日々雑感

心に浮かんだこと何でも書いていく。

何が足りないのか

2014年09月07日 | Weblog
何が足りないのか

夏は暑いのが当たり前。冬は寒いのが当たり前。
だのに夏が来れば暑い暑いとぼやき、冬が来れば寒い寒いと小言をいう。
この世は人間中心に動いているのではない。
寒い暑いは地球の動きである 。

そこで人間は考えた。暑い夏には冷房を、寒い冬には暖房を。
人間の知恵が冷暖房に及んでいなかった時代、暑いサムイという自然環境を受け入れざるを得なかった。そして暑い寒いとぼやきながら自然のままに生きた。

上手につきあったのだろう不思議にも夏にも冬にも死人が出ることはほとんどなかった。ところが文明が発達した今日、熱中症で何人もの人間が命を落としている。
どうしてだろう?何が足りないのか。

被害者の人権

2014年09月03日 | Weblog
被害者の人権

加害者の人権を守れというの、何故被害者の人権復活をさけばないのか。

恣意的に身勝手名振る舞いで、人殺して、のうのうと生きている奴、人の道を外れた野獣に、どうして人権があるのか。

善良な市民を殺した段階で、殺人者は、人間ではなく、その所業は野獣としか言い様がない 。

野獣に人権が付与されている事自体が、不公正だ。野獣には野獣らしく殺処分をすれば良い。それも目に見える感じで。

殺人犯をいくら処分しても、殺人事件はなくならないだろうが、人の命を奪うと言う反社会的行動をとったときには、確実に目に見える形で社会から報復を受ける。即ち殺処分されると言う鉄則を、社会中に浸透させ、はり巡らさなければ、自己防衛どころか、社会防衛も危なくなる。

時間の早さ

2014年09月02日 | Weblog
時間の早さ

十歳の時も七十歳の時も,1日は24時間のサイクルで廻っている
だが子供の時は「早く来い来いお正月」だった。時の流れがゆっくりしているように感じていたのである。

ところが七十歳になって見ると正月は直ぐ来てしまう。
時間のスピード野間隔が、5倍も、10倍も違う様に感じる。
年をとると1年が早い。
あっという間に冬が来て、春かと思えば梅雨時である。
暑いとぼやいているうちに秋風が立ち、雪が舞う。
とにかく時間と言うのは自覚できる早さで過ぎ去っていく。
このままだと八十歳も秒読み感覚だ。何をしているわけでもないのに。
誠に、光陰矢の如しだ。

東京一極集中

2014年09月02日 | Weblog
東京一極集中

東京の人口が多すぎると、言われてから久しい。その反面地方では消滅自治体の数が想像以上だ。国土の人口のアンバランスである。

これは早急に是正しなくてはならぬ。いろいろな条件が整っていて、産業活動は東京がしやすいという点が一極集中の主な原因だろう。確かにそう思える。

しかしそれに比べて地方が疲弊しすぎている。それもそのはず、地方では仕事がないからである。仕事がなければ地方にとどまっていても、生活が出来ないからやむを得ず、地方人は都会へ出てきて仕事に就くことになる。
つまり都会は人口の求心力が強いのだ。

戦後の一時期はそれでも良かったが、現代では日本国家そのものが過密と過疎のアンバランスがいびつになりすぎである。
政府は地方復活の所管大臣を設置して対策に当たるそうだが、此の過密化をばらすには、相当の覚悟が必要である。
しかし万難を乗り越えて、これを実施しないと、50年先は人口減少と相まって立ちゆかなくなるだろう。
早急に対策を立てて地方分散を実施すべきである。

たまに東京に行くことがあるが、駅に着いた途端人口の多さにすくんでしまう。
企業のみならず、そこにすむひ人達だって 此の混雑の中で生活をしていると思うと、果たしてゆっくり人生を味わって生きているのだろうか、と考えてしまう。

電子機器がこれだけ発達しているのだから企業の地方分散化を進めても、業務に支障が出ることは少ないのではないか。

東京で企業活動をすれば、税金面などで、それだけコストが高くついて企業経営に大きな影響を及ぼす様なシステム、例えば税金など、でかなり強圧的に作業を進めないと、生ぬるいことをしていては、肥大化しすぎて、滅亡の道をたどることになるだろう。西洋古代都市がそうであったように。