新国立競技場の建設計画を白紙に戻すことになった。
誰もが感じるように安保法案で支持率が下がった安倍内閣の支持率アップのためだろう。安保法案とたまたまタイミングが合わなければこの無謀な計画は多くの人に反対されながらも突き進んでいったわけだ。
当初の予定より膨大に膨らんだ予算、足りない分はtotoの収益金からも捻出されることになっていた。ということはその分何かが削られるということだ。そんな金があったらアスリートに回せよ!と誰もが思うだろう。障害者サッカーの場合も、totoの収益によるスポーツ振興くじ助成事業から助成金を得ているが、かなり細かいチェックも入るようだ。そのくせ新国立競技場にはとてつもない金額が出ていくのにどんぶり勘定かい!!思わず突っ込みたくもなるだろう。
ともあれ新国立競技場はゼロベースから考えることになった。その結果ラグビーワールドカップには間に合わなくなった。ラグビーファンとしては落胆した人も多いだろう。開催地として決まっているスタジアムで決勝の開催条件を満たしているのは横浜国際競技場だけなので、横浜で開催されることになるものと思われる。東京会場は消去法で味の素スタジアムになるのだろうか?秩父の宮ではキャパシティだ少ないだろうし。
芝の問題はどうなるのだろう。日韓ワールドカップの時もなかなか芝が根付かない競技場もあり不安視された。例えば埼玉スタジアムも2001年におこなわれた日本代表vsイタリア代表の試合は芝生が根付かずプレーに大きな影響を与えていた。本番には間に合ったが開催前年ではなく同年完成の場合の芝はどうなんだろう。男女サッカーの決勝は新国立競技場で行われるだろう。芝に足をとられて苦労するなでしこジャパンなど見たくない。この点もきちんとクリアしてほしい。
日韓ワールドカップで思い出すのは、東京が開催地として立候補しなかったこと。東京都民としてとても落胆したことを覚えている。サッカーワールドカップを開催した国で、首都が開催しなかった国は他にあるのだろうか?
もし東京で開催されていればその時に新国立競技場が誕生していたのだろうか?
その後国体のために味の素スタジアム(以前の名称は違いますが)を作ったわけで、それならば7万人収容の新国立を作ろうという話になっていても不思議ではないようには思う。サッカー的には景気は良かったが世間的にはバブル崩壊後だったので、シンプルな新国立競技場ができていたのかもしれない。そうすれば今回のような問題も起きなかったのかもしれない。
過去はともかく新国立競技場の未来像を考えると、やはり基本的な理念が必要だと思う。神宮外苑の大きな歴史の流れも考える必要があるだろうが、五輪後のスポーツ施設としての具体的な未来像だ。
陸上、サッカー、ラグビーができる競技場として残すのか?残せるのか?
サブトラックは五輪後、なくすことになっていると聞いていた。しかし陸上の大会が開けるようにするためにはサブトラックを残す必要がある。
サブトラックはやはり残すべきなのではないだろうか。地下にサブトラックを設計する案も見たことがある。どの程度実現可能なものかわからないが検討には値するだろう。サブトラックを残さないのならトラック部分は撤去し球技専用競技場に改装すべきだろう。
サッカー、ラグビーをおこなうためには芝を良い条件で保つための条件整備が必要だ。日照の観点からいって観客席の屋根はどの程度まで許容範囲なのか?
資金回収という観点にたてば、可動式屋根をつけてコンサートを開くという考えは当然あるだろう。しかし芝の日照を考えるとかなりの広範囲の可動式屋根となる。そのぶん建設資金も膨れあがるだろう。また可動式屋根があることで維持費も高くなるだろう。コンサートを一度開くとかなり芝がいたむということも、あらかじめ考慮しておかなくてはならない。だとすると可動式屋根をつけることは本当に得策なのか?
サブトラックも含めて市民をは多く受け入れ、またスポーツ施設の象徴的な存在とすることで大局的に医療費の削減につながるような取組ができないものだろうか?
新国立競技場は、オリンピックのメインスタジアムであるとともにパラリンピックのメインスタジアムでもある。例えば高齢者が障害者スポーツができる環境を整える。競技用の車椅子をレンタルして車椅子マラソンをやったり、そうすることで健康増進につながる。その他様々な障害者スポーツを高齢者が経験、日常的にもおこなう。
新国立競技場がそういったことの全国への発信源となればいいのではないか。
さあ、爺さん婆さんどんどん寄っといで! 巣鴨も楽しいけど新国立競技場も楽しいよ!地方からも観光バスで乗りつけろ。楽しいのはゲートボールだけじゃないぞ。電動車椅子サッカーだってあるぞ!
そこにいけばすべての障害者スポーツに触れることができる、理解することができる場所にする。パラリンピックだけを見て『感動をありがとう!』 しゃんしゃん!!ではなくパラリンピックがきっかけになるべきだ。そしてまたパラリンピック競技は障害者スポーツの一部でしかない。そういった障害者スポーツに出会う場として、子供たちが授業の一環で新国立競技場を訪れる。
忙しいぞ新国立競技場。障害(者)スポーツと生涯スポーツが出会う場だ。
興行収入だけではなく、医療費の削減、教育という観点から元をとる、そういう発想はないだろうか?
戦争の観点から言えば障害者は『ごくつぶし』だ。ナチスからすれば『虐殺の対象』だ。
でも障害者スポーツのアスリートはカッケーぞ!!