昨日の夜、NHKで原発をどうするかという視点での長時間の討論番組が放送された。原発推進派と脱原発派に分かれた議論は、今までにはないテーマでのそれぞれの主張のやりとりがあり、なかなか興味深いものであった。
先週一週間の政府の原発への対応を見ていると、この政権にはとても任せておけないというのが、私の個人的な見解であるが、おそらくは国民の大半の意見ではないだろうか。
リーダーたるもの、刻々と変わる情勢判断によっては、朝令暮改を恐れるにあらず。私もそれこそがリーダーの大切な役割だと思うし、そうした突然の方針変更には、相当な信念と覚悟も必要なはずだ。
しかし、同時に「なぜ変更したのか、考えを変えたのか」ということについては、丁寧に説明が必要なのではないか。そうしなければ、誰もそのようなリーダーには付いていかなくなるのは必定である。結果として、部下が動いてくれなければ、リーダーは裸の王様で、やりたいことがあっても何もできなくなる。
一方で、あくまで個人的な見解であるが、この国で超人的なリーダーの出現を期待することは無理だということも、この数年でいやというほど思い知らされてきた。国民すべてが、あるいは企業人はそれぞれの立場において、自らの信念と覚悟を持って、自らが信じる道を進むしかない。誰かに頼るのではなく、まず自分自身を信じることしかない。国にも公共にも頼るのではなく、志を同じくする者が一緒になって社会を良きものに変えていくしかない。
日本企業の経営者も政府に期待するのではなく、それぞれに独自の生き残り策を考えて、実行していくことになっているであろう。
この数年の政治の不毛状態を突き付けられて、われわれ自身がもう目覚め、覚悟を決めねばならない瀬戸際に来ていると痛切に感じている。
さて、日本のエネルギー政策であるが、昨夜の討論で全く語られなかった点が一つあり、まずはその点から指摘しておきたい。それは、エネルギーの需要をどこまで下げるのか、その下がった需要を前提として供給側の選択をしていくということ。
原発がないと電力の供給不足が生じ、われわれの生活に大きな支障が出る。
このように言われる時、その大前提として、実は今のエネルギー・電力需要がそのままであることに私はとても違和感がある。
1973年の第一次オイルショックから、2008年までの35年間で、GDPは約2.5倍になった。同時に、エネルギー消費量も全体として2.5倍になっている。電力だけをみても、まったく経済成長と正比例の関係にあり、1973年の2.5倍である。
このことは一体何を意味しているか。われわれはエネルギーや電気が有限の資源であることを忘れ、ひたすら経済成長と快適性を両立させ追求してきた。
そして、今までのエネルギー政策の基本は、増えていく需要にどう応えるかということが主体となってきた。だから安定電源としての原発も積極的に増やさないといけない。
確かに、オイルショック後に脱石油、石油代替という政策は採られたものの、本気になってエネルギー消費量をどこまで抑制するかなどという政策を国民全体、特に家庭部門などにはまったく強制してこなかった。
生産部門のような大口需要家などは、省エネ法などの強化によってある程度の効果と実績を出してきたが、これからはまずは家庭部門、つまりわれわれの生活そのもの・ライフスタイルを省エネ、節電型に見直していくべきであり、そこにある程度の強制力を発揮させる時なのではないか。
脱原発であろうがなかろうが、その議論の前にわれわれ自身の意識をエネルギー消費量の抑制が当たり前であると変えることから始めるべきでないか。
新しいエネルギー政策の一丁目一番地は、産業界や運輸部門だけではなく、家庭部門を含めた国民全体で省エネと節電をどう進めるか、国としてどこまで総需要量を減らすか。
まずこれをはっきり決めなくてはならないだろう。