前投稿 「松山城 その1。」の続きです。
二の丸~本丸上部に上がるまでは、かなり複雑な造りになっていましたが、
上がってしまえば、だだっ広い広場。(ああ、言い切ってしまった)
茶店とか梅園があったかな。
こちらから市街の景色は最高。戦時にも優位であることは言うまでもないでしょう。
で、天守閣入口に到着。
天守と小天守、いくつかの櫓で構成される
天守建造物群となっています。
正面から見ると、分かりにくいですが、ロの字構造になってます。
↓小天守(復興) ↓天守(1847年築)
手前の建物で、入場料を払って入ります。
↑一ノ門南櫓(手前の石垣の建物)↑二ノ門南櫓
結構奥行きがあります→向かって右側の石垣部分 (二ノ門南櫓~天神櫓南塀~天神櫓)
加藤嘉明の築城当初の天守は五重だったそうですが、
彼の転封後に入国した松平定行により、1639年、三重に改築されました。
*地盤の弱さに起因する天守の安全確保のため と
*江戸幕府に配慮したため
とのことです。たいへんですね
そのため、とても柔和で控えめな印象を受ける天守なのですが、
守りは万全
出来るだけ、分かりやすく紹介したいですが、かなり複雑で、多少挫折した感が・・・
ご容赦ください
うん、とっても複雑なのです。
うちの次男、お城のペーパークラフトの組み立てが好きなのですが、
松山城のもあったら良いのになあと思います。(今のところ未企画?)
図面上では空間把握が難しいですし・・・
絶対面白いし、売れると思います
い~や、自分で作っちゃおうかな、と思うくらいでした。
で、この地図の右側(南方面)から入場して、天守に向かいました。
料金所から入って、紫竹門のとこから、いきなり正面に天守がお目見えしますが・・・
天守 で~ん
間を石垣、筋鉄門東塀にさえぎられており、直接入れません。
→右折してから、一の門、二の門とくぐらなければなりません。
←一ノ門南櫓
↑ 三ノ門南櫓 ↑ 一の門
*一ノ門くぐって、振り返ると・・・
一ノ門南櫓 → 奥に小天守がみえます。
↑ 一ノ門
一ノ門、ニノ門くぐったら、ようやく天守の東側に来ることができます。
これは、確か、天守の石垣
成形の行き届いた石垣で、比較的新しい石積みであろうと思われます。
実は、現在の天守は、3代目で・・・
松平定行の三重改築(1636年)の後、1784年落雷で天守焼失
その後、復興工事に着手するが、火災などの理由でとん挫
結局、12代藩主松平勝善により、1854年に天守を復興することができました。
天守の前を通り抜け、北隅櫓の横の玄関から入場しました。
↓北隅櫓
→こちらに天守
↓ 小天守 ロの字みたいな作りです。
建物の中は、(姫路城でもそうですが)シンプルな木造建築で、外側から受けるほどのインパクトはありません。
ただ、とても眺めが良い
小天守や櫓が見渡せます。
小天守→ ←多門櫓→ ←南隅櫓
いつのまにか外に出ていた子供たち
良い眺め
先ほどの・・・
複雑な一ノ門・二ノ門・三ノ門の構造も、上から見るとよく分かります。
↓ 天守 ↓ 三ノ門 ↓ 二ノ門 ↓ 二ノ門南櫓
↑ 三ノ門南櫓 ↑ 一ノ門 ↑ 一ノ門南櫓
分かりやすいような、分かりにくいような写真ですが・・・
つまりは、侵入しにくい造りだったというわけです。
今回の写真撮影、すべてを網羅したつもりでしたが、
抜けている部分がちらほら・・・
いつものことですが、ちゃんと見てなかった場所がどうなっていたのか、気になって仕方ありません。
松山は、広島からは、フェリーで3時間(やったかな)
車がなくても行けるので、便利な観光地です。
またふらっと遊びに行きたいと思います。