【有楽町線】最近の写真では銀座線車両とあまり見分けつかないなぁ…
首都圏の地下鉄の路線の中では、比較的新しい路線だと思います。大学2年生の時に、池袋が始発の、私鉄沿線に引越しをしました。それ以降は大学に通うために、池袋から市ヶ谷までこの有楽町線を利用していました。
当時は池袋駅と、新富町駅が起点と終点だったように記憶しています。今は路線がだいぶ伸び、埼玉方向は和光市あたり、東京湾方向には月島をへて新木場駅というのが路線の全容のようです。
学生時代から、不思議に思っていたことがあります。前に紹介したJRの総武線は、新宿から秋葉原方向に向かって行くと、市ヶ谷、飯田橋の順に進みます。ところが有楽町線は、池袋から有楽町方向に向かうと、飯田橋、市ヶ谷の順です。池袋から有楽町に向かっても、新宿から秋葉原に向かっても、おおよそ方角的には変わらないのに、なぜこの2つの駅の順は逆転するのでしょう?
もう1つ、有楽町線には謎があります。それはどうも、風評としてよくある話のようなんですけど、この路線は軍事路線だという説です。成増という、自衛隊の駐屯地の駅がある。永田町、桜田門といった政治の拠点を通り、有事の際は国会議事堂から地下で有楽町線がつながっている。他の地下鉄に比べ、線路が施設されている電車が通る幅が広くなっているのは(そう感じる)、戦車が通れるようにしているからだ。そんな風評ですが、真偽はどうなんでしょうね?
ぼくにとっては、学生時代に利用した市ヶ谷の駅や、東銀座の会社に通うために利用した新富町の駅と、いずれもそのための乗り換え駅だった池袋の駅が、思いのある駅ということでしょうか。有楽町線からの乗り換えで印象深いのは永田町駅で降り、赤坂見附駅への移動です。有楽町線永田町駅のホームから半蔵門線のホームに移動し、赤坂見附のホームまで延々歩いて移動します。歩く距離はゆうに1駅分以上あるんじゃないかと思える距離です。
首都圏の地下鉄の路線の中では、比較的新しい路線だと思います。大学2年生の時に、池袋が始発の、私鉄沿線に引越しをしました。それ以降は大学に通うために、池袋から市ヶ谷までこの有楽町線を利用していました。
当時は池袋駅と、新富町駅が起点と終点だったように記憶しています。今は路線がだいぶ伸び、埼玉方向は和光市あたり、東京湾方向には月島をへて新木場駅というのが路線の全容のようです。
学生時代から、不思議に思っていたことがあります。前に紹介したJRの総武線は、新宿から秋葉原方向に向かって行くと、市ヶ谷、飯田橋の順に進みます。ところが有楽町線は、池袋から有楽町方向に向かうと、飯田橋、市ヶ谷の順です。池袋から有楽町に向かっても、新宿から秋葉原に向かっても、おおよそ方角的には変わらないのに、なぜこの2つの駅の順は逆転するのでしょう?
もう1つ、有楽町線には謎があります。それはどうも、風評としてよくある話のようなんですけど、この路線は軍事路線だという説です。成増という、自衛隊の駐屯地の駅がある。永田町、桜田門といった政治の拠点を通り、有事の際は国会議事堂から地下で有楽町線がつながっている。他の地下鉄に比べ、線路が施設されている電車が通る幅が広くなっているのは(そう感じる)、戦車が通れるようにしているからだ。そんな風評ですが、真偽はどうなんでしょうね?
ぼくにとっては、学生時代に利用した市ヶ谷の駅や、東銀座の会社に通うために利用した新富町の駅と、いずれもそのための乗り換え駅だった池袋の駅が、思いのある駅ということでしょうか。有楽町線からの乗り換えで印象深いのは永田町駅で降り、赤坂見附駅への移動です。有楽町線永田町駅のホームから半蔵門線のホームに移動し、赤坂見附のホームまで延々歩いて移動します。歩く距離はゆうに1駅分以上あるんじゃないかと思える距離です。