当たり前のことが
-10度の吹雪の夜道に体を濡らしながら、やっと家にたどり着いた。家
の玄関の扉を閉めると、家の中の暖かさが体中に染み渡る。
さらに床に入ろうとすると、電気毛布のおかげで、布団の中はほかほかである。
早速その中に潜り込むと、先ほどまでの寒さが思い出された。
暖かい布団に潜り込んで、ぬくもりのありがたさが身にしみた。
-10度の寒さ冷たさ、おまけに吹雪ときている。こんな夜はキツネもたぬきも寒かろう。どのようにして暖をといるのだろうか。
人間として生まれてよかった。
こんな寒い夜でも家に帰れば、室内暖房があり、暖まった布団がある。
僕は布団に潜り込んだこんな場面と、マイナス10度の寒さに吹雪の中を足早に歩く場面と比較することによって、家庭がどれほどありがたいものかよくわかった。
考えれば当たり前のことである。これこそ家庭の日常風景である。しかしそれは吹雪の中を通って初めて感じられる暖かさで、外での寒さが身にこたえないと、家の中の暖かさや、ありがたさがわからず、単なる日常風景として見逃してしまう。
これは辛い塩を舐めたから、砂糖の甘さが分かるのと同じ原理なのだろうか。
日常生活でごく当たり前に思っていることでも、場面が変わればその当たり前が感謝の対象になる。