本年5月中旬にFESCO社長を退任し、9月下旬にFESCO取締役も退任した時から、2か月あまり、やっと次なる道が見えてきました。
もう一度、FESCO創業時の志と原点に立ち戻って、自らに託された天命を探し求めて、再チャレンジを試みたい。
その一端が本日2007年12月8日(土)の日本経済新聞に掲載されました。
変わらぬご支援とご協力のほど、何卒よろしくお願いします。
本年5月中旬にFESCO社長を退任し、9月下旬にFESCO取締役も退任した時から、2か月あまり、やっと次なる道が見えてきました。
もう一度、FESCO創業時の志と原点に立ち戻って、自らに託された天命を探し求めて、再チャレンジを試みたい。
その一端が本日2007年12月8日(土)の日本経済新聞に掲載されました。
変わらぬご支援とご協力のほど、何卒よろしくお願いします。
動機論(2):創業者は一種の分裂症では?
創業者は、会社設立後のさまざまな場面で、「なぜこの会社を立ち上げたのですか?」という質問を繰り返し、繰り返し受ける。
創業者にとって、この最も根源的な質問にどう答えるか?もちろん、十人十色であろうし、正解などあるわけがない。
ただ言えることは、その人にとって決して答えは単純に一つではないのではないか。また、一つである必要もないし、そもそも一つであるはずがない。
さらに、質問者が誰であるか、またどういう場面での質問かによっても、答え方は異なるだろう。また、答えを聞いている人が誰なのかによっても違う答え方になるものだろう。
たとえば、質問者が新聞や雑誌の記者だとすれば、答える対象は新聞を読むビジネスマンであろうし、その雑誌の読者ということになる。
その場合、本音と建前をどう使い分けるかということもある。本音を言える場なのかどうか、ここは建前でいくべきか、などとその場の空気に敏感であるべきかもしれない。こういう言い方をすると、とても不謹慎に取られるかもしれないが、誤解を恐れずに敢えて言えば、創業に至る動機は、そんなに単純ではなく、いろいろな思いが複雑に絡みあっているものではないだろうか。
少なくとも私は10年前に初めて会社を創業した時は、そうであったし、つい最近二度目の創業した時も同様であった。
ただし、相手や場面で答えそのものや答え方が異なっても、その軸は一本筋が通って、常にぶれないことが必要である。
そもそも会社をゼロから創業しようなどという無謀な(?)人種は、いろいろと複雑な人間性を持っているもので、大抵は「煮ても焼いても食えない」タイプが多いのでは?
ただそれも第三者から見た時のことで、創業者自身は、自分だけは純粋無垢だと思い込んでいることが多い。
私自身もまったくその一人であり、反省・自省することは多々あるものの、心のどこか奥深いところで、俺は絶対に正しいと信じているのである。
(次回に続く)
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