おもしろい調査と僕のコメント629
,神や仏を信じますかという問いに対して58%は信じる、信じないが42%,信じない理由は
1科学的でない
科学が発展途上にある学問であることを思えば完璧なものではない。其の完璧でないものに、合致しないから信しないというのはおかしくはないか 科学は万能ではない。
2,神頼みしてもかなわない
自分の願いを聞き届けられないから神を信じないというのなら願いは叶ったときには信じるということなのか。だとすれば正解は信じるときも信じないときもあるということになる
3,存在が証明できないから信じない。
神は信じる心に存在わけで、信じないところ、あるいは信じることを拒否するところには存在のしようがない。もともと神は宗教的にしろ哲学的にしろ心や頭脳の中にあるもので証明はできないという本質を持っている。
4,無神論者である
人が神はいないといったところで何の客観性もない。ただそう思うだけの話である。
5,頼れるのは自分だけ。
緊急事態が起きたり、危険が迫ってきたりしたときに思わず神様助けてください、といわないだろうか。表面的には自分だけしか頼りにならないように思えても、緊急事態になったら腹の底に眠る大きな力=神に助けを求めるのが自然な姿である。また日常的に経験することである。
6,神を意識したことがない
神社があることは知っているだろう。また初詣に行くだろう
それすらしらないという人はおそらくいないだろう。
以上のようなこと考えると信じないといっても日常生活が切羽詰まっていないから、気が付かない、だけのことではないだろうか
最後に神の有無は信じるか信じないかにあって、存在に目をつぶったり、雲がかかってその存在が見えなかったりするということで有無が考えられているだけの話で、意識下では誰でも神の存在を知っている、信じているのではないだろうか。
話は飛ぶが、お釈迦様は宇宙の真理を発見した人だ。宇宙の真理を作り出した人ではない。とすれば誰かが真理を作り出したものがいるはずだ。それは神という言葉で表現しないと言い表せないのではないか。信じるにせよ信じないにせよ宇宙創成者はいる。
身の回りを見渡すと自分の力で作ったことがあるだろうか。
空気も水も太陽熱も、光も、自分さえも自分で作ったものではない。何かの力によって作られている現実を見るとき、信じることとは別の次元で神の存在を認めざるを得ないのではないか。
,神や仏を信じますかという問いに対して58%は信じる、信じないが42%,信じない理由は
1科学的でない
科学が発展途上にある学問であることを思えば完璧なものではない。其の完璧でないものに、合致しないから信しないというのはおかしくはないか 科学は万能ではない。
2,神頼みしてもかなわない
自分の願いを聞き届けられないから神を信じないというのなら願いは叶ったときには信じるということなのか。だとすれば正解は信じるときも信じないときもあるということになる
3,存在が証明できないから信じない。
神は信じる心に存在わけで、信じないところ、あるいは信じることを拒否するところには存在のしようがない。もともと神は宗教的にしろ哲学的にしろ心や頭脳の中にあるもので証明はできないという本質を持っている。
4,無神論者である
人が神はいないといったところで何の客観性もない。ただそう思うだけの話である。
5,頼れるのは自分だけ。
緊急事態が起きたり、危険が迫ってきたりしたときに思わず神様助けてください、といわないだろうか。表面的には自分だけしか頼りにならないように思えても、緊急事態になったら腹の底に眠る大きな力=神に助けを求めるのが自然な姿である。また日常的に経験することである。
6,神を意識したことがない
神社があることは知っているだろう。また初詣に行くだろう
それすらしらないという人はおそらくいないだろう。
以上のようなこと考えると信じないといっても日常生活が切羽詰まっていないから、気が付かない、だけのことではないだろうか
最後に神の有無は信じるか信じないかにあって、存在に目をつぶったり、雲がかかってその存在が見えなかったりするということで有無が考えられているだけの話で、意識下では誰でも神の存在を知っている、信じているのではないだろうか。
話は飛ぶが、お釈迦様は宇宙の真理を発見した人だ。宇宙の真理を作り出した人ではない。とすれば誰かが真理を作り出したものがいるはずだ。それは神という言葉で表現しないと言い表せないのではないか。信じるにせよ信じないにせよ宇宙創成者はいる。
身の回りを見渡すと自分の力で作ったことがあるだろうか。
空気も水も太陽熱も、光も、自分さえも自分で作ったものではない。何かの力によって作られている現実を見るとき、信じることとは別の次元で神の存在を認めざるを得ないのではないか。