おじいちゃんの小さな疑問集(旧:おもりぽ)

「おじいちゃんがふと抱いた小さな疑問」を、載せさせていただきます。答えや共感や異論があればぜひコメントを!

片田舎町内会リポート.23

2007年05月30日 | Weblog
 沖縄はとっくに梅雨だと思うけど、首都圏はこれから梅雨です。この時期は、アウトドア系の予定を立てにくいですよね。梅雨に入ってしまうと、デフォルトは雨なわけですから。ゴルフ場なんかも、梅雨の季節はプレー代を安く設定しているような気がします。だからといって、梅雨が明けると今度は暑い夏なんですがね。

 さて、例年梅雨前の5月に行われる、町内会の春の一大イベント「歩こう会」を実施いたしました。去年は雨のため、肝心の歩くのは中止で、賞品の抽選会だけ行いました。今年は天候に恵まれ晴天で、むしろ暑すぎたほど。そんな、町内会の春レクのリポートです。

【リポート23.春のイベント歩こう会】
 本年度書記役として初めてのイベント、歩こう会開催当日がやってまいりました。実はぼく、前日の土曜には早朝のゴルフ練習に行って、いささかお疲れ気味でこの日の朝を迎えたのであります。「役員は確か、8時半に公民館集合だったよなぁ」なんて、ぼんやり思いだしながら起きたのは8時少し前です。

 あわてて顔を洗いながら、今日は一体自分はどんな役回りで、何をしなければいけないのか、資料を見ながら思い出さなくてはいけないことに気づきました。今日の段取りを決める役員会は、ずいぶん前に開催して役割を決めていたものですから、すっかり忘れてしまっていたのです。それなので、眠たい頭で資料を見ながら、今日の内容を確認しました。

 書記役は当日は大した役目はなく「まあ、全体の進行がうまく流れるようチェックしていればいいのだろぅ」と認識。時間より少し早めに行こうかとも思いましたが、この時、携帯電話の電池残量が半分以下になっていることを発見。再びあわてて、時間ギリギリまで充電することにしました。イベントごとに、携帯電話は必需品です。緊急時の連絡はもとより、黒眼鏡副会長が持って来てくれることになっている、記録用のデジカメのバックアップ機として、携帯カメラが使えますので。

 そんな事情でぼくが公民館に着いた時刻は、集合時間ちょうどでした。会長はじめ各班の班長は、あらかた集合済みです。ぼくが着くとさっそく、会長が声をかけて朝1のミーティングを始めました。最初にお弁当係り、次に賞品係り、更にコースの誘導や安全確認係り、最後に飲み物係りと、各係りの責任者から準備状況と、今日の段取りのポイントを報告してもらいます。飲み物係りの、クーラーボックスが不足していること以外は、おおむね準備は大丈夫な状況でした。

 打ち合せの最後に会長が、「出発前の説明の進行は、副会長が飲み物責任者で折り返し点に行って不在になるので、書記にやってもらいましょう」と言いだしました。それで、ぼくが進行役をやらねばいけなくなったわけです。参加者の集合は、公民館近くの公園に9時15分。出発は9時半予定です。急に振られた進行役ですが、ぼくはソフトボールの大会なんかでの進行内容を思いだしつつ、おおよそ次のように進めることにしました。

 9時15分になったら朝の進行役になったぼくから、班長に参加者を確認していただくよう声をかける。その後参加者に公園の一角に集まってもらうよう呼びかけ、「おはようございます」の挨拶をする。そして、今日のごくおおまかな進行内容を説明。「この後9時30分頃出発し、この公園に戻ってくるのがおそらく11時頃で、公園で班長からお弁当を受け取り、あわせてお楽しみ抽選会で賞品を受けとっておしまい」という、ごく大枠の説明です。次に、会長に挨拶してもらう。さらに、誘導と安全確認責任者から、コースの概略と注意事項を案内してもらい、そのうえで出発の合図もしてもらう。そんな内容です。

 時間になり、この想定どおりで進行しようとしました。計算外は3つです。1つは誰かが電池を逆に装着したため、ハンドマイクを使えず会長挨拶までは肉声でやったこと。途中気づいた人が電池をセットし直してくれて、コース説明はマイクを使えました。あー、喉が今も少し痛い。2つめは、B丁目自治会の会長が寄付とともに飛び入り参加をしてくれて、急遽その紹介と挨拶を入れたこと。それから3つめは、自分の携帯電話のカメラでこの様子を撮りながら進行するという、そんなとっても忙しい状況になったこと。デジカメを副会長から託されたのは会長で、携帯カメラを持っているのはぼく。朝のこの様子を会長が撮影する様子はない。あら、ぼくが進行役をこなしながら撮影しなきゃなんない。そんなことに途中で気づいたんですネ。

 いずれにしても、9時半前には出発させることができました。参加者や班長が出発した後に、公園や公民館に残ったのは、弁当係り、賞品係りと、会長、書記です。弁当係りは、お店に届けてもらうお願いをしておいた弁当が届いて、飲み物とともに各班の必要個数毎に、公民館内で仕分けるのに大急がし。賞品係りも、公園内でテーブルを用意して、抽選準備や賞品の展示で大急がし。ぼくは、ぼくの班の班長が飲み物係りで折り返し点に行っているため、代わって班の参加者ごとに飲み物と弁当を袋詰めするのを頼まれていて、その作業を始めました。

 ところで弁当ですが、従来は自治会がある最寄駅そばのお弁当屋さん、××亭より購入していました。弁当係り責任者にもなった会計担当の役員さんに聞いたら、今年は弁当係りで相談して、別の○○屋に変更したんだそうです。何でも会計役員さんは、「どうも揚げ物が多すぎて、あそこの弁当はねぇ」という、過去の不評の声が気になっていたとのこと。自治会員の年齢が上がるにつれ、油物は不評をかっていたんですね。そこで他のお弁当屋さんをあたって、メニューの相談に応じ、配達もしてくれる今回のところに決めたとのこと。

 ××亭が失った売上は数百個で、金額にすると10数万円です。1ヶ月にどのぐらい売り上げているかは知りませんが、売上対前年同月比はきっとかなりマイナスになると思われます。5月の売上データを見て経営者は、分析を始めるのでしょうか? もっとも日曜の朝に数百の弁当をつくり、届けるという状況は通常対応では到底無理でしょうから、「今年は注文がないなぁ」と気づいているはずですよね。毎年、食した後の感想を聞くとか、時期がきたら「今年はいつでしょう?メニューはどうしましょう?」なんて御用聞きをするとか、そんなお客様とコミュニケーションする仕組みがあれば、この売上は失わないですんだはずなのに。食あたりとかを出したわけではないのだから…。

 そんなことを考えながら自班の分の弁当を参加者ごとの袋詰にし、公園に出て雑談なんかをしているうちに、そろそろ早い人が到着し始めました。丸1日かけて行う本格的歩こう会ではないので、往復で3Km程度の行程なのですね。11時頃には、大半の参加者が帰着したでしょうか?とても暑いせいか、公園に用意した飲み物もよく出ます。

 時間効率を考え、お楽しみ抽選会も、賞品係りによって開始されました。賞品は、ほとんどが100円均一の店で購入した日曜雑貨。1等から3等までが、それより多少高めのもので、ちなみにほとんど最後にくじを引いたぼくは、残りくじには多少の福があるで、3等の電卓を当てました。電卓は、210円で購入したそうです。

 全員が事故なく無事帰着し、くじも引き終わり、歩こう会の行事はつつがなく終了を迎えます。ほとんどの参加者が、賞品と弁当と飲み物を携え帰宅いたしますが、班によっては、班長が用意したブルーシートを公園に敷き、お弁当と飲み物で懇親する班もあります。

 役員は公民館にもどり、公民館内の後片付けをして、最後は予備用の残った弁当と発泡酒で反省会をいたしました。予備用がきっと残るだろうとふんで、公園に用意されたジュース類を飲まずにがまんしていたぼくは、正解でした。呼びかけや、説明のために大声を出し、暑い中で参加者の到着を待ち、後片付けをした喉には、発泡酒がおいしく染み入ります。あまりのうまさに、お弁当の惣菜をつまみに、4本も飲んでしまいました。

 後日、会長が撮った写真を、黒眼鏡副会長がデジカメを持って帰り、あらかじめ用意しておいたネットアルバムにUPしたとの知らせを、eメールで受けました。「とりあえず全部UPした」と、全部が強調されているのを不思議に思いながらアルバムを開くと、何と!100枚を越える写真がアルバムホルダーに格納されていました。ちなみにぼくが携帯カメラで撮った写真は7枚です。口髭会長は無類の写真魔だった?それともよほど暇だったのか?どちらかですね。
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 今後の予定としては6月末に、7月の夏祭りに向けた会合があります。それまでのつなぎとして片田舎町内会リポートの次回は、前回の予告でもちょっと触れた、町内会におけるNet活用の可能性なんてテーマを、考えてみようかな?
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ぷちりぽ.その4

2007年05月24日 | Weblog
【ミッドタウン】
 コンピュータメーカー主催のセミナーがあって行くことにしたら、場所は六本木のミッドタウンでした。もの珍しさに、少しだけ探索。ビル内は明るく、ベンチが木製で床も明るい色の木になっている所が多かった。誰かが、「ここのコンセプトは、明るくてぬくもりのあるウッディーでいきましょう!」とでも言ったのかな?

 木の床を眺めながら歩いてると、プチプチプチプチプチプチプチプチプチプチと、やたらに傷がついていることに気づきます。それに気づき余計プチプチを眺めながら進むと、ちょっと気色悪くなりまっすよ…。このプチプチは、女性の靴のかかとでついたものでは…。「ぬくもりのあるウッディーな」のコンセプトは、女性の靴のヒールに負け!ということなんでしょうか?

 床プチプチは、携帯カメラではうまく映りません。現地へ行って見てください。代わりにトイレのユニークな洗面ボウルを紹介しておきます。荷物置き台は、手を払ったときの滴とおぼしき水で塗れて、荷物を置くことはできなかったけれど…なかなかオシャレな感じです。
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ぷちりぽ.その3

2007年05月20日 | Weblog
【ワンコのうんち受け】

うちのワンコは毎朝の散歩の時に、うんちをします。
そのうんち受けとなるのは、新聞紙です。

ワンコがうんちんぐスタイルをとると、飼い主のぼくが、
1/4に切って持っている新聞紙を、おしりと地面の間に、
素早く差し出すのですね…。

うんち受けとなる新聞紙面は、当たり前のことながら、
その日によって色々です。

時に、殺人事件の記事だったり、
時に、安部首相の小難しい顔だったり、
あるいは、水着嬢だったり…。

ところで今朝、見事うんちを受けたのは、
お仏壇の仏具でした。
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ぷちりぽ.その2

2007年05月19日 | Weblog
【カタツムリと殻】

朝、玄関前を掃いていたら
カタツムリの、殻だけを発見。



同じ日帰宅して、玄関を開けようとしたら、
その本体らしきものが、ドア前でもぞもぞと。

それを見てぼくは、
「寒暖の差が大きいから、着たり脱いだりの調整がむずかしい時期だね…」
なんて、しみじみ考えていました。



でも、あいつはなめくじ?だぜ!!
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こぉんなバイトがあったぞ!リポート.4

2007年05月17日 | Weblog
 テレビで、メゾン一刻というドラマがはじまりました。1980年代に人気だったアニメのドラマ化です。1980年代はじめは、ばくがさかんにアルバイトをしていた頃。この頃の時代って、昭和レトロと言えるような昔とは思っていなかったのですが、そんなに昔だったっけ?

【業界新聞の配布】 大学生の頃にやった、業界新聞の配布のアルバイトを紹介します。半日だけで、しかもやったのは1回コッキリのため、細部はよく覚えていません。その全容はいまだ不明なのですが、思い出しながらたどり、考えてみたいと思います。

①職種
午後の半日、職員向けの新聞を都内の区役所内で配るという、妙ちくりんなアルバイトであります。

②給料
1980年頃、半日程度で4000円ぐらい?だったような気が…。

③メリット
単発の日払い。というかもっと正確にいうと半日払いで、拘束時間がとても短い。

④デメリット
要領良くやるとオイシイかも知れないけれど、要領をつかめないと結構苦労する。

⑤やったきっかけ
大学を卒業した、先輩に頼まれてやった。

⑥総合判定
大学サークルの仲間で午後バイト、しかも単発のその時払い。バイト代はその場で飲んじゃうに決まっています。ほぼ、無意味なアルバイトですね。

⑦コメント
 いつものようにサークルの溜まり場で、何をするともなくウダウダしていると、卒業して間もない先輩がやってきました。先輩はぼくらに、自分が就職した会社の「アルバイトをしないかい?」と、優しく誘います。何でも、数日後の午後1番ぐらいに、浜松町の駅に行く。そこで、配布する新聞を受け取る。指示された配布場所に行って、新聞を配布する。終了したら再び浜松町に戻り、バイト代を受け取る。それでおしまいの、「半日もかからないバイトだよん」ということです。

 その場にいたのは、ぼくと悪友Nと、あと2人ぐらいの同級生。それからぼくらより2級上の先輩2名ぐらいで、総勢6名程度だったかな? 全員がこの話に乗ることにしました。どうせ暇な学生ばかりだったし、短時間でお気軽そうだったし、「先輩の顔も立てなくちゃ」という思いもあったので。

 指定された数日後、浜松町の駅近くの先輩の会社だったか、駅だったかは忘れましたが、とにかくその辺に集合しました。そして先輩と同僚社員からそれぞれに、配布する新聞を渡され、配布すべき区役所を指定されました。各区役所に1人で行って配るのです。配る新聞は確か「都政新聞」的な名前の、都の行政にまつわる情報ばかりを掲載し、読者は都の職員が主なターゲットといった類の新聞です。そう、先輩はこの「なんちゃら新聞」なる、都職員向け業界(業界っていうのかな?)紙に、就職したんですね。

 先輩達はぼくらに、仕事の要領を説明します。
「区役所についたら、新聞を持ってどんどん中に入っていってちょうだい。区役所の中はいろいろな部課があります。そんで部課ごとに、連絡資料ボックスを設置している場合が大半です。このボックスに新聞を、適当な部数入れて下さい。それだけでは新聞は余ってしまいます。だから、部課の中にどんどん入っていって、席に着いている人を中心に、新聞を机の上に配って歩いて下さい。で、終わったらまたここに集合!バイト代渡しますからね。領収書に押す印鑑持ってきてるよね」と…。

 先輩達の説明は、とてもシンプルでした。ぼくらはそれぞれ、指定された区役所に向かいます。浜松町の駅で経路を確認して後、ぼくはみんなと別れ、単独でぼくが配布すべき区役所に向かったんだと思います。「説明はわかったけど、実際そのとおりになっていて、そのとおりやれるものかな?」と、不安を抱きつつ…。

 どこの区役所かは覚えていません。3階か4階建ての古い建物が足し合わされた、はじめて訪れる人にはわかりにくい、迷路のような構造でした。到着して、部課に入っていく入り口には、資料を投げ入れる郵便物を仕分けるような棚があるのは、すぐにわかりました。そこでその棚の1マスごとに、新聞を1部ずつ入れて行きます。入れ終わると、さらに中に入っていって、机の上に新聞を置いて廻ります。

 区役所とは無関係のぼくが入って行って、新聞なんぞを配ると、「何をしているんだ!」とか叱責され、守衛さんにつまみ出されるのではと、しばらくはビビリながら配布してました。しかし、何箇所目かでは、席に居る人がぼくに向かい「ご苦労様」とか応じてくれたり、いたってのんきなものです。ようやく安心しつつ、新聞配布を継続します。しかしさすがに、奥の方の大きな机の偉そうな席の上にまでは、新聞を置く勇気は出ませんでした。

 見覚えのある所まで戻り、ひと周りしたことに気がついたのですが、新聞はまだ半分以上残ってました。そこで、役所内をもう一周して、未配の部課はないか確認してみました。未配のとこは見つけられません。ようやくぼくは、「棚の各マスには1部ではなく、数部ずつ置くべきだったかな? 席には島ごとに、余分目に置いてきた方がよかったかな?」と思い至りました。

 でも、いまさら席の方には、再び置いて廻ることはできません。すでに手にとって、読み始めてる人もちらほら見うけられ、「もうここはいいよ」なんて言われかねなかったので。でしょうがないので、棚の中に置く作業をもう1周して行いました。それでもまだ全てはハケません。そうこうしているうちに夕方になってしまいました。これ以上区役所内にいても配るあてもなく、手元に数十部残ったまま、ぼくは区役所を後にしました。

 「残った新聞をどうしよう?」と思い悩みましたが、区役所の最寄駅まで戻ったところで、先輩に公衆電話から電話を入れることにしました。電話に出た先輩は、「どうしたんだい?他の連中は全員とっくに戻って、後は君だけだよ?」と心配していくれていました。そこで、新聞が残っちゃった事情を説明します。すると先輩は状況を全部聞いてくれた後、「大きな声じゃ言えないけどね、残ったのは駅構内のゴミ箱にでも捨てておいで。持って帰ってくるのも無駄だから」と、小さな声でアドバイスしてくれました。

 浜松町で待っていてくれた仲間はぼくに向かい、「何してたんだよ、遅すぎだよ」と、非難の嵐です。2級上の先輩に、どうやって新聞をさばいたのかこっそり聞いてみました。すると「棚にバカバカ入れて、部課内の島にボカボカ置いて、1周終えて余ったものは、近所の公園のゴミ箱にポイッと捨てた」との回答。「終わってから時間をつぶして、それでもぼくより2時間も前に戻ってた」とのことでした。

 ぼくは大学卒業後、広告会社に入りました。広告会社では、メディアを担当するセクションに居たこともあります。メディア担当時代には、世の中には、ありとあらゆる業界に、専門の業界新聞や雑誌があるのだということを知りました。例えば、水道関係者向けに、「水道新聞」や「下水道新聞」、「水道産業新聞」というものが3紙もあったりします。あるいは、酒屋さん向けに「酒販ニュース」なる新聞も存在します。電気新聞とか、自動車新聞なんて、相当メジャーな方です…。

 でそれぞれの業界紙・誌は、そのステータスを高めたり、広告料金を少しでも高く設定するために、発行部数がとても大きな影響力を持つわけですね。テレビ番組が、視聴率を取るのにやっきになるように。だから、先輩が就職した「なんちゃら都政新聞」も、よりたくさん配ることは重要で、余っちゃった新聞を、そっと誰かがどこかで捨てちゃうことは、実際に必要な部数が白日にさらされるより、良いことだったわけです、きっと…。ドカドカ配ってポイッと捨てた2級先輩の方が、余ったことに心を痛め、OB先輩に相談したぼくよりも、正しい姿だったことになります。世の中って、ムズカシイね。

 このバイトは1回こっきりで、どのくらいの頻度でどのくらいの部数配布されているのか? 購読の本流は別にあるのか? などは不明のままです。ちなみに先輩はそれから後、彼が住んでいる県の地元の新聞社に、転職いたしました。バイト終了後はぼくの要領の悪さを肴に、居酒屋で飲んだのはいうまでもありません。バイト代は、この酒代に消えました。
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 次回は、「リポート4.商品パッケージのアンケート回答」を紹介しようかな。これも大学時代、サークルの溜り場にいて、誘われました。
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ぷちりぽ.その1

2007年05月14日 | Weblog
【母の日によせて…】
昨日は母の日だったので、カーネーションを贈りました。
プレゼントするとき、思わずペロリと出てしまった舌には、
一体どんな意味が?
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片田舎町内会リポート.22

2007年05月12日 | Weblog
 いわゆるGWも終わり、世の中が急に再び動き始めた感じの1週間でしたね。新入生や新社会人や、新地域人(退職後地域デビューの人)の方々、新生活はいかがですか? 5月病っぽかったりしてませんか? こちらは地域デビューするつもりはまだなかったのに、妖怪によってさせられた、町内会書記役の報告であります。職場では古株で、自治会活動も2年目で、ということですので、緊張感はないものの、お疲れの5月病になりそうではありますけどぉ…。

【リポート22.第2回春のイベント準備役員会】
 先日、本年度2回目の「あけぼのA丁目第2回役員会」を開催したので、早速報告いたしますよん。第2回役員会のテーマは、春のイベント「町内歩こう会」一色であります。これにむけて書記役であるぼくが用意した資料は以下です。

1.第1回役員会の、議事録
2.歩こう会の、地図
3.歩こう会の、段取り資料(飲物係用、弁当係用、参加賞係用、交通整理係用)
4.昨年の歩こう会の、金額入り購入品一覧
5.昨年の飲み物の、注文書

 1.は、4役のみで共有する目的の、備忘メモ程度に箇条書にしました。班長を含めた役員全員にフィードバックするのは、会員からの要望をとりまとめた会の時だけにした方がよかろうと考えています。従前もやってなかったし、いちいち「そこは違う」とか、「あれも書いとけ」とか言われても面倒なので…。

 2.と3.は昨年のファイルを、日付や1部情報を変えた程度の変更です。そして4.5.は、手を加える必要はありませんでした。従って、資料の内容変更と印刷に要した時間は1時間程度でしょうか。家のプリンターで1部ずつ印刷してこれを原紙とし、公民館のプリンターで人数分印刷して用意することに。その後、一応4役には事前配布し、内容を確認しといてもらおうと考えました。

 原紙を持って、各50部近く印刷するために公民館に到着。公民館の玄関と、事務室の鍵をそれぞれ開けて、プリンターに向かいます。プリンターと書いたのは、公民館に用意されている物は、コピー機ではなく、リソグラフなんですね。で当然モノクロですし、フル装備のコピー機と違って、原紙を送り込む機能もなければ、印刷した物をソートする(仕分ける)機能もなく、ましてや自動で両面印刷するなんてこともできないわけです。

 1番不便なのは、ソートできないということです。5種類の印刷物を50部セットするのは、1人でやると相当(ソートとヒッカケたダジャレではありませんっ)手間です。そこで今回は、弁当係、飲み物係、参加賞係、交通整理係の、係りごとに島をつくって座ってもらい、島に必要部数を置いて、各自資料を取ってもらうという戦法でいくことにいたしました。

 リソグラフによる印刷を終え、会長、副会長、会計、書記の4役分の資料を、次回役員会に向けた段取りのメモ付きで届け終えるのに、約2時間というところ。先の1時間と合わせると、今回第2回役員会の準備に要した時間の合計は、おおよそ3時間でした。資料も少なく流用がほとんどなので、やはり第1回よりかなり短い時間で終えることができました、ホッ。

 第2回役員会当日は、各班長が回覧してまとめてくれた「歩こう会参加者名簿」を提出いただくお約束です。そして話し合いとしては、3.の係りごとで相談いただいて、責任者と、役割分担を決めていただくわけです。例えば飲物係内では、責任者、発注担当者、店から引き取って参加者に供出する場所まで運ぶ担当者、供出する担当者と、それぞれの時間目安、といった具合に。

 ぼくは当日、全体の参加人数を早く集計して出して、購入量の相談に活かす情報としていただくため、ノートPCに全体集計用のExcelファイルを持ちこんで、集計することにいたしました。1つの班長が参加者名簿を忘れて取りに帰りましたが、その他の班長はちゃんと持ってきてくれました。優秀、優秀…。

 20程度の班に及ぶ参加名簿に記載してもらっている人数を、表に打ち込んでいくのですが、各班の名簿が2枚にわたっていたり、記載している合計数の書き方がまちまちで、思っていたより手間がかかってしまいました。それなのでこの作業に没頭していた時間が結構あり、各係りごとの相談でどんな議論が持ち上がったのか、そのネタを拾えずじまい。例えば、誰も責任者になりたがらず、話がぜんぜん前に進まないとか(去年のぼくのように)、あるいは、現実的ではないすっ飛んだアイディアが出るとか、面リポのネタはこの辺が宝庫のはずだったんですがね。残念…。

 ちなみに、連絡なしの欠席者が4・5人いて、飲物係りは各担当の割り振りに人数が足らず、副会長がそれを補うこととなりました。また弁当係りも、もとの人数が少ないのに1人欠席で、仕分けを班長等にお願いすることになりました。また出席した人の中でも、「当日は妻が出ますから」とか言って、相談内容がまるで他人事のような方も1名いました。去年のぼくの心持を考えると、あまり責めるわけにもいきませんが、せめて事前に欠席の連絡があれば、係りの人数配置を変えることもできたのですが。

 各係りで決めたこと(責任者や役割内容に応じた担当者、タイミング)を全員に紹介してもらい、お金の拠出や、領収書の宛名などの説明をして、会合は終了。終了後、会長と副会長、書記で、今後に向けた確認をすることとしました。確認の中で、写真を撮っていくことについては、副会長宅で修理中のデジカメ(メインで使っていない)の修理がうまくいけば、それを使ってイベント担当等に、順番に撮影担当をやってもらう。撮った写真は副会長が探しておいてくれた、無料ストレージサービス(いわゆるネットアルバム)で蓄積していく。そんな結論となりました。

 会長がその後根回しをしてみたが、あてにしていた写真好きはみな、フィルム派でだめだった。また会長宅のデジカメは、ソフトもみつからず古いタイプなので使いにくい。ぼくが提案した、携帯カメラで撮ってもらい、ネットアルバムにUPしてもらう方法は、パケ放題に契約してない人には金銭負担が生じる。そんなことでどれもダメだったということですね。

 公民館を出てぼくは、早速家で集計表に各係り毎の担当者名を記載し、4役分を印刷して他の3役宅のポストに入れておきました。これに要した時間が0.5時間程度。会合そのものや会合終了後の確認打ち合わせに要した時間は2.5時間程度でしたから、準備を含めて合計すると、第2回の役員会のためにぼくが稼動した時間は、都合6時間程度ということになります。
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 今後の予定としては5月末に、「町内清掃」と「歩こう会」の実施があります。おそらく次回、片田舎町内会リポートは、これらの報告となる予定。しかし書記役は今回みたいに会合やイベント中も忙しく、面リポネタを拾えない可能性もあり。その場合は、町内会におけるNet活用の可能性なんてテーマを、考えてみることにいたしましょうか?
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こぉんなバイトがあったぞ!リポート.3

2007年05月04日 | Weblog
 GWなんですが、事件があちこちで起きているようです。見知らぬ男に突然刺されたり。銀行に押し入られて人質にさせられたり。日本でも米でも、銃で撃たれてしまう事件も頻発しているようですし…。

 うかうかしていられない、世の中になってきてますね。話は、今よりもっとのん気だった時代、1970年代、ぼくが高校生だったころのアルバイトの紹介です。

【お歳暮配達】
 ぼくは、坂が多くて雪深い、北国の港町に生まれ育ちました。受験を経て高校生になって後の冬であります。中学時代からの同級生Yに誘われて、短期のアルバイトをいたしました。今回はその紹介です。まずはその、概要から。

①職種
言わずと知れたこれもバイトの定番でしょうか、百貨店(デパート)のお歳暮配達であります。

②給料
1970年代の高校生で、日給4000円かそれに届かない程度?だったような気がします。

③メリット
学校の冬休みの年内のうちに、短期集中型で稼げる。

④デメリット
とにかく体力勝負。へとへとに疲労する肉体労働。

⑤やったきっかけ
中学から同級生の、地元の友人Y(以下同級生Y)に誘われた。どうも、友人に誘われるパターンが多いですね。

⑥総合判定
やる前は想像していなかったが、相当肉体労働の割には得られる金は安い。もっと効率良いやり方はないのか、疑問が残る。

⑦コメント
 中学時代からの同級生Yに、冬休みに2つのバイトをしないかと話を持ちかけられました。1つは、デパートのお歳暮配達で、もう1つは、正月のしめ飾りの出張販売です。お歳暮配達は、冬休みに入ってすぐからクリスマス明けまでの1週間程度。正月のしめ飾りは、年末の2日程度で、「どちらも短期で、荒稼ぎしちゃおうよん」と、同級生Yは大人びた口調で言ったのであります

 しめ飾りの方は彼いわく、「知りあいが卸的なことをしているのだが、販売についてはエリアによる縄張りのようなものがすでにあって、新規参入はヤバイらしい」。そこで彼が知人から勧められたのが、「どうせ毎年買うぼくらの知人に、飾り(とりつけ)もしちゃいますと言ってあらかじめ予約してもらい、そこだけを廻って飾りつけとともに売る方法で、副業的にやる。件数は少なくても仕入れ値が安いので結構稼げるらしいよ」という戦法でした。

 学校が冬休みになるとすぐ、まずは1週間のお歳暮配達であります。デパートに行くのかと思ったら、ぼくらの家のほど近くにあった、配送センターに出勤でした。そりゃそうですよね、田舎町とはいえ中心街にあるデパートの建物を配達の拠点にしては、不動産費が高くつきますから。9時ちょっと前にセンターに着くと、待ち構えていた風のセンターの長老的なおじさんに、「今日1日は、センターの中で仕分けをやってくれ」と告げられました。

 ベルトコンベアーから流れてくる、お歳暮ののしをつけられた商品を一旦おろし、配達先の住居表示を見て、××市△△の、△△の単位で、鉄枠の大きな籠が用意されているので、それに仕分けていくのです。最初のうち、どの住所の籠がどこにあるのか戸惑いましたが、慣れてしまうと後は、おそろしく単純な作業です。ひたすらに、お歳暮に貼られている伝票の住居表示の住所を見ながら仕分ける。仕分けが滞ると、おろした荷物が溜まってしまい、さぼるわけにもいかない。

 時間が経つのが、とーっても遅い。「こいつは、1日が長くてやってらんないな」と、ため息とともに作業を続けたのであります。唯一仕事上での変化といえば、お酒のお歳暮の瓶が割れてしまったことでしょうか。俗にいうジョニ黒だったと思います。長老的なおじさんが、「瓶に残った分は、帰りにみんなで飲もう」と嬉しそうに言いました。仕事の終了時にはこのおじさんから「明日からは配達に廻ってもらうから」と告げられ、ぼくと同級生Yは、ほっとして目を合わせました。1日中仕分けでは、単調過ぎてとてももたないと、愚痴り合っていたので。

 翌日センターにつくと長老的なおじさんから、ぼくとYはそれぞれに一緒に廻る人を紹介されました。ぼくが紹介されたのは、四角顔の、結構ぼくれより年齢が高そうに見える男性でした。「では早速行こうか」と促され、ぼくらはセンターの前に止めてあるライトバンに向かいます。ライトバンは、タイヤにチェーンが巻かれていて、型式的にはおそろしく古く、とてもボロイしろものです。

 配達する荷物はすでに、バン後部に積まれていました。四角顔さんは運転席、ぼくは助手席に乗り込みます。そう、お歳暮の配達といっても高校生で、運転免許があるわけではないので、当然ながら配達助手なわけですね。目的の家の近くに着くと、四角顔さんが荷台から荷物を出します。そしてぼくがそれを受けとって家まで届け、在宅ならば受け取りの伝票に印鑑かサインを、不在ならば荷物を車まで持って帰ってくるという役割分担です。

 配達地域に着く道々四角顔さんから、色々教えてもらいました。四角顔さんはこう見えて(ふけて見えた)、大学生であるとのこと。自分の車持ち込みの配達のバイトなんだそうで、四角顔さんの場合このバンは、このために残りの車検期間がわずかなこの車を、5万円で購入したんだそう。終わったら廃車処分にすると言っていました。そして彼のもらうバイト代は、ぼくらのもらう額の3倍以上でした。

 彼はセンターにぼくらより早く着いて、どんなルートで廻るか自分で計画します。そしてそれに沿って、自分のエリアとして仕分けられた荷物を、自分の車に順に積んでおくわけです。だから荷物を取りだすのも彼がやった方が早いわけです。「運転免許という資格を持ち、配達車購入というなにがしかの投資をし、廻るルートを計画する、といった知恵を使う。そうすると、収入は3倍以上になるんだな」と、高校生ながらそのことは、ぼくの心に刻み込まれました。ガソリン代や車購入費、事故った場合の費用といった、経費やリスクも負っているわけですがね…。

 配達エリアに着き、荷物を渡されるとぼくは、走って目的の家に向かいます。坂と路地が多い街ですし、雪深いこの時期は、家の前に車を付けられるケースはまれです。ほとんどの場合、広めの通りに車を止めて、30~70メートル先ぐらいの家や、その他目印になるものを指差され、「あのあたりのはずだから」との指示のもと、荷物を持ってぼくは走るのです。

 内勤の単調さから解き放たれたぼくは、雪の中を子犬のように全力で走り廻ります。センター内の仕分けにくらべ、圧倒的に変化のあるこの状況は嬉しい。「あいつのろまなんで、助手を代えて下さい」とか言われて、内勤に戻されては大変。そんな思いもあります。いまにして思うと、もしかしたら初日に仕分けをやらせるのは、よくできた配達助手育成マニュアルが存在していたのでは?と思うのですが…。

 というわけで、昼飯時間には死ぬほど腹が減って、入った定食屋で頼んだ大盛定職を、喉を鳴らしながらかき込んだ次第。幸いにして仕分けにもどされることなく、残り期間はこの四角顔さんの配達助手を続けることができました。ちなみに、このバイト期間中の夜は泥のように眠るのですが、明け方は体の痛みを感じながら眠っていました。バイト期間が終わって裸になって計ってみると、始まる前より体重は5kg減り、胸や太股を見ると、筋肉が浮き出るようになっていていて、驚いた記憶があります。

 助手を続けるなかで、覚えていることがいくつかあります。1つは、お歳暮にも種類があって、缶詰や瓶物は重くて、不在だと持って帰らねばならず、とてもがったりしたこと。それに比べ「干し椎茸の類」は軽くて良い。「ぼくがお歳暮を贈るようになる折には、配達のバイトのために絶対干し椎茸!」と心に誓ったこと。これ、守ってませんが…配達の人ゴメンナサイ。

 2つ目は、届け先で奥さんが出てきて贈り主の名前を確認し、「これは、受け取れませんっ!持って帰ってちょうだいっ!」ときつく言われたこと。お歳暮を受け取るわけで、配達人には「雪の中ご苦労様」とか言って皆優しく接します。しかし、「贈られる人の立場や、贈り主によっては、受け取れないなんてこともあるんだな。それにしてもぼくにキツク当らなくてもいいでしょうに」と思ったこと。

 3つ目は、左側が崖になっている坂道で、トラックとすれ違う際にバンが左に寄ったひょうしに、急に左側が沈み込み、運転手の四角顔さんがぼくの右ほぼ真上にきて、驚いた事件。道に積もった雪を崖側にはねていて、道が左にもう少し広いように見えたのですが、実はそこははねた雪の集積だったので、車の左が沈んじゃったんですね。ほぼ真上になった運転席側のドアから脱出。すれ違ったトラックが止まってくれて、そいつは牽引用のワイヤーも積んでいる車で、トラックに引っ張りあげてもらって車も脱出して、事なきをえました。

 それにしても、当時は雪道はスパイクタイヤが全盛でした。しかし、なんといってもチェーンの威力にはかないません。デパートの配送センターに止めてある車はみなチェーンで、相当な坂道でもばりばり登っていたのも印象にあります。

 そんなこんなで配達助手のバイトを、毎日全力で走り回りながら終えたわけです。その後同級生Yと、年末の2日間で、知りあい10件ほどにお願いして予約を取っておいた正月のしめ飾りを、取りつけて歩きました。誰に指示されることもなくYとぼくは、気ままにルンルン気分で、知りあいの家を巡り、取りつけて代金を頂戴し、茶菓子などを御馳走になって楽しく過ごしました。そのうえ、この2日間で稼いだ金額は、配達助手のバイト7日間で稼いだ額より多かった。「つらさやガンバリに比例した報酬が、得られるのが世の常ではない」そんなことをここで学んだような気もします…。
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 次回は、「リポート4.業界新聞の配布」。大学時代に、先輩に頼まれて数時間やった、とてもニッチな業界新聞配布のバイトを紹介します。いまでもその全容が解らない、不思議な記憶であります。
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