試合を観なくてはならないということもありました。観客は10名程。大野選手も近賀選手もそこでプレーしていました。

 どん底を知っている選手たちであるからこそ、宮間選手も女子サッカーが“文化”として根付く重要性を繰り返し語っているのだと思います。

 “文化”として根付いていくためにも(現在は)五輪出場は最低条件です。リオ五輪まではこれまで蓄積してきた力がありますが、その後は冬の時代を迎えるかもしれません。
 しかし冬になろうと彼女たちを見続けないといけません。違いました。自然と観たい気持ちになっている。そうなるべきです。それが文化ですから。

 今後の世界大会は、2019年フランスでW杯、2020年東京五輪、2023年W杯は日本で開催される可能性も高いようです。
 なでしこジャパンは、2020年東京五輪でつぼみをつけ、2023年日本W杯で大輪の花を咲かせることができるでしょうか?
 両大会決勝ともに新国立競技場が予想されます。咲き誇るなでしこの花に見合った、素敵な競技場が待ち受けてくれるでしょうか?
 
 いや、競技場を素敵な空間に作り上げてくれるのは、なでしこを始めとするアスリートたちです。
 主役は選手たちでした。 


電動車椅子サッカー 中部・関東ブロック代表戦

2015年07月15日 | 電動車椅子サッカー

 先週末の7月11日(土)、電動車椅子サッカー中部・関東ブロック代表戦に行ってきました。

 電動車椅子サッカーの選手たちは日常的には地元のクラブチーム(全国で34チーム)でプレーしています。(近辺にクラブチームがなくてやりたいけど出来ない選手もいるかと思います)。そして、年に一度、クラブチームの日本一を争う全国大会が日本電動車椅子サッカー選手権大会。今年は第21回大会が静岡で10月3日~4日に開催予定です。
 一方クラブチームとは別に各地区で選出された選手たちによるブロック選抜チームがあります。こちらは例年8月末に行われるパワーチェアーフットボールブロック選抜大会に向け結成されるチーム。前者は電動車椅子の制限速度6kmで行われる大会、後者は国際ルールの10kmでおこなわれる大会です。当然後者のほうがスピーディな試合展開となります。そして中部・関東ブロック代表戦は両チームにとって全国大会へ向けた格好の強化となるはずでしたが、今年度は残念ながら全国大会が中止。その結果、今年度最後のブロック代表の活動となってしまいました。本当に残念です。中止の理由は一言で言えば資金の問題です。

 電動車いすサッカー関東代表は例年5月のゴールデンウィークあたりから始動することが多かったようですが、今年度はなんと昨年末より始動。昨年度より多くの選手を受け入れ、関東ブロック全体の底上げを図るというコンセプトの流れを受けてのものでした。今年度は追加メンバーも含めて18名の選手で始まりました。その後4月4日に安田篤司選手が急逝。1週前の関東代表の練習には参加し、私も練習する姿を見ていましたので本当に驚きました。当日は個人練習もされていたようです。

 そしてゴールデンウイークの名古屋遠征後、11名+2名(育成枠)に絞られ、中部・関東ブロック代表戦に臨んだという流れです。全国大会が例年通り開催されていればその後さらにメンバーが絞られる予定でした。

 当日の試合は3試合。交流戦は関東Cチーム5-0中部。公式戦の第一試合は関東Aチーム5-1中部。第2試合は関東Bチーム2-2中部。大会全体でも関東の優勝。関東のほうが個々のポテンシャルも高い選手が多く、ストライクフォースに乗っている選手も中部の2名に対して関東は12名。地力の差はかなりありました。中部は中心を担う飯島選手が体調不良のため参加できなかったことがとても残念でした。見ているだけで楽しくなってくるような選手です。

 関東代表は実力が上のほうからABCチームというようになんとなくなっているような感じもありますが、希望ポジション、ポジションバランス、その他監督の考えもあり単純に実力順にABCということになっているわけではありません。クラブチームとは違うポジションを希望し、自分の幅を広げている選手もいます。
 個人的には、この選手とこの選手が同じチームでプレーするのを見たかったなあなどという感想もありました。そのあたりは日本代表で見れることを期待しています。

 来年度からは全国大会が再開され、熱戦が繰り広げられることを願っています。