日々雑感

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ベートーベンに思う7-50

2010年12月29日 | Weblog
ベートーベンに思う

年末になった。第九があちこちで歌われた。ベートーベンを厳格に解釈して、彼の心に迫ろうとするものから、もっと庶民的に砕けて演奏しようと言うものまで、色々ある。どれでも良いが、僕はベートーベンの本質まで迫る演奏を聴きたい。

何かの本で読んだが、彼は知能指数がとても高く群を抜いていたという記事を思い出す。ちなみに世界の芸術家の知能指数は作品から推定する他はないのだが、一番はゲーテだったと記憶している。ベートーベンは二位だったと思うが、何しろ測定できるようになったのは、彼らがとっくにこの世を去ってからのことである。
どこまで信じて良いのやら、判らないが、曲の構成から判断すると、やはり並の人間の出来ることではないと思う。天才には違いないが、彼は「継続は力であり、努力によって成果が得られる」という。天才にして、努力、その根底には、彼は並みはづれの高い、より優れた知能指数がある。IQも彼くらい高くなると、社会的には非調和だとコメントされているところを見ると、並の人とはつきあいづらい存在だったことだろう。
同世代の、並の人の目には、おそらく彼のことは、変人と映ったことだろう。変人の一言で片付けたことだろう。
それで良いのだと僕は思う。一世紀に一人出るかでないか、の人だからこそ、彼のような仕事が出来たのだろう。

西洋の感覚と東洋の感覚は確かに違う。文化の違いか、宗教の違いか、価値観、世界観の違いか、果ては人種の違いか、取り巻く環境の違いか。
こと音楽の分野では、その違いが際だっている。先日見た映画「未完成交響曲」の中で歌われたシューベルト歌曲
「楽に寄せて、」「菩提樹、」「アベマリア」など。戦後のドイツを代表する名テノール・ルドルフ・ショックの歌声を聞いていると、日本の声楽家のどのテノールとも違う響きがある。どこがどう違うのか判らないが、違うことだけは間違いない。しいて言うなら、人種固有の、体格や精神構造の違いかなと言うところに結論を持って行くことになる。

そうは思うものの、近頃東洋系、とりわけ日本人がヨーロッパの名だたるコンクールで入賞するのを見れば、音楽という部分に盛り込まれた、魂の部分は、西洋東洋の区別はなくて、同じではないかとも思う。

しかしベートーベンのような作曲家が日本に生まれるかと言えば、答えはノーである。多分出ないだろう。 何故か?
日本人作曲家には哲学が欠落しているから、彼のような曲を書くことは無理だろう。

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