伊達だより 再会した2人が第二の故郷伊達に移住して 第二の人生を歩む

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人を恋うる歌

2022-01-28 10:42:26 | 

昨日夕食の支度を二人でしている時

が妻をめとらば才たけてと唄いだした

ご機嫌がよろしいようで・・・

私も一緒に

あぁ我ダンテの奇才なくと快調に二人で

唄っていたが

まだ続きがあったが思い出せない

夕食の支度もなんのその

中断してスマホで調べ

二人してなるほどそうだった・・・。

夕食後パソコンで詳しく調べた。

「人を恋うる歌」

与謝野鉄幹作詞・奥好義(おく・よしいさ)作曲(?)

 

 



妻をめとらば才たけて
みめうるわしく情(なさけ)ある
友をえらばば書を読みて
六分(りくぶ)の侠気(きょうき) 四分の熱

恋のいのちをたずぬれば
名を惜しむかな男(お)の子ゆえ
友の情をたずぬれば
義のあるところ火をも踏む

ああわれコレッジの奇才(きさい)なく
バイロン ハイネの熱なきも
石をいだきて野にうたう
芭蕉(ばしょう)のさびをよろこばず

 

拓殖大学学友会のホームページより

 

一、妻をめとらば才たけて
    眉目(みめ)麗はしく情ある
  友を選ばゞ書を読みて
    六分の侠気四分の熱

ニ、恋のいのちをたづぬれば
    名を惜む哉男の児故
  友の情をたづぬれば
    義のある所火をも踏む

三、くめや、うま酒歌姫に
    乙女の知らぬ意気地あり
  簿記の筆とる若者に
    真の男の児君を見る

四、あゝ吾ダンテの奇才なく
    バイロン、ハイネの熱なきも
  石を抱きて野にうたう
    芭蕉のさびをよろこばす

五、人や嗤はん業平が
    小野の山里雪を分け
  夢かと泣きて歯がみせし
    昔を慕うむら心

六、見よ西北にバルカンの
    それにも似たる国の様
  危からずや雪裂けて
    天火ひと度降らん時

七、妻子を忘れ家を捨て
    義の為恥を忍ぶとや
  遠く逃れて腕を摩す
    ガリバルジーや今如何

八、玉をかざれる大官は
    皆北道の訛音あり
  慷慨よく飲む三南の
    健児は散じて影もなし

九、四度玄海の浪をこえ
    韓の都に来てみれば
  秋の日悲し王城や
    昔に変る雲の色

十、あゝ我如何に懐の
    剣は鳴りをしのぶとも
  むせび涙を手にうけて
    かなしき歌の無からんや

十一、我歌声の高ければ
     酒に狂う人は言へ
   我に過ぎたる望をば
     君ならでは誰れか知る

十二、あやまらずや真心を
     君が詩いたくあらはなる
   無念なるかな燃ゆる血の
     価すくなき末の世や

十三、おのづからなる天地を
     恋うる情は洩らすとも
   人を罵り世をいかる
     はげしき歌を秘めよかし

十四、ロを開けば嫉みあり
     筆を握れば譏りあり
   友を諌めに泣かせても
     猶行くべきや絞首台

十五、同じ憂の世にすめば
     千里のそらも一つ家
   おのが袂と云う勿れ
     やがて二人の涙ぞや

十六、はるばる寄せしますらをの
     うれしき文を袖にして
   けふ北漢の山の上
     駒立て、見る月の出づる方

(以上与謝野鉄幹氏「人を恋うる歌」より)

十七、君が眼に涙あり
     君が眉には憂ひあり
   固く結べるその口に
     それ声もなき なげきあり

十八、旅と旅との君や我
     君と我との仲なれば
   酔って袂の歌草を
     醒めて君に見せばやな

十九、名も無き道を説くなかれ
     名も無き旅を行くなかれ
   甲斐なき事をなげくより
     来りて美き酒に泣け

二十、若き命も過ぎぬ間に
     楽しき春は老いやすし
   誰が身にもてる宝ぞや
     君くれないのかほばせば

二十一、光もあらぬ春の日の
     獨りさみしきのぐるひ、
    悲しき味の世の智恵に
     老びにけらしな旅人よ。

二十二、心の春の燭火に
     若き命を照らし見よ、
    咲く間を待たで花散らば
     哀しいからずや君が身は。

二十三、わきめもふらで急ぎ行く
     君の行衛はいづこぞや、
    琴、花、酒のあるものを
     とゞまりたまへ旅人よ。

(以上島村藤村氏「酔歌」より)

二十四、友に憂き身を語りなば
     欽んだる酒も醒めるべし、
    暫し鼓の手を止めて
     我盃ぞ受けよかし。

二十五、唐の都のつれづれに
     今宵相見る酒の舞
    生まれは同じ西京と
     先づ聞けるこそうれしけれ。

二十六、經世の志を抱きつゝ
     國に盡せし盆良雄が、
    友の情に感じては
     浪に沈みつ薩摩瀉。

二十七、刈り取られたる高梁の
     葉末に殘る露淋し、
    唯見る満目蕭條の
     秋は老ひたりマンチユリア。

二十八、さはれ悲しき運命かな
     國士の道を辿る身は、
    爆弾執りて叫ぶとき
     昔の戀を偲ぶ哉。

二十九、ミュラン城頭秋更けて
      緑草覆へるプリソンに
    美はし乙女の幻影を
      ひたぶり抱きて泣きし哉

(以上「其他」より)

これは通称「若き支那浪人の歌」として、明治、大正、昭和の初期にかけて、学生層を風靡したものがあるが、特に本学学生に愛唱された。それはこの歌の原作者が、鉄幹、与謝野寛であり、彼のロマンチシズムと、彼の大陸行脚の思想的遍歴が、この歌ににじみ出ているからであろう。「男手に袷の破れひとり縫いて、南の支那に秋の月見る」と歌った鉄幹は人も知るごとく、晶子女史の夫であり、詩想豊かにして大陸ひとり彷徨したものである。

熱血多感の詩人、鉄幹、与謝野寛が歌った、人を恋うる歌に島崎藤村の「酔歌」とその他、何時の頃からかつけ加えて、歌われた雑歌をまとめて支那浪人の歌とする。

 

ふむふむそういうことだったんだ・・・

昔の記憶が少し甦った。

コメント
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