人生には実にさまざまなことがあり、日々起こる。その事象を自責的に見つめることができるか、他責的に自分の行為を正当化しようとするか。
その出発点の違いに人間の成長エネルギーの源流がある。
ただし、常に自責的な態度ができる人は、決して先天的な才能ではない。その人なりの葛藤の人生を歩んだ末に、行きつくような境地であろう。
子供のころは、皆自分自身がかわいい。そして成長と共に、いろいろな経験やさまざまな人との出会いを通じて、自らを客観的に見られる力がついてくる。
順境時よりも、逆境時にこそ自らを深く見つめることで、見えてくるものがある。
人間の器。
なんと小さきことかと愕然とする瞬間がある。そこで自責の念を抱く。
そして、その苦境を乗り越えた時には、器がちょっとだけ大きくなっているかもしれない。ただそれに気づくのは、次なる試練の時になるのだが。
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