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八つの煩悩 その1

百か日法要の際の法話として考えたものです。






百か日忌は、卒哭忌(そっこくき)、出苦忌、誠光忌とも言います。

≪十三仏信仰≫では、
観世音菩薩の垂迹である平等王が、
死後百日経っても 自らを律せられずに苦しむ人に対し、
内に大慈悲を、外に忿怒相を減じて 教化を施す日 
とされています。






さて、本日は、私たちが生きていく中で
直面する 苦しみ、悲しみ、怒り、痛み、落胆等、
いわゆる煩悩というものを考えてみたいと思います。

おそらく、
故人の 病中、死、葬儀、その後の様々な事後処理等に於いて、
皆さん それぞれに、大なり小なり
憤りや 不安、寂しさ、やるせなさ、口惜しさ、煩わしさ等を
感じられたのではないでしょうか。






お釈迦様は 「思議」と 「不思議」とを分けて、
「不思議」なことは 大自然の真理にまかせて、
人は「思議」なることを追求し、
物事の原因と結果を理解することが
悟りを目指す上で 大切な事だとお説きになりました。



つまり、仏教は オカルト宗教とは 全く相反する立場の
科学的、論理的、客観的教義と
人々の純粋な信仰が結びついた宗教なのです。

従って、悩みや苦しみを克服する方途として、
煩悩も様々に 分析、分類されています。

例えば、皆さんが日常よくお使いになる≪四苦八苦≫もそうです。



                      続きます


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