おじいちゃんの小さな疑問集(旧:おもりぽ)

「おじいちゃんがふと抱いた小さな疑問」を、載せさせていただきます。答えや共感や異論があればぜひコメントを!

面白リポート.376 2月の札幌行その②

2019年02月28日 | らーめん

ぷちりぽ.2月24日の札幌

翌日2月24日の日曜は比較的良い天気で、実家の前のポプラ並木も爽やか。しかし午前は、ガス屋さん待ち。実は土曜の朝に判明したのですが、実家のお風呂のガス窯が壊れてしまった。シャワーや給湯の蛇口を開けると水が漏れてしまうという状況。土曜朝ガス屋さんに相談したところ、日曜午前にどんな事象か見に来てくれると。

ガス屋さんが点検した結果、凍結によりシャワーや給湯側のガス窯が氷に圧迫され破損したものだとの見解。風呂桶に溜めた水を暖ためる側のガス窯は大丈夫なので、風呂に入ることはできる。部品注文して後日修理しましょうとなりました。

ガス屋さんの点検を終えて、この日は2件の用事を足す必要がありました。まずは昼の時間になったので、用件がある場所の近くで評判のらーめん店はないかと検索。清田区の「花丸」という店に行くことにしました。

注文したのは、ネットで見て醤油がいいという声が多かったので、ぼくは醤油らーめん750円をオーダー。つれは味噌らーめんがいいと注文しこちらも750円。

それにしても、メニュー表示向かって1番左の以前はあったメニューは何かな? もしかしてホッピー???何て考えているうちにほどなくしてやってきた、醤油らーめんと、味噌らーめんです。

麺の硬さが程良く硬く、最初はとても旨いと感じて食べ進みました。スープも相当熱く、ぼく好みと。しかし途中から、その味の濃さが気になってきた。終盤はしょっぱさに、かなり飽きとくどさを感じてしまった。67点かな。味噌らーめんを食べた連れも、同じように感想に+味噌は甘味も強すぎる、とのコメントでした。 

昼食後、2件の用事を終えて実家に戻りました。そして夕食に向かったのは、札幌に帰るたびに必ず行くと言っても過言ではない、「焼き肉さんきゅう」です。

18時に到着したのに、店は予約で一杯で、すでに満席。1時間以上待つと言われたのですが、幸い夕ご飯代わりの夫婦が早く切り上げ、30分程度の待ちで済みました。SAPPORO黒ラベルの生ビールに、焼き肉を思いっきり食いました。

 

最後にこれもいつもの、この店独特の黄色めの麺の冷麺で締めて、この日は終了です。うー札幌は何を食べても旨い(らーめんは今回少しハズシタけど)。

<今回の明日は>

さて、札幌滞在最終日となる月曜の帰京日は、何を食べたでしょうか?

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面白リポート.375 2月の札幌行

2019年02月27日 | ぷちりぽ

ぷちりぽ.2月22日に札幌へ

先週末に実家に用があり、札幌に行ってきました。北海道で最大震度6の地震があった2月21日の翌日、金曜の夜に新千歳空港へ到着。2月の真冬ですからバイクではなく、当然飛行機ですね。

前日、知り合いに被害状況等電話やLineで確認していて、被害はごく少ないとは聞いていました。着いてみると交通遮断など地震の影響も、ほとんどこの日の昼までには解消したよう。到着した夜はいつも付き合ってくれる、高校時代3年間同じクラスだった同級生と飲み会です。

いつも札幌の居酒屋で頼むホッケの焼いたのや、イカ、じゃがいも、なんかを肴に飲み放題で乾杯。20時ぐらいから飲み始め23時近くまで、短時間しかなく。そのためか互いの子供の最近、自分達の今後、高校時代など、メッチャ早口でまくしたてつつ、濃いーーー話しをした後に、恒例のカラオケ🎤

翌日実家で目覚めると、雪景色というより氷景色。用件を足すため、レンタカーを借りて走りました。

午前中の用事を終え、夕方の用事までの時間は、スキーをして過ごすことで計画していました。計画通り、昼ぐらいに札幌寄り小樽の朝里川温泉スキー場に到着。準備していたウエアーに着替えて、レンタルスキーとリフト券のセットを買いいざゲレンデへ。

リフトを3機乗り継ぎ、一番上まで行ってゲレンデと海を眺めてから滑り始めます。このスキー場は車の免許を取ったばかりの、20代の頃よく来ていました。さすがに雪質は、湯沢中里と違い、とても良い!  ただ、リフト上ではさほど感じなかったのですが、滑りはじめスピードに乗れば乗るほど顔に当たる風が冷たい。いつもは足の筋肉がもたなくなり、途中止まるのですが、この日は顔の冷たさに耐えかね途中止まった次第。

リフト乗車時間含め1時間と少し滑って後、カレーパンとホット缶コーヒーを採りながら休憩。スノーボーダーやスキーヤーの滑りをつくづく眺め思ったのは、このゲレンデの方々のレベルはとても高いなーということです! 中里とは、だいぶレベルが違う。

休憩後2時間ぐらい滑ったところで、雪が降り、少し吹雪ぎみになってきました。寒さと、視界が余り良くなく、楽しい感覚が薄れてきました。そこで退散して、温泉に入って夕方の用事に向かうことにした次第。

温泉にゆっくり浸かり、恒例のフルーツ牛乳を。そう思って自販機を見たら、なんと瓶のではなく、紙パックです。コーヒー牛乳はちゃんと瓶があるのに?

仕方なく紙パックを飲みましたが、えーっ、変な感じ? 50点。

夕方の用事を終えて実家での夜飯は、マグロ、タコ、エビ、ホタテのお刺身とハタハタの飯ずし、毛蟹、そしてジンギスカンを、ビールとともにでした。あー北海道だなぁ。 

〈今回の続き〉

月曜まで用事があり、月曜夕方に新千歳空港発です。日曜、月曜に関しての続きは次回に。

今回聴いていた曲:  MIWA 「guitarium」

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面白リポート.374 電車で伊豆に

2019年02月17日 | ぷちりぽ

ぷちりぽ.電車で伊豆に

1月のことでしたが、電車で伊豆に行きました。なぜ寒い1月に伊豆かというと、毎年伊豆にある病院で1泊2日の人間ドックを受けているからなのです。車で行く方もいるので、バイク(W650)で行く選択もあるのですが、何せ1月の真冬ですからねぇ。夏に受診という時期もあったのですが、仕事都合で再予約などしているうちに、いつのまにか冬の受診が多くなりました。電車であっても新幹線でという手段もありますが、上野東京ラインになってからは熱海まで乗り換えなく行けるので、在来線で行ってます。

 

でまずは、横浜駅ホーム通過時の写真です。今はさいたま新都心が仕事場ですが、去年の11月までは埼玉の我が家から、横浜はみなとみらいに仕事に通っていた。通っている時は片道約2時間で、大変でした。往復4時間に仕事時間平均11~12時間を足すと、自宅の滞在時間は約8~9時間ですからねぇ。横浜で飲み会などあると、家には6時間程度の滞在。今となってはだからまぁなつかしいなぁ横浜、とは言えるか…。

次は大磯に近くなった所での、海岸と西湘バイパスと朝陽の風景です、キレイだな。冬の方が空気が澄んでいて見晴らしが良いですよね。学生の頃は、ゼミの合宿だの、ツーリングだので、よくこの辺をバイクで走り廻っていたのを、思い起こします。熱海駅に着き、乗り換えます。帰りは、熱海駅構内か一度駅を出てお土産屋さんを散策しつつ、電車で飲むビールのおつまみを購入するのが恒例。この時はこれからドッグですので、もちろん水やお茶以外は口にしません。

こちらは初日の検診を終えて、病院内の宿泊施設の部屋から撮った病院の風景です。夕陽でまだ明るい感じ。この後、宿泊施設内の大浴場でのんびり湯に浸かった後に夕食です。

病院内でいただいた、夕食のメニューですね。偶然ですが本社勤務の知り合いの方と人間ドッグが一緒で、夕食も一緒になり、ぼくは翌日胃カメラのみ。その方は胃と、大腸カメラの内視鏡があったのですが、特に禁止でもなく食道で売っているのでビールなど飲みつつ談笑しながら食しました。

翌日は、ぼくは胃カメラのみが検診のため、開始時間が10時過ぎと遅いため、また大浴場で朝風呂に入りました。その後胃内視鏡での検診と、医師による検査結果にもとづくコメントと、保健師による保健生活指導を受け、昼の軽食を採って終了。写真は熱海で買ったおつまみの1つ。これをつまみに、ビールなど飲みつつのんびりと上野東京ラインで帰宅いたしました。

人間ドックをちょっと詳しめにリポートさせていただいたのは、今回で伊豆での受診が最後となるからです。職場の制度適用が変わり、次回からは人間ドッグは福利厚生の一環で受けられず、健康診断のみとなるよう。結構長い期間毎年、年によっては不都合で都内の病院のこともありつつ、通ったお馴染みの行事だったのですが…。

<次回の伊豆>

今後伊豆へ行くとしたら、もう電車ではなく、バイクか車だろうなぁ。

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面白リポート.373 湯沢中里でスキー

2019年02月10日 | ぷちりぽ

ぷちりぽ.湯沢中里でスキー

バイクで、スキーではありません。さすがにスキー場までは、バイクで行くことはできない。そこで、日帰りのバスツアーで行くことにしました。昨年は1月に水上温泉の宿にわんこも連れ、家族で1泊した朝に下の娘とスキーをしました。その後は3月に、上の娘と佐久スキー場に日帰りバスツアーで行きました。今年は? 誰も付き合ってくれないので、まずは2月の日曜に1人で行くことに。

湯沢中里のゲレンデを選択、リフト券、レンタルスキー代込みで8,000円程度、安いです。7時前に集合してバスに乗り、最初は高坂のSAで休憩。荷物は、スキーウエアのパンツは履かずに行くので、パンツとゴーグルやホッカイロ等小物と、お風呂も入れると記載があったので、下着の着替へ。少なく軽いのでデイパックで来ました。

学生時代、スキーツアーの添乗員としてバイトをしていた、Totoバスを見かけ、懐かしく眺めてみたり。そうです、今は客としてツアーバスに乗っていますが、かつてはバススキーツアーの添乗員のバイトをしていたんだ。それも金曜夜出の、日曜夕帰りの2泊3日が多かった。

関越のインターを降りると、雪景色。バスはいくつか複数のスキー場を目指す人を乗せているので、順に巡って降ろして中里は最後のため、着いたのは11時を過ぎました。レンタル屋さん前で降り、その場でスキーを借り、借りたスキーを担いで中里駅内を通り抜けてゲレンデへ。

 

リフト券をもらい、早速スキーをはいてリフトに向かいます。日曜で晴天とコンディション良く、結構ゲレンデは混んでいます。

12時前から滑りはじめ、最初は少し後傾ぎみでギコチナサがありましたが、2本目後半ぐらいからは、軽快な滑りの勘所を取り戻したつもり。少なくとも本人は、気持ち良く滑り始めた次第。

ランチは14:00ぐらいに、前日に奥さんが行った日光金谷ホテルのカレーパンと、焼きそばを買ってベンチで食しました。ランチとトイレをすませ、再びゲレンデへ。中里はゲレンデが横に広く、乗り継いで山の上にいくということはありません。向かって左側のゲレンデの方が、アスレチックコースがあったり。また、リフト待ちも長くなく、楽しめたので、15時目安のあがりまで、こちらで楽しんだ次第。

15時少し過ぎにはスキーを上り、大浴場でお風呂に入りました。ツアー会社の表現では、無料風呂付と書いていました。無料なのは、ゲレンデ施設として来場者全員無料なのでしたがね。16:45分集合の帰りのバスを待つ間ビールを飲み、帰りのバスではグッスリと居眠りしながら帰ってきましたぁ。

<今回の渋滞>

関越道の登りは渋滞しますが、そんなんで眠っていたので全然苦にはならなかった。3月にはまた行きたい。誰か付き合ってくれないかなぁ。

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面白リポート.372 西新宿散策

2019年02月04日 | ぷちりぽ

ぷちりぽ.西新宿散策

仕事がご縁でプライベートでも仲良くしていただいている方から、「仕事関係で相談したい」と、お声がけいただきました。平日の15時半に新宿南口近くのビルに訪問し、1時間強打ち合わせ。打ち合わせを終えたところで、「あと30分程度時間を潰して好きな店に行っておいてもらえれば、17時半頃には一緒に飲み始められる」、とのお誘いをいただきました。

喜んで応じさせていただくことにし、「時間まで、西新宿を散策しよう!」。そう思い立ち、まず向かったのは靖国どおり近くの、このビルです。学生のころ子供のころ世話になった叔父さんが、ある不動産会社が1つの事業として音楽スタジオを運営していて、そこでミキサーをしていました。このスタジオは毎週日曜午後にFM東京がミュージシャンが生演奏をOn Airする番組(スタジオライブ)に借りていた。叔父さんは、ぼくの好きそうなジャンルのミージシャンのOn Air前に声をかけてくれ、スタジオにしょっちゅう呼んでくれました。ここでぼくが会ったのは、サザン、竹内まりあ、久保田さき、ラリー・カルトン、久保田利信、ジャニス・イアン、等々有名どころの方々。スタジオに居る人数はごくわずかで、彼らはぼくに話しかけてくれたり、気軽にサインに応じてくれた。サザンの桑田さんはぼくが差し出したアルバムジャケットの、自分の写真の股間のところにオドケてサインをくれたり…。懐かしくも興奮だった場所です。今はスタジオなどはない感じ。

ここを後に次は、左手に都庁を視界に入れつつ、思い出横丁に向かってみます。ぼくが学生当時は都庁などもちろんなく、西新宿の住友ビルのあたりで夜中に酔っ払い、ビンを割って騒いでいたなぁ、など思い出しつつ。思い出横丁に通ったのは、大学新卒で入社した会社の先輩に、3件目の飲みで誘われ通った経験からです。大勢のおやじ達が俗称で、しょんべん横丁と呼んでいたと思う。

3件目なので、ほぼへべれけ。3人が多かったと思うけど、ぼくらはカウンターで飲み、眠くなると急な階段を登る、2回に上げさせてもらい居眠りをしていた。トイレはもちろん集各店が使う公衆トイレを使用です。この横丁の焼き鳥屋は、そんな使い方をさせてくれていた。昭和ですねぇ。

横丁散策後にむかったのは、横丁に来る前の2件目の、カラオケバーはないか?と、探しに行きました。靖国通りを渡り、雑居ビルの地下にあったその店は確か…シャンテという店名だったかなぁ、と考えながら。しかし、それっぽい店は見当たらず。それっぽい雑居ビルを、ここだったかなぁ?と見つめたのみ。

そしていよいよ今夜の待ち合わせにと考えていた「ボルガ」に向かいます。ボルガが一杯の時は、確かこの店「あばらや」を1件目として飲んだよなぁ、と思いつつ、本当にこの店かは自信持てずながら写真撮り。当時ボルガの代わりはこの店だったか、先輩に尋ねようとも、先輩は20年近く前に癌で亡くなってしまっている次第。

そして目的のボルガに着きました。待ち合わせで2人になると申告して、通されたのはカウンターの前にある入り口ゾーンのテーブル席です。ボルガは、椎名誠のエッセイにも書かれている老舗の飲み屋。建物も当時のままです。誘ったいただいた方には歩き途中でLineをしたため、ぼくがビールを1杯飲み終わる前ごろには、到着されました。

それにしても中のレイアウトも当時と変わらない、ぼくらが昔よく飲んだのは、奥のゾーンにつながるトイレ前にある4人掛けテーブル。そして奥のゾーンでは、強いアルコール度の酎ハイを飲みつつ、他人のお客さんとの仲良くなって一緒に飲んだ。当時は暮らしの手帳の編集長なんかも、よくカウンターで飲まれていました。

それにしても今回出されたアルコール類は、当時とは味も、度数もかなり違う、他店と変わらない、酎ハイ、レモンサワー、ハイボール類でした。当時は一体何を何で割っていたのだろう。この夜飲んだ方も、20代のころ何度かボルガには来ていたそうです。

ぼくも20代にボルガが1件目、シャンテ?が2件目でママに聞いてもらいつつ歌い、3件目はしょんべん横丁の焼き鳥屋で居眠り。そんな流れで飲んでいた、若かったなぁ。

<今回の当時>

当時は、仕事の話なんかはほとんどしなかった。何を話題に3件も飲み歩いていたのかな?

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