日々雑感

心に浮かんだこと何でも書いていく。

夜行寝台バス0

2018年08月09日 | Weblog
日本を出るときから夜行寝台バスが走っているのを知っていた。生まれてこの方乗ったことがない。僕は旅の目的の1つはこれに乗ることにした。子供じみた目標である。
 麗江から大理までは200キロ、朝9時のって3時頃に大理についた。大理から昆明までは330キロ、こちらに来るときは大型観光バスで約10時間かかったから夜行バスもそのくらい掛かるだろうと推測した。
 大理からバスは4台出た。どれも満員である。僕は一番後ろのバスにした。
 定員は33人。料金は一人分50元だと言う。寝台の広さは幅が50センチ長さが180センチくらいで1マスは二人用である。つまり1マスは100センチ掛ける180センチである。
 バスくらいは贅沢しなくちゃと思い僕は1マスつまり二人分を一人で買い切りゆったりと寝ることにした。乗客は皆カップル、しかも皆若い。シングルは僕だけだった。
 交代要員の一人用ベットを除けば皆二人用で、真ん中を通路にして両脇に上下4列に並んでいる。片側に8ベットだから16人、両側で32人。僕は一生懸命に気をそらした。
 ところが僕の真後ろの二人組があられもない姿で抱き合い、絡みあっているのが目についた。
ええっ?バスの中で。公衆の面前で。おいおい、それはないよ。恥ずかしいとは思わないのか。他人事だけれども頭に血が上った。のぞき見したい気もあったら恥ずかしいという気が先にったった。僕は息を凝らしながら彼らのあえぎ声に全神経を集中した。中国語だから意味はわから無かったが、こればかりは世界共通で中身はわかる。
そういえば中国のトイレには驚いた。日本のように一人一人が他から遮断されたブースにはなっていないのだ。囲いも仕切もなくすけすけだからお隣さんの顔を見ながら用を足すことになる。それだけではない。ブースがないから勿論前には扉もない。混み合うとこちらがしゃがんでいる最中にも前に人が立って待っているわけだ。これじゃ出るものも出ない。トイレを使う度にこんな思いをした。
 旅行期間中ついぞ僕はトイレになじめなかった。恐らく日本人はこんなトイレにはなれていないから、恥ずかしいという思いが先立つだろう。
 しかし中国方式が悪いわけではない。思いが違うだけである。つまり習慣、大きくいえばトイレ文化が違うだけのことである。
後ろさんはますます激しく大胆に愛し合っている。これはいかん。
 僕はズボンのポケットから睡眠薬を出して飲んだ。時計を見たら11時である。それ以後はなにも知らない。
 目が醒めたら昆明に着いていた。朝8時である。寝台夜行バスの旅はこうして終わった。
みなさん。お疲れさま。


青春18キップ

2018年08月04日 | Weblog
青春18キップ

夏も春も冬も売り出される期間限定の18キップ。

何年前か忘れたが、大阪から北海道木古内まで行ったことがある。

渋民村を訪ねただけで、それ以外は下車しなかった。

何を食べるわけでもなく、何を見るわけでもなく、ただ呆然と走る

列車に乗ってるだけで、楽しかった。

ローカル列車は青春を運ぶ列車である。

暦年齢では青春を遙かに超えた人でも、

精神年齢では青春まっただ中という人も居る。白髪になってもなお

夢を追いかける僕は青春人

ローカル列車は新幹線のようなスピード感はない。それがまたうれしい。

列車を乗り継ぐと乗客が入れ替わり、方言も変わってくる。

それがまた、何ともいえない妙味である。

青春人であるつづけるためにも18キップを手にしたい。

この暑さの中で

2018年08月02日 | Weblog
。頭のてっぺんから焼き付ける様な夏の太陽の熱暑を浴びながら、歩いていると頭がくらくら

するような気がする。

気温35度の炎天下、団地の清掃をしてくださる人を見かけて、思わず、


ありがとう。十分休みながら、無理しないように気をつけてくださいよ。と声がけした。

気をつけながら作業してますので、、、、彼はこう返事して黙々と作業をつづけている。

地の塩であろうが、こういう人たちが居るからこそ、社会は穏やかに動く。

僕もいつかは人に喜ばれることをしようと心に決めた。こう思ったのは悟りではない。

天啓に違いない。

ボランチア

2018年08月01日 | Weblog
他人が困る姿を見るに見かねて、労力を惜しまず人助けに入る人たちには敬意を表して、

頭を下げるほかはない。

身勝手で自分の利益ばかりを計る人が多い中で、悪条件を乗り越えて困った人々の手助けを

しようとする姿には人間の善意を見いださないわけにはいかない。

自分はこの暑さに我が身をかばう力しかなく、それだけにより崇高な姿に映る。

ボランチアをされている皆さん。ほんとうにご苦労さんです。あなた方の積徳はきっと、

我が身の喜びと成って帰ってくることでしょう。感謝の意を込めてありがとうと申し上げます