去る7月8日、父親が永眠いたしました。
毎日咳が酷く、近くの開業医の先生には、喘息の薬を処方されていたのですが、一向に治らず一年ほどが経過していました。
6月の、車の事件があった後、胸が痛いと言い出したのですが、精神的なものだろうと思っており、安静にしていれば治ると思っていました。
それがいけなかったんですね。
本人もまだまだ田んぼの仕事もしており、普通に生活が出来ていました。
でも、かなり疲れるようで、また、夜も咳が出て横になれずに、座椅子で座ったままうとうとして、朝を迎える生活でしたので、かかりつけの医院ではなく、総合病院へ行くように言っていたのです。
でも本人は、かかりつけのお医者さんの言うことを信じて、6月16日にも喘息の薬などを渡されて帰ってきていました。
その後、咳をすると血痰が出るようになり、胸が苦しいと言い出したので、7月3日になって、私が車でかかりつけの先生の所へ連れて行きました。
その時は、自分で歩いて車に乗り込んだのですが、医院に着いた時には車いすで運ばれ、すぐに検査。
そして、肺炎をおこしていると言われました。
しかも、なんで1週間前に連れてこなかったんだと怒られる始末。
救急車で総合病院に運ばれて、即、入院となりました。
そこでも、担当の先生から、あと1週間早ければ・・・ということを言われました。
いつ容体が急変してもおかしくない状態なので、覚悟しておいてほしい、と。
それでも私は、お医者さんて、最悪の事態を想定して話すので、1か月も入院すれば退院できるって、勝手に思っていました。
実際、前日の、7月7日までは普通に会話もできており、夫も田んぼのことなど指示してもらっていたんです。
その時の担当医の説明では、肺炎がかなりひどくて水が溜まっているので、その水をおしっこと一緒に出すお薬を飲んでもらっていること、まず、肺炎を治すように酸素吸入の装置を付けて少しでも呼吸を楽にしてもらっていることなどを説明されました。
実際、かなりの高濃度の酸素を吸入して、やっと息ができるようになったようなのです。
肺炎で酸素があまり取り込まれなかったせいで、心臓がかなり弱っていて、普通の人の3分の1くらいしか血液を巡らせられていなかったそうなのです。
そのせいで、もう、腎臓にも負担がかかり、弱ってきていることも言われました。
父親も苦しそうな息遣いではあったのですが、淡々と話もしていました。
それが、次の日の早朝に、病院から電話があり、状態があまりよくないと。
私は夫の運転で、子ども達もつれて急いで駆けつけました。
すでに父は、目をつぶり、苦し気に呼吸するのが精一杯の状態になっていました。
もう駄目かもしれないとは感じましたが、とにかく声を掛けて、励ましました。
状態が安定したのでいったん帰宅したのですが、もう一度、13時に電話があり、血圧が低下していると。
また4人で駆けつけたのですが、すでに父の息は持ちませんでした。
7月15日が誕生日でした。
父のたった一人の妹である、私の叔母も、娘3人と会いに来てくれて、まだ息があるうちに面会してきました。
私の妹は他県に住んでいるので、間に合いませんでした。
入院して、たった5日間で息を引き取ったのです。
私は父とはいろいろ確執があり、複雑な気持ちですが、それでもあれを聞いておけばよかったとか、あれもしてあげればよかったと言う気持ちはあります。
夫は泣いていましたし、次女もぼろぼろ涙をこぼしていました。
でも、それからが大変です。
葬儀屋さんに連絡し、父の身体を運んでもらい、自宅の奥座敷に寝かせてもらいました。
病院からは死亡届の用紙を持たされました。
全て葬儀屋さんがやってはくれたのですが、近しい人たちへの連絡もあり、この日はお昼ごはんくらいしか食べていなかったと記憶しています。
18時に近所の人たちが10名ほど訪ねて来て、お悔やみを言われました。
明けて9日の日曜日は、親戚が駆けつけてくれました。
父の叔父が2人と、母方の親戚の人たち。
お昼に長野から妹一家が駆けつけて、人数分のお弁当を買ってきてくれたのはありがたかったです。
合間に、葬儀屋さんが何度も出入りしてくれて、葬儀の打ち合わせ。
夫の兄弟が来て、遺産相続の話などを教えていってくれました。
夕方には叔母と3人の娘が、別れを惜しんでいきました。
今日も、近くの親戚が何軒か訪れました。
土日は次女が休みでしたから、お茶出しを手伝ってもらえましたが、今日はずっと一人でお茶出し。
午後から、学校の制服の無い長女のために、喪服一式を買いに行ってきました。
お葬式まであとわずか。
父親が奥座敷で寝ている姿を見られるのもあとわずかしかありません。
肺炎にならなければ、まだまだ長生きできたと思います。
あと1か月早く、総合病院へ連れて行っていればと、後悔する気持ちもあります。
でも、ぎりぎりまで家で過ごせたこと、入院が長引かず、寝たきりで過ごす時間も短かったこと、いい死に方だったのかもしれません。
7月8日は、安倍さんの1周忌でもあったのですね。
ゆっくり安倍さんを偲ぶことも出来ませんでした。
夫は10日間くらい休みを取っていますが、私は来週には出勤しなければなりません。
やらなければならないことがいっぱいで、悲しんでいる暇もありません。
これからかかってくるお金のことも含めて、夫と相談しながら乗り越えていきたいと思います。
落ち着いたら、また更新したいと思います。
医者に連れていけばというのは、
見極めが難しいのですよね。
きっとお父上もキミーさんも最善をつくされたのだと思います。
慌ただしい中、来週にはお仕事に戻らないといけないのは辛いですね。
キミーさんのように近親者が亡くなったわけではありませんが、
私も困ったことが起こり、ブログ巡りを休むことにしました。
7月8日は仰る通り、奇しくも安倍さんの命日。
安倍さんは日本の父でしたね。
なにかお声がけをと思うあまりに、
無神経なことを申してましたら、申し訳ありません。
私ももう行かないと。
しばらくお邪魔できないと思いますが、お許しください。
お父上のご冥福と、
キミーさんやご家族の平穏を願います🙏
心からお悔やみ申しあげます
暑い最中、どうぞお体を休めて
心を休めてお休みできますように
遠く西の空の下から祈っております
まかろんさんにはいつも、励ましてもらっていますね。
まかろんさんの「困ったこと」というのが心配です。
大変なことにならないことを祈っています。
しばらくブログでのお話が出来ないのが、寂しいですが、お元気でいてくださいね。
一段落したら、またいつでもいらしてくださいね。
息を引き取るのが早くて、一番びっくりしているのは本人だと思います。
前日まで、退院する気満々でしたから。
しばらくは、引き継がなければならないことの整理だとか、遺産相続のことだとか、いろいろ大変なのだと思います。
落ち着いたら、また更新します。
ちょっとの間、といってもこのところ間が空いてしまってばかりですが💦お休みします。
tibinekoさんも、お身体たいせつに、元気でいてくださいね。
ちょっとだけ休んで、またすぐに戻ります。