「先日、松山城に行ってきました」
と言いたいところですが、実のところ・・・
これが、おっそろしく古い投稿でございまして、
上記の程、ごまかしたくなるくらい、ええ、ずっとため込んでまして…
昨年3月の春休みに、しまなみ海道経由・松山城に行ってきました。
だいぶん前に、耕三寺の投稿しましたよね・・・
その続きです。
愛媛県は良かった
お宿の鯛・カンパチなど、鮮魚が本当に美味しかった
帰って来てから、スーパーなどで気付いたのですが、養殖物の鯛は、愛媛県が多いみたいですね。
また行きたいです。
で、宿は、休暇村東予に泊まったのですが、
旅行二日目に松山城に行きました。
四国に多く残っている、現存天守閣のひとつです。見逃すわけにはいかない。
しかしまあ、行ってみますと、
松山は、NHKドラマ「坂の上の雲」一色になってました。
松山城ロープウエイの登り口に、放送記念のミニ資料館みたいなとこがあって・・・
広島・呉のやまとミュージアムと似た感じの雰囲気の所でした。
海軍つながりだからでしょうか。
んで、本題の松山城。
行き方は、ロープウエイとリフト(たぶん歩いても登れる)が選べて、
お兄ちゃんたちは、迷わずリフトに乗ってました。(心配なんですけどね)
お兄ちゃんたちを見守りながら、ロープウエーで、勝山山頂に上がり・・・
いきなり、本丸わきに到着します。
こういうので撮影は必須。(好きです)
で、こっからが本題の松山城なんですが、
なんで今まで投稿できなかったかというと・・・
ま~とにかく立派で広いお城で、写真もいっぱいとりまして
それは良いのですが、ブログ上で、それをどう表現すればよいかに困ってしまい・・・・
困った挙句、結局、その1・その2に分けて投稿することにしました
*(←ここらへんがロープウエー駅)
こんな感じで、広く、かつ複雑な構造をしています。(本丸に上がるまでが迷路状です)
賤ヶ岳七本槍の一人、加藤嘉明のお城
海抜132メートルの勝山山頂に本丸、中腹に二の丸、山麓に三の丸を置く連郭式平山城
(資料は松山城パンフレット、一部、文も抜粋)
築城は1602年着工・1627年完成
(完成直前に、会津に転封されてますが)
縄張りは、いまだ政情定まらない時期の着工のためか、相当に複雑
まだまだ戦を意識していたのでしょう。
「難攻不落」の文字が浮かんできました。
本丸に上がるまでの構造は、「すごい!」の一言に尽きます。
(逆に言うと、本丸・天守閣の建物自体は優しい印象で、守られている、て感じでした)
ま~さすがは現存天守閣
これだけの史跡が(ほぼ手つかずで?)残っているのですから、うれしい限りです。
*21棟の重要文化財をもつそうです。
というわけで、ロープウエー駅を出た所からお話しします。
(かなり分かりにくいので、場所をで示してみましたが、
それでも分かりにくいです、すみません)
ロープウエー駅を出たところ(二の丸なのだと思います)から、
見た所、「山」に向かって坂道がのびていまして・・・
どんくらい歩かなあかんの?て感じでしたが、
ほんの数歩歩くと、いきなり大きな壁が見えてきました
で~ん
京から見ると、離れた地のお城だから、そんな大したことないだろうと思っていたのですが、(失礼)
いきなり裏切られました!
これはすごい
壮観です
頑丈な石造りです
( ↑ 揚木戸門跡) 上の黒い壁の建物は、
筒井門東続櫓かな?
揚木戸門跡
すごい高石垣
これ、乗り越えられますか?
そして
この石垣の奥が大手門跡になっていて、本丸へと道が続くのですが、
右折すると・・・これまた壮観
(↓ 太鼓櫓)
道の突き当たりの緑のところが
中ノ門跡
(↑ 左手前が大手門)
ここから本丸に向かって登城道が続きます。
緩やかな坂ですが、U次屈折になっていて、中ノ門跡のところで向きを変えます。
同じ位置(
大手門付近)から右方向を撮影
手前・右端にあるのが戸無門の屋根
中央の大きな屋根は筒井門西続櫓のもの
門扉がないので戸無門と呼ばれているそう。こちらも重要文化財です
(中ノ門方向から、
戸無門へ)
ジグザグ道です。
攻めてくる敵の勢いを抑えたり、
上から攻撃しやすい構造になっているのでしょう。
大手道の
戸無門から見た
太鼓櫓
先ほどの戸無門をくぐった先で、また左折、折り返して・・・
松山城最大の筒井門をくぐります。
(左端に戸無門→)
いろんなお城めぐりをしてきましたが、
門や櫓など詳細部分は、破却されていることが多く、
なかなか現物にお目にかかることができません。
その意味でも、こういう形が見れるのは貴重です。
基本、石垣好きなので、石垣さえ残っていれば文句なし、なのですが、
遺構のイメージがしづらいので、やっぱり、建物が残ってる方が良いです。(ただし筒井門は復興建築)
石垣から、なるべく想像力を働かすようにしてますが、塀の色まではさすがに分かりませんしねえ。
あって良かった!
(西続櫓 ↑)(↑ 東続櫓)
筒井門は、両側に櫓を配していて、L字状になっています。
二の丸から本丸へ向かう、大手の固めを構成する重要な櫓門
城中で最も重要かつ堅固なところなのだそう。
その筒井門をくぐると、正面には、太鼓門西塀(向かって、左端に太鼓櫓)が見えます。
石垣+石垣+石段の良い眺め
門をくぐって、向きを変えて、また門・・・
というのが、一筋縄では本丸に進めない仕組み。
しつこいです、本当に
天下の名城 姫路城を思い出しました。
それ以来です。
大阪城は、(破却部分も多いのかもしれませんが)もうちょっと素直な印象を受けますし・・・
平山城独特のしつこさかもしれません。
こちらの太鼓門(復興建築:横に西塀が長細く続き、延長上の端っこに太鼓櫓があります)をくぐると、
やっと右手に本丸天守建造物群が見えてきます。
ようやく到着しました。
ここまで、何回向きを変えてきたでしょうか?
(答え:6回)
本当に複雑な大手道でした。
本丸に上がってしまえば、だだっ広い広場と言う感じ。
ひたすら歩いて行くと・・・
その先に、天守閣群の建物があります。
次回、「松山城 その2。」の投稿でご紹介しますね。
あきれずに、お付き合いくださいませ
*すみませんね。漬物屋のブログですが、石垣愛好家のための?投稿でもあります。