でんぼの神様
生駒山の麓に、関西地方では有名なデンボの神様 ・石切神社がある。祖母の時代からデンボの神様は耳にしていたが、こんなに効いてもらえるとは想像もしてみなかった。
実は言葉もしゃべれない乳児のおしりに直径1cm位のデンボが出来た。
皮下にどす黒い血と膿がたまっていて、見るからにいたそうである。外科医に診てもらうと、注射器でその膿を吸い取らなければと言う。その通りだけど、麻酔も打たないで、太い注射針でそれを吸い取ると言うことである。そしてその通り実行した。麻酔もないから乳飲み子は絶叫している。はたでそれを見ていると、こちらが気が狂いそうである。
かわいそうに!!一回目はそれで過ぎた。ところが3,4日するとまた今までより大きいデンボが出来ている。最初の時よりたちが悪そうだ。医者に行くと注射器で吸い取る他はないという。僕はちょっと待ってほしいと医者に申し込んだ。
このときデンボノ神様石切神社の話を思い出したのだ。
僕は急いで石切神社に願掛けに走った。偶然にもそのときは特別よく効くと言われている女性の神様・巫女が出ていて、でんぼ切りのまじないをしてくれた。それから拝殿にあがり、お祓いを受けた。それではまだ効き目がないように思えたので、お百度を一心不乱に踏んだ。孫のデンボが神様のお力で治りますようにと心の中で祈りながら。
それから2,3日すると不思議にもデンボは小さくなり始めた。医者に診せると前回やった治療が効いてきたのだと言った。僕はそれは違うと思う。最初の注射器による吸い取りから、後はもっとデンボは大きくなったじゃないかと思ったからである。
デンボが小さくなったなのは、神様のおかげだと思う。特によく効くと言われる先生が当日半紙に書いた孫の名前を指で何回も×印を切って呪文を唱えてくれたからだと思っている。お詣りして願掛けをして以降、デンボはみるみるうちに枯れてきて、元通りのきれいなお尻になった。あれ以降再発はしてない。おそらく今後も再発はないだろう。
朝日新聞の夕刊こころのページに大きく石切神社の事が載った。僕は実感あがるのでこの記事は僕だけではなく、多くの人が知っていて、また代々伝承されて今日に至っていると思った。そうでなければ、いくら神様だと言っても、御利益とその実績がなければ、時間という風雪には耐えられず、いつの間にはその御利益は風化してしまうに違いない。連綿と伝えられるには、それだけの力があるのだ。御利益がなかったら人間は現金なもので、いずれそっぽを向いてしまし、石切神社も過去のものになってしまう。連綿と今日までは続かない。
御利益の多寡は人それぞれだろうが、そこには不思議な何かがある。神のお力だ。とにかく僕は孫の悲鳴を聞かずに済んだ。しかもデンボは跡形もなく治った。それから4年ほど経って娘達夫婦に、当人の孫を連れてお礼参りに行った。孫は紙で作ったお百度のひもを、数えながら100回った。当人の僕がお百度を踏んでお礼参りをしたことは言うまでもないが、娘夫婦もそれぞれにお礼のお百度を踏んだ。石切神社は力の強い神様だ。今では我が家の語りぐさだ。
生駒山の麓に、関西地方では有名なデンボの神様 ・石切神社がある。祖母の時代からデンボの神様は耳にしていたが、こんなに効いてもらえるとは想像もしてみなかった。
実は言葉もしゃべれない乳児のおしりに直径1cm位のデンボが出来た。
皮下にどす黒い血と膿がたまっていて、見るからにいたそうである。外科医に診てもらうと、注射器でその膿を吸い取らなければと言う。その通りだけど、麻酔も打たないで、太い注射針でそれを吸い取ると言うことである。そしてその通り実行した。麻酔もないから乳飲み子は絶叫している。はたでそれを見ていると、こちらが気が狂いそうである。
かわいそうに!!一回目はそれで過ぎた。ところが3,4日するとまた今までより大きいデンボが出来ている。最初の時よりたちが悪そうだ。医者に行くと注射器で吸い取る他はないという。僕はちょっと待ってほしいと医者に申し込んだ。
このときデンボノ神様石切神社の話を思い出したのだ。
僕は急いで石切神社に願掛けに走った。偶然にもそのときは特別よく効くと言われている女性の神様・巫女が出ていて、でんぼ切りのまじないをしてくれた。それから拝殿にあがり、お祓いを受けた。それではまだ効き目がないように思えたので、お百度を一心不乱に踏んだ。孫のデンボが神様のお力で治りますようにと心の中で祈りながら。
それから2,3日すると不思議にもデンボは小さくなり始めた。医者に診せると前回やった治療が効いてきたのだと言った。僕はそれは違うと思う。最初の注射器による吸い取りから、後はもっとデンボは大きくなったじゃないかと思ったからである。
デンボが小さくなったなのは、神様のおかげだと思う。特によく効くと言われる先生が当日半紙に書いた孫の名前を指で何回も×印を切って呪文を唱えてくれたからだと思っている。お詣りして願掛けをして以降、デンボはみるみるうちに枯れてきて、元通りのきれいなお尻になった。あれ以降再発はしてない。おそらく今後も再発はないだろう。
朝日新聞の夕刊こころのページに大きく石切神社の事が載った。僕は実感あがるのでこの記事は僕だけではなく、多くの人が知っていて、また代々伝承されて今日に至っていると思った。そうでなければ、いくら神様だと言っても、御利益とその実績がなければ、時間という風雪には耐えられず、いつの間にはその御利益は風化してしまうに違いない。連綿と伝えられるには、それだけの力があるのだ。御利益がなかったら人間は現金なもので、いずれそっぽを向いてしまし、石切神社も過去のものになってしまう。連綿と今日までは続かない。
御利益の多寡は人それぞれだろうが、そこには不思議な何かがある。神のお力だ。とにかく僕は孫の悲鳴を聞かずに済んだ。しかもデンボは跡形もなく治った。それから4年ほど経って娘達夫婦に、当人の孫を連れてお礼参りに行った。孫は紙で作ったお百度のひもを、数えながら100回った。当人の僕がお百度を踏んでお礼参りをしたことは言うまでもないが、娘夫婦もそれぞれにお礼のお百度を踏んだ。石切神社は力の強い神様だ。今では我が家の語りぐさだ。