伊達だより 再会した2人が第二の故郷伊達に移住して 第二の人生を歩む

田舎暮らしの日々とガーデニング 時々ニャンコと

小説を発信中

  
  
  
  

  

気仙沼の富美子さん

2011-05-01 15:48:09 | 親友・・・気仙沼の富美ちゃん
 先日軍司富美子の名でネットを開くと

 思いがけず沢山の人が書き込みをして
 いた。

 富美ちゃんの息子さんの奥さんの妹さん

 らしい方のブログがあったので毎日読んで
 いる。

 奥さんと3人の子供さんは、奥さんのご実家

 におられるとのこと・・・・。


 少しは気持も落ち着かれた頃かな・・・・と思い

 今日東京の富美ちゃんの娘さんに電話したら

 思いがけずアメリカに住んでおられる御長女の
 かたとお話しができて嬉しかった。

 小さなお子さんを連れて来られて妹さんと気仙
 沼を行ったりきたりの生活をしているそうである。


 お父さんの49日の法要はすまされたが、お母さ
 んの富美ちゃんとお兄さんの行方はまだ分かって

 いない・・・・・本当に切ない・・・・・。


 「父母の家は流されたので将来は2人の家を建て
 てあげたい・・・」と娘さんは気丈に語っておられた。

 その言葉を聞き私はホロリとした・・・・。


 仙台でエステを開業している中学時代の友達の
 M子さんの娘さんの元に、いま丁度

 M子さんが滞在していて、娘さんがいろいろと情
 報を集めてくれている。

 それによると自営業だった富美子さんの店で働い
 ていたかたが見つかり、その方の話しによると

 早く逃げなさいと言われ助かった・・・・。


 とのことである。


 M子さんの御長男もまた外国におられ

 オーストラリアの国籍をとられたとのこと・・・。



 私と富美ちゃんとM子さんの3人は二十歳

 の時、北湯沢温泉の富美ちゃんの家に泊ま
 り夜遅くまで将来のことを語り合ったもので
 ある。

 富美ちゃんは当時高校を卒業し地元の農協
 に勤めていたが

 許婚(いいなずけ)のかたが気仙沼にいるの
 でジイちゃんの代わりに気仙沼の爺ちゃんの

 故郷に帰り、跡継ぎをしなければならないの
 だけれど・・・・・その前にいろいろなことをやり
 たい・・・・

 M子さんは東京から帰って来たばかりの頃で

 美容関係の仕事がしたい・・・・・。

 私は札幌の大学に通っていて

 教師を目指していた。


 まだ未知数だったあの頃の3人が

 愛おしい・・・・・・。


 富美ちゃんの夢は娘さんとお孫さんに

 受け継がれるだろう・・・・。

 そしてM子さんの夢も娘さんにしっかり
 受け継がれている・・・・・・。

 人生ってそんなものかも知れない・・・・。


 その後富美ちゃんはそのいろいろなことを

 したいために札幌の私の所に3ヵ月くらい

 滞在した。

 その話しは後日・・・・。



 昨日からの雨で、庭のヒヤシンスが倒れて
 いたので切花にした。



 今日のララ


 「起きていても眠いのダニァー

 春だから・・・・・」

 
 
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あれから1ヵ月が経ちました

2011-04-11 20:41:18 | 親友・・・気仙沼の富美ちゃん
 大震災から早1ヵ月が経った

 今日はFちゃん、ご主人、息子さん

 そして犠牲になられた沢山の人達のご冥福
 を百合の花を買ってきてお祈りした。

 今の私にはこれしかできない・・・・・。


 4月11日の記憶は私の中から・・・いや日本
 人の心から永遠に消えることはないだろう・・。



 先日春一番の花、ビオラとパンジー

 14個を買ってきた。



 今日昭南さんが丁寧に鉢に植えてくれた。

 


 この花達は安い上に強いので

 私は大好きだ・・・・・。


 
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奇跡

2011-03-22 19:13:19 | 親友・・・気仙沼の富美ちゃん
 昨日、お孫さんとおばあちゃんが奇跡的に
  
 救出されたとニュースが入った。

 二階が流されその中に閉じ込められていた
 そうである。

 本当に良かった。


 Fちゃんだってまだ不明なのだから、奇蹟が

 起こらないとも限らない・・・・。

 皆の願いが届きますように・・・・。


 今日Fちゃんの高校時代の親友のK子さんか
 ら電話が入った。

 被害のあった3日ほど前に電話で話しをしたそ
 うで、

 なおさらFちゃんのことが受け入れられず、悲し
 みにくれていた。
 

 私も、Fちゃんの奇蹟 を信じよう・・・・。

 いや信じたい。





 人間界の悲しみの外で

 今日も我が家のララは

 まったりとしたネコ人生を

 送っている。

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気仙沼のFちゃんの思い出2

2011-03-20 01:07:35 | 親友・・・気仙沼の富美ちゃん
 バアちゃんは旅館の仲居さんをやっていた
人だったので躾は厳しかった。

 ジイちゃんも白いひげをはやしていて、少し
 でもFちゃんが学校の帰りが遅くなると、1
 時間も歩いて来て学校にどなりこんだりして
 いた。

 この猛烈教育ジイジだったジイちゃんが当時

 中学生だった私には怖い存在だった。


 ジイちゃんが学校にどなりこんで来るたびに
 Fちゃんは

 「ジイちゃんなんで来たの、恥ずかしいから
 早く帰ってよ・・・・」

 とむくれていた。


 今になって分かる・・・・ジイちゃんにとって
 彼女は宝物だったのだ。


 私の中学時代は、担任とウマが合わず、

 反抗的で、暗かった、おまけに文学少女
 だったのでしまつが悪い。

 常に自己の内面と葛藤していた。

 だか゛、私の横には常にFちゃんがいてくれ
 たお蔭で

 私の中学時代は救われた。


 人間って不思議なものだ

 大勢の家族に囲まれ、末っ子として育った
 私はその頃屈折していて

 ジイちゃんに翻弄され、その波の中に身を
 置いて生きていたFちゃんの方が、無邪気で

 素直に

 本当に素直に明るく、自分の運命と寄り添っ
 て生きていたのだから・・・。


 
 ふと、今考えると彼女はあまり人の悪口は

 言わなかったように思う・・・・。


 「そういう人間を私はもんくなく尊敬するなー」


 と昭南さんはぼつりとつぶやいた・・・・。





 Fちゃん春は着実に近づいていますよ

 福寿草もこんなに咲きました。




 これは水仙の芽でしょうか





 


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気仙沼のFちゃん、安らかにお眠りください

2011-03-17 16:43:16 | 親友・・・気仙沼の富美ちゃん
 Fちゃん、ご主人、息子さんのご冥福をお祈り
 いたします。

 くゃしかったでしょう

 苦しかったでしょう


 Fちゃんが逝ってしまったと聞いてから時が経つ
 ごとに悲しみがつのります。


 何故かパソコンも今日は調子が悪い・・・・。



 Fちゃんは私の唯一の親友だった。

 彼女と初めて逢ったのは中学になってから
 である。

 彼女は美人でおまけに頭が良く、常にクラス
 のトップだった。

 ジイちゃんに育てられたのに性格もよく素直に
 すくすくと育ち、皆に好かれていた。


 Fちゃんの生い立ち



 Fちゃんは気仙沼で生まれた。

 父親は英語の教師をしていたがその後死亡。

 母親も家を出て行く。

 ジイちゃんは孫のFちゃんを離さなかったようで
 ある。

 このジイちゃんは何と言うか兵で伝説の人だっ
 た。

 彼は当時としては珍しく、慶応大学出身で気仙
 沼に土地も有り、地主でもあったようだが、Fちゃ
 んがまだ幼児の頃から、一緒に道内を放浪する。

 なんでも温泉を掘り当てるという目的だったよう
 だが・・・・。

 その間自分の妻であるバアちゃんを二、三度替え
 たらしい・・・・・。

 ジイちやんもモテたのだ。

 仲居さん出身の最後のバアちゃんとFちゃん達は

 大滝村の北湯沢温泉で(現伊達区北湯沢)Fちゃん
 が小学生からジイちゃんが亡くなる24歳頃まで過ご
 した。


 丁度今名水亭が建っている辺りである。

 そこでジイちゃんは別荘の管理人をしていた。

 

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