島国で生きて来た日本の人々は、自然との融和を重視し、自然に対し、怖れの感性をもって「自然の神々」に接してきたと思います。多神教は「古くさい」、原始宗教という認識で捨てていいものではありません。現代、一神教が、真理となっている訳ではありません。無神論が拡大しているのは、神に関する知識が混乱している証拠です。
近代心理学では、人jの精神構造が研究され、潜在意識論が発達しました。私は、原始的精神は、機能がすたれたのではなく、人が人らしくなって大脳新皮質が発達したことによって「考える自我」が原始的精神の上に追加され、原始的精神と自我は、協働する形で、人間の生きる力を飛躍的に向上させたと理解しています。
原始的神道の中には、死者の霊、祖先の霊という認識があります。神々のなかに「人の神」が存在していいます。原始日本人は鋭い感性をもっていたと言えます。ほかの万物にも神がいるとの類推感性は鋭いと思います。
人の神だけに注目し、一神教にのめりこんでいった民族や人は、感性、思考に偏りがありすぎ、世界交流(民族間・国際融和・交流)ができなくなっていますね。ユダヤ民族、キリスト教を受けいれた国々、イスラム教を受けいれた国々が、自由平等平和を受けいれることができず、強国論や帝国主義を捨てることができないのは、一神教の悪影響と言ってもいいのではないでしょうか。民族主義、国家主義で他民族や外国に対し威張っているのは、それこそ、時代遅れです。
日本も時代遅れではないですか。国連安保理常任理事国になりたいなんて、滑稽ですね。なったって大損するだけでしょう。頭が悪すぎです。