伊達だより 再会した2人が第二の故郷伊達に移住して 第二の人生を歩む

田舎暮らしの日々とガーデニング 時々ニャンコと

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褒める教育

2016-01-10 18:10:06 | ちょっといい話
 私たち家族は戦後樺太からの最後の引揚者である。


  その時私は六歳の夏・・・・小学校の一年の筈


  それどころではなく


  命からがら引き揚げて来た


  三年間は学校は閉鎖されており姉兄も学校には

  行っていなかった


  すぐ上の兄と姉はそのまま学齢通りの学年に進級

  その時姉は中三・・・・もともと優秀だった姉は


  三年間のブランクはあったのに卒業する時は優等生


  信じられない・・・・




  悲惨だったのは兄と私


  兄は学校の成績なんて関係ない・・・を地で行った


  今は盆栽相手に悠々自適の生活。



  さて末っ子の私は学校に行っても何も分からず


  農家に出面に行っている母から離れなかったらしい・・・


  三年生の時


  父の大仕事で転居


  その時私の学力を心配した母は


  転校先の学校でもう一度二年生を・・・と要望


  校長が簡単なテストをした結果


  進級ok



私は幼いころから絵本大好きで一冊の本を飽きずに

  見ていた


  教科書も国語だけは最後まで何回も読んでいたような気がする


  分からない字は姉に聞いていた。


  算数もなんとなく姉から教わっていたように思う


  学校の記憶は学芸会位・・・・。


  立派な落ちこぼれだった・・・。



  その校長先生が三年生の時算数で九九を教えた


  目をつぶらせて


  暗記した人は手をあげて・・・に私が一番先に


  手を挙げたらしい


  スラスラというと


  とっても褒めてくれた


  それから私は自信がついた


  


  それからもう一つ


  国語の教科書に


  「海辺の中の西洋館黙って遠くを見つめてた

   あの子はどこへ行ったのか


   コスモスコスモス花盛り」


   という物語の一節に曲を付け


   学芸会の時に私に独唱させた


   私の声は当時高かった


   頭のてっぺんから声を出す私に最初皆爆笑して


   「あの子はだれ・・・」


   とひそひそ言われ


   母は恥ずかしかったらしい・・・


   当の私はひるまず堂々と唄いきった。



   今思えば


   何もかも投げ出してやっとのことで命からがら引き揚げてきた

   貧しい家庭の私に校長先生は同情して


   目をかけてくださったのかも知れない。



   今でも記憶の襞にしっかりと畳みこまれている


   阪本先生・・・といったかな


   あの先生のことは一生忘れることができない


   私の救世主である・・・。



  アッハハハハ長くなったけれど


    今朝の道新の子ばなし九九を読んで

    昔を思い出したもんで・・・・。








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クリスタルスノー

2016-01-10 03:13:09 | ニュース
 昨日の道新より



  旭岳山麓のクリスタルスノー

  氷点下10度六角形の芸術


  レンズフィルターに降り積もった雪


  結晶の形はどれも違っていた。



   美しいですね












 食欲も出てきて少し元気になったニャニ


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