目的
ネパール行きの目的は確たるものがなかった。無目的ではなかったが、さりとてなにかを目指してというものは何もない。
確かにヒマラヤの山を見たいとは思ったが、行ったのが九月で、まだ雨季であ・ 幃から期待はしてなかった。ただインドと比べると天国だという話はよく聞くのでそれならばという思いぐらいである。 実際にカトマンヅに来てみて、確かにインドとは違う。だいいち人情がネパールの方が日本人に近いような気がする。インドで味わったあのいやな思いがなく、ネパールの人とは気を許して付き合える。それにインドのあの暑さはなく、風は限りなくさわやかでやさしい。やはりお釈迦様が生まれなさった国である。ルンビニは時間がなくて行く事は出来なかったけれども、さわやかで親切な人が多いような気がした。
インドでいやな思いをした時には、貧しいから人を騙したり、脅したり、嘘を平気でついたりするんだろうと思って、ある程度は仕方がないと自分なりに解釈をして、納得していたが、ネパールへ来てみて、必ずしもそうではないということが分かった。貧しさの点から言えばネパールの方が上であるから、インド以上のことがあっても良い筈だ。しかしわずか1週間の滞在だったが、北東インドで味わった、あの不愉快さはたったの1回もなかった。こんなによい人の集まった国でありながら、貧しいというの・ 6ヘ何が原因しているのだろうか。
知恵がないのか、技術がないのか、教育がないのか、いろいろあろうけれども、自分なりの結論は工業国でないからだということであった。
農業や観光収入ではいつまでたっても豊かにならない。そんな事は百も承知はしていても、現実には何かが足りなかったり、社会がそこまで成熟していない上に、宗教上の禁忌などが重なって、社会の発展のテンポを遅々たるものにしているのだろう。やはり時間が必要という事なのだ。
仕方がない。大それた事を考えないで、自分の甲羅の大きさにあわせて、何か出来ることがあったらさせてもらおう。僕がネパールへ来て考えたことはこの程度の事であった。
東南アジア
インドでは生死の問題について考えた。特に生きること、漫然と生きることではなくて命のほむらを燃やして、一生懸命に生きることを真剣に考えた。
ベトナムではフランスに代わって、アメリカ流のビルディング・ +ェ建ち初め、サイゴンはそこに住む人々の発するエレルギーの溢れんばかりの大きさに、気後れすると同時に積極的に勇気づけられた。
カンボジャでは無実の中で、無残に殺されていった百万人以上の人々に、同情の涙を流し、タイ、バンコックでは日本以上の経済成長に目を見張った。
五十階建てのビルがあちこちに散見されるので、大阪以上の経済力かと評価したが、それはバブルであったことが近ごろ分かり、これから先、十年の苦難が想像出来る。
総じて、僕が歩く東南アジアは二一世紀に向けて元気がよい。押し寄せる大波の地響きのようなあの活気が感じられるが、それが何ともいえない魅力である。その活気やエネルギーを身にうけて、僕も大いにやる気が出るのである。すくなくとも日本に帰り着いて三ケ月間は、やる気が体内に充満している。三月は持つ。その間に取材の整理をして、それからまた出掛ける。治る事のない海外旅行病にかかっているのかもしれない。いやきっとそうだろう。