既に2日がたってしまったが、“サムライブルー”サッカー日本代表がワールドカップ出場を決めた。
ホームで勝利し出場を決めた初めての試合、その大一番を生観戦した。
ちなみにこれまでのワールドカップ出場決定試合、2005年北朝鮮相手の無観客試合、2009年アウェイでのウズベキスタン戦、 2013年埼玉でのオーストラリア戦は撮影スタッフとして現場に立ち会っていたが、今回は観客としての観戦だった。
それにしても井手口は素晴らしかった。インサイドハーフの山口蛍と2人でオーストラリアのボランチコンビ、アーバインとルオンゴを自由にさせずボール奪取、警戒されていた右サイドのレッキーも乾とのコンビで抑え込む。
そして圧巻のゴール! ボールを奪った原口も素晴らしかった。
試合途中で心配になったのは、そこまで走り回っている井手口に疲れがきたら誰と交代するのかということ。場合によってはそこからバランスを崩して失点してしまう。前回出場時も後半のある時間帯からは顕著に運動量が落ちた。
ビハインドやスコアレスの状況なら本田、香川、あるいは柴崎? しかし現実には1点リードしているわけで。だとするとオマーンとのテストマッチでボランチをやった小林?
ああ、こういう時にベンチに今野がいてくれたらなどと思っていたものの、現実には涼しい気候に助けられ全く交代の必要は無かった。
一昨日の日本代表はとにかくハードワークし、オーストラリアに勝ち切った。
日本にとってラッキーな面もあった。パスの配球役であるム―イが風邪でベンチ入りできず、ターゲットになれるユーリッチが怪我のため途中からしか出場できなかった。そしてオーストラリアがここ最近のパスを細かくつないでいくサッカーを貫き通しロングボールを放り込んでくる戦法をとってこなかった。
そういったこともありハリルホジッチ監督の戦術がドンピシャはまったということもあった。
もちろんオーストラリアの出方によっては第2の手も想定していたとは思う。
そうなった時にどうなったかまではわからない。
ところでハリルホジッチ監督を最初に意識したのは、ブラジルワールドカップでアルジェリアを率いて戦った決勝トーナメント1回戦のドイツ戦。その試合のことはとても印象に残っている。ドイツのスーパーGKノイアーの守備範囲の広さがなければドイツも倒していたかもしれない一戦だった。90分たってもスコアレス、日本時間の朝方に延長に突入した試合は最終的にはドイツが2対1で勝利したが、血沸き肉躍る一戦だった。
心が震えた。
アルジェリア代表がとても羨ましかった。
こんな試合を日本代表が見せてくれていたら…、と思ったものだ。
その後、その監督が日本代表監督になり、心躍った。
もちろんロシアワールドカップで心震える試合を見せてくれるだろうという期待からだ。
そのためにはアジア予選での“快勝”はまったく期待していなかった。前回大会最終予選のように6-0、3-0で圧勝しても本大会での不甲斐ない結果、内容では歴史の繰り返しになってしまう。
ザッケローニ監督時代の日本代表を否定しているわけではなく、アジア相手の快勝は必ずしもW杯の好結果につながるわけではないということだ。
予選は最終的な結果がすべて、1試合1試合はすっきり勝てなくても本大会につながるものが見えさえすればそれで良いと思っていた。
そして予選は苦戦の連続だった。アジアで通用するパスワークを駆使すればすっきり勝てる試合もあったかと思うが、そういう戦い方はしなかった。もちろんアジア各国のレベルが上がっていたこともある。
最終予選序盤では原口の活躍が光っていたが、それ以前のテストマッチ等で原口をボランチで使ったりトップ下で使ったりという試合もあった。“期待”の原口を一皮も二皮も向けさせようとしているのか、その試合だけを考える近視眼的な目線ではそういった使い方は出来ないだろう。
“期待”というのは、原口のように気持ちが前面に出るような選手を監督はけっこう好きなのだろうということだ。例えば原口はロンドン五輪予選では一定の活躍を見せていたものの、本大会には選ばれなかった。“気持ち”意外の部分が欠けていたというか、きっと足りなかったのだろう。その後、誰もが認める“戦える選手”になった。
ハリルホジッチ監督にとってアジア予選は“戦える選手”を見極める場であり、発掘の場でもあっただろう。井手口も然りだ。
だが今は「日本のサッカーはこうです」と決めきれる段階ではなく、まだまだ試行錯誤の時代ではないだろうか。まだまだ成熟はしていないだろう。
過去の日本代表に遡ってオフト監督時代から共通しているのはロングボール主体のサッカーではないということ。それは1936年のベルリンオリンピックから受け継がれているものなのかもしれない。まあそれは身長からの逆算で当然そうなるだろうということでもあるのだが。オフト監督以前はそれほど熱心に見ていないのでよくわからない。
またジーコ監督時代を除けば、加茂監督あたりから共通しているのは“コンパクト”であること、“コンパクト”であろうとしていること。
ジーコ監督就任直後の試合では中村俊輔、中田英寿、小野伸二、稲本潤一の4人が同時出場、黄金の中盤ともてはやされたが「こんなに全体が間延びしたサッカーに未来はあるのか?」と、その試合を生観戦しながら強く思ったことを覚えている。
その後、就任したオシム監督の完成形は残念ながら見ることはかなわず、第2次岡田監督時代はコンパクトではあるがラインを下げた。ザッケローニ監督の時はコンパクトであろうとしたがそうはならなかった。
日本らしいサッカー、日本のサッカーが何かと考えた時に、究極的にはその試合に負けたとしても、観ている日本人が納得できるサッカーかと思う。
ブラジルやドイツにはそういう図式はあてはまらないかもしれないが、多くの国には共通しているのではないか。
日本代表のワールドカップを結果から振り返ると、結果が出たのが2002年日韓と2010年南アフリカ。初出場だったし仕方がない(?)のが1998年フランス。惨敗が2006年ドイツと2014年ブラジルということになるだろうか。
では2002年と2010年は多くの人にとって納得できたかというとそうでもないような気がする。
2002年は結果で言えば万々歳、トルシエ監督はもっと評価されてしかるべきかとも思うのだが、決勝トーナメント1回戦のトルコ戦で勝てたとまでは言わないが、もっとやりようがあったのではないかという無力感があったように思う。2010年も結果は申し分ないが、スコアレスでPK戦にもつれ込んだパラグアイ戦では松井の惜しいシュートなどがあったことは記憶しているが、攻撃面ではやりようの無さを2002年の時以上に感じた。
南アフリカW杯は、こういう戦い方(ディフェンスラインを下げ、アンカーを置いてのカウンター狙い)しかできないというある種の開き直りが好結果を生んだともいえるだろうが、それ以上の広がりはなかった。もちろん致し方ないといえばその通りだが、多くのサポーターが結果には満足するものの、守備重視の戦い方にやるせなさを感じたのも事実だろう。
そのことを受けてのブラジルW杯だったわけだが、思うようなサッカーが出来ずに日本の守備の弱点等を突かれて敗退した。
ブラジルW杯閉幕後のブログには、遠い将来の未来像として以下のような内容のことを書き殴った。
変幻自在に戦い方を使い分けられるサッカーこそが、日本のサッカーなのではないかと思っている。日本人は愚直なまでに同じことを追及するというよりは、相手に合わせてカメレオンのように形をかえることのほうが実は得意なのではないかと思っている。全くのオリジナルを生み出すことは苦手でも取り入れたものをうまく活用し発展させることは得意なのではないか。
その時のブログは以下。
http://blog.goo.ne.jp/kazuhiko-nakamura/e/bae76753362324e59696b4e21a2e1d4d
日本は、サッカーに限らず、一つのやり方を構築できたとしても弱点をつかれた時の対処が苦手なのではないか。
仮にカメレオンのように形を変えることがベースにあるとすれば、その試合で持ち直せなくても次の試合では対処できる。多くの選択肢がインプットされてさえいけば、選択運用する術は長けているのではないか。
今はまだ日本サッカー全体がインプットしている段階で、そこまで到達できていないだけかとも思う。
もちろん相手が日本の出方を観察してきた時の、リアクションサッカーでない、いざという時に立ち戻るべき主体的なサッカーはきっと必要だろう。
ただそういったサッカーに磨きをかけ、ダメだったらしょうがないと思えるようなメンタリティが我々日本人にはあるのだろうか?良くも悪くも空気を読んでしまう国民なのだとしたら、空気を読んで読んで読みまくり、立ち戻るべき主体的なサッカーをも相対化しカメレオンの顔の一つに出来たら、それこそが日本のサッカー?
日本のサッカーとは、などと書き出してだんだんと収拾がつかなくなってきた。
ハリルホジッチ監督は予選では試合ごとに戦い方を変えてきた。
例えばアウェイのオーストラリア戦は勝ち点1をとりにいった。そのことが不満のサポーターも多々いたようだが、本戦につながる戦い方としてとても良い戦い方だと思った。もちろんうまくいった試合もあるがうまくいかなかった試合もある。
一貫していたのはハードワークし1対1で負けないということだろう。そのことに固執するあまり、それまでに日本が培ってきた流れるようなパスワークが失われたと感じた人も多かったかもしれない。しかしその両者は相いれないわけではなく、どちらが先かということのような気もする。
1対1で勝てないからパスで崩すのではなく、1対1で負けない選手がパスでも崩す。
なんだか全くまとまらなくなってしまったが、とにかくW杯でも試合ごとに(必要であれば)戦いを変える“カメレオンジャパン”にとても期待している。いざという時に立ち戻るべき主体的なサッカーの構築にも今後、期待している。
もちろんハードワークで戦いきってくれることは大前提だろう。
ロシアW杯で、心が震える試合を観せてください。