退屈しないように シニアの暮らし

ブログ巡り、パン作り、テニス、犬と遊ぶ、リコーダー、韓国、温泉、俳句、麻雀、木工、家庭菜園、散歩
さて何をしようか

幸福な世界

2015-02-18 07:44:25 | 韓で遊ぶ


ある同行

母の62回目の誕生日でした。
私たち母娘は、初めて二人きりで旅行に行きました。済州旅行は、父が亡くなった後、片腕がなくなったようだと言って落ち込んでいる母のために、娘がささげた小さな贈り物でした。
「いいでしょ。母さん。」
「いいね。」
必要なものは私が全部持っていくから、身体一つで来てねと、念を押したのにもかかわらず、母はとても大きな旅行かばんを持っていました。
その上、カバンの中には何かとても大事なものが入っているのか、母はカバンをひと時も手から離そうとしませんでした。
「こちらに頂戴。私が持つわ。」
「大丈夫よ。」
「重そうじゃないの。」
「いや、これは私が持ちたいの。」
変だと思っていたら、事件は、聖山の日出峯に登ろうとした日の朝に起こりました。
母は韓服をきれいに着ているのです。旅行先で韓服とは、本当に思いもよりませんでした。その上、何かよくわからない荷物まで風呂敷に包んで持っていました。
いずれにしても、私たちは旅行の日程に従って聖山日出峯に向かい、母は歩いている間中、その風呂敷を胸にしっかりと抱きしめていました。
「一体何が入っていて神様のつぼを奉るようにしているのかしら。」
人々は韓服を着て汗を出している母をおかしな目で見ました。ですが母は何度も行っては休みを繰り返しながら風呂敷だけは絶対に離しませんでした。
頂上に到着した時、私はやっと母のその深い胸の中を知ることができました。母は胸に大切に胸に抱いてきた包みの中から父の写真が入った額を取り出しました。そして、額を見ながらやさしく言いました。
「さあ、見てください。ここが、あなたが生きている間に一度来てみたいと言っていた、日出峯ですよ。」
母は生まれて初めての済州旅行に亡くなった父を連れて来ていたのでした。それは一人だけ、いいものを見て、おいしいものを食べて、贅沢するのがすまないという母が、父にささげた本当に切ない贈り物でした。
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幸福な世界

2015-02-17 05:57:35 | 韓で遊ぶ


20億年の愛

母親が離婚した後、10代の娘はだんだん反抗し始めました。
「一体、何時だと思って、、、」
母親は毎晩、門の外に出て娘を待ちました。
夜遅くになっても家に帰ってこない日が多く、ややもすると騒ぎを起こして母を心配させる娘、母のしわは増えるばかり、娘がはまった泥沼は深くなるばかりでした。
「はい、そうですが、、、警察ですって。」
警察に捕まっているので連れに来てくれと言う電話を受けた日、娘の反抗は極限に達していました。悪い友達と一緒に夜遅くまで酒を飲んで、大通りで騒ぎを起こして捕まったと言うことでした。母が警察署に迎えに行った時、娘は母を見ないで言いました。
「私がどう生きようと、かまわないで。」
母親は、あきれて言う言葉がありませんでした。
娘は母の小言を聞くのが嫌でした。勝手に生きていくからもう放って置いてと言って、荒く肩肘を張ってひねくれていきました。
「家族?ふぅ、それって何。必要ないわ。」
ややもすると自分の部屋に入ってドアに鍵をかけるのが常でした。
「スンヒやどうか、、、ドアを開けて。」
その娘が18歳になった誕生日の日でした。明け方から出て行った娘は、真夜中になっても帰って来ませんでした。
娘の幼い頃の写真を見て涙を流していた母親は、時間を昔に戻したいと思いました。
「小さい頃は、天使のようにかわいい子だったのに、そうできたら、、、」
その日の晩、母親は娘のためにプレゼントを作りました。そして手紙を書きました。その日も12時になってやっと帰ってきた娘は、机の上においてあるプレゼントの箱を見つけました。箱には手紙と一緒に小さな石が一つ入っていました。
「何、これは。」
また小言かと思って気乗りしないで手紙を読んだ娘は目に涙を浮かべました。
「この石の年は20億年だと言います。私がお前をあきらめるとしたら、おそらくそれぐらいの時間がかかるでしょう、、、」
娘はやっと母の愛がどれだけ大きく深く篤いのか悟りました。
「20億年はあまりにも長いわ。だからお母さん、私をあきらめないで、、、」
娘は目に涙を浮かべました。
娘はその晩、長い彷徨の末、母の胸に顔をうずめました。
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幸福な世界

2015-02-16 06:04:06 | 韓で遊ぶ


母は、それでもいいと思いました。

母は、それでもいいと思いました
一日中、畑で死ぬほどつらく仕事をしても

母は、それでもいいと思いました
一握りの冷や飯で、かまどに座って適当に昼ごはんを済ませても

母は、それでもいいと思いました
真冬に小川の水に素手で洗濯をしても

母は、それでもいいと思いました
自分が腹が一杯に食べたいと思わず、家族に食べさせて自分は食べなくても

母は、それでもいいと思いました
かかとが割れて布団の中で音を出しても

母は、それでもいいと思いました
爪が切れないほど磨り減っても

母は、それでもいいと思いました
父が怒って子供たちが泣いても、問題ないと

母は、それでもいいと思いました
実家の母に会いたい
実家の母に会いたい、それはただの愚痴なんだと

真夜中、目が覚めて部屋の隅で限りなく声を殺して泣いていた母を見た後で、
母は、そうしたらだめだと言うことでした。
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幸福な世界

2015-02-15 11:22:26 | 韓で遊ぶ


母の涙

大学合格通知が来た日、母は初めて子供の前で涙をながしました。
スイカ農家を台無しにして農協から負った借金が山のようになっても、大根、白菜の価格が暴落し、農家の人たちが皆、落胆した時も、淡々としていた母でした。
私は、母のその涙が何を意味するのかを余りによくわかっていたので、夢に描いていた大学進学をあきらめ、小さな事務室に就職しました。
貧乏な暮らしの生活費に当てようと数年、弟たちの学費に当てようと数年、、、そうやって7年と言う歳月が流れて、やっと一息ついて結婚することになりました。
ですが、布巾の匂いがぷんぷんするおばさんになった後にも、学ぶと言うことに対する情熱はふつふつと沸きあがって、これ以上押さえることができず、放送通信大学の門をたたきました。他の人よりも何歩も遅かったけれど、本当に一生懸命勉強していたある日、その知らせを聞いた母が、忙しい農作業を放って一足飛びに駆けつけました。
「本当に良くやったね。私は、お前を大学に行かせることができなかったことを、ずっと無念に思っていたけど、、、」
母は、もう死んでも思い残すことは無いと下着の中からへそくりを出し、いくらかのお金を私の手に握らせてくれました。
「いくらでもないが、入学金にでもしなさい。」
私は、そのお金が母の還暦の時に受け取った指輪を売ったお金だと言うことを知っていたので、硬く断りましたが、母はどうしても聞き入れず、母は私がそのお金を受け取った後になって、やっと嫁に出した娘の家に初めて一晩泊まって行きました。
結婚して6年が過ぎるのに泊まるどころか、ご飯一杯も面目ないと言って、すまながっていた母は、その日の晩やっと重い荷物を降ろしたように心が楽になったのです。
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幸福な世界

2015-02-14 06:36:42 | 韓で遊ぶ


鍵をかけない門

田舎の小さな村の一軒家に母と娘が住んでいました。
母親は、夜中に泥棒が来たらと心配して、毎日戸の取っ手に2重3重に鍵をかけていました。
娘は田舎の片隅に風景画のように埋もれて暮らしている自分がとても嫌でした。
町が恋しく、ラジオを聴きながら想像してきた華やかな世界に出て行って暮らしたいと思いました。
ある日の明け方、娘は心の内の、そのとりとめもない夢を追いかけて出て行きました。母親が眠っている間にこっそりと家を出て行ったのです。
「母さん、できの悪い娘はいなかったと思ってください。」
娘は、紙切れ一枚を残して故郷を離れ町に行ったのでした。
ですが、世の中は彼女が夢見ていたようには美しいばかりのところではなかったのでした。
自分でも知らないうちに堕落の道に入って行った娘は、これ以上、行くところがない深い泥沼に落ちた後になって、やっと間違いに気づきました。
時間がたてば経つほど、娘は狭い部屋に身をすくめたまま、母の写真を見ながら涙を流す日が訪れました。
「母さん、、、」
そうして10年が過ぎ、いつの間にか大人になった娘は病気になった心と醜い姿を引きずって故郷に帰って行ったのでした。
家に到着したのは夜遅く、、、窓の隙間から明かりが漏れてきていました。
しばらくためらって門をたたきましたが家の中には何の気配もありませんでした。
瞬間、不吉な思いがして門の取っ手をつかんだ娘は驚きました。
「おかしいわ。ただの一度も門の鍵を忘れたことがないのに、、、」
母親は、ひどくやせた身体を冷たい床に横たえて、哀れな姿で寝ていました。
娘は母親の枕元に膝をついたまま、すすり泣きました。
「母さん、ううう、、」
娘のすすり泣きに目の覚めた母は、何も言わずに娘の疲れた肩を抱きしめました。
母の懐に抱かれしばらく泣いた娘は、ふと気になりました。
「母さん、今日はなぜ門に鍵をかけなかったの。誰かが来たらどうするの。」
母は言いました。
「今日だけではないよ。もしやお前が夜中に来たら、そのまま行ってしまうかと思って10年間一度も鍵をかけることができなかったよ。」
ゆっくりと部屋の中を見回した娘は、もう一度驚きました。
母親が長い間、待っていた娘の部屋の中には、ラジオも本もすべて10年前のままでした。
母娘は、その日の晩、10年前に戻って部屋の門にしっかりと鍵をして穏やかに眠ったのでした。
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幸福な世界

2015-02-13 06:09:41 | 韓で遊ぶ


世の中で一番美しい姿

市場通りの小さな軽食屋で蒸しパンと饅頭を作って売っている母親がいました。
ある日曜日の午後、朝からぐずぐずしていた空から急に雨が降り始めました。夕立でした。
ですが1時間過ぎても2時間過ぎても止むどころか、雨はだんだんひどくなったので、母親は急いで店を片付け、大きな通りに出て傘を二つ買いました。
そのまま、娘が通っている美術塾へ走って行った母親は、塾の戸を開こうとして、はたと驚き自分の格好を見てみました。作業服に古いスリッパ、前掛けには小麦粉がべたべたとついていました。
そうでなくても感受性が鋭敏な女子高生の娘が傷つくのではないかと心配になった母親は、建物の下で塾が終わるのを待つことにしました。
しばらくうろうろしていた母親が、ふと3階の塾の窓を見上げた時、ちょうど下の母親を見下ろしていた娘と目が合いました。
母親はうれしくて手を振りましたが、娘は見ないようにすぐ姿を隠して、またちょっと首を出して、隠れたと思ったら顔を出すだけで、みすぼらしい母親が待っているのを望まないようでした。
悲しみに沈んだ母親は肩を落としてそのまま帰りました。
それから1ヶ月後、母親は娘の美術塾の学生たちの作品を展示するという招待状を受け取りました。娘が恥ずかしく思うかと半日ためらっていた母親は、ほとんど夕方になった頃、隣の店にしばし店を任せて、あたふたと娘の美術塾に行きました。
「終わってしまっていたらどうしよう、、、」
幸いにも展示会場の門は開いていました。
壁にいっぱいにかけられた絵の一つ一つを見た母親は、一つの絵の前で息が止まりました。
「世の中で一番美しい姿」
雨、傘、小麦粉が白くついた前掛け、そして古い靴。
絵の中には、母親が塾の前で娘を待っていた日のみすぼらしい姿が、そっくりそのまま入っていたのでした。
その日、娘は、窓の後ろに隠れて傘を持って立っている母の姿を、絵の中に描き心の中に描いたのでした。
いつの間にか母親のそばに近づいてきた娘が、傍で明るく笑っていました。
母娘はその絵をしばらくの間、眺めていました。
世の中で一番幸福な姿で。
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幸福な世界

2015-02-12 05:26:37 | 韓で遊ぶ


忘れられない夢

ある夏の日、日差しが暑く照りつける午後でした。
20代前半の一人の青年が市内の停留所からバスに乗りました。
青年はドア側の一番前の窓際の席に座って、過ぎていく風景をぼんやりと眺めていました。日常に疲れた人たち、けだるい町、、、
バスがその真ん中の通りすぎている時、ある停留所で70代に見える老人がゆっくりと車に乗ってきました。老人は青年の横に座わりました。
バスが多くの客を乗せて郊外に抜けた頃、コクリコクリと居眠りをしていた老人は、青年の肩にもたれて眠ってしまいました。
次の停留場で降りようと思っていた青年は老人の表情を眺めました。
深く刻まれたしわ、色あせた髪の毛、、、
歳月の重さがそのまま刻まれた老人の顔を眺めた青年は、どうしても肩をずらすことができず、息を殺しました。夢でも見ているような穏やかな老人の眠りを妨害したくなかったからでした。
老人が目覚めるのを待っている間にバスは終点まで来てしまいました。
「お客さん、降りてください。終点です。」
青年は、どうか静かにしてくれ、と言う風に人差し指を唇に当ててささやきました。
老人は眠りから覚めました。
「うむぅ、これは、、、私がうっかり寝てしまったわい。ところで、ここはどこだ。」
「終点です。おじいさん。あまりにも穏やかに眠っていたので、起こすことができませんでした。」
「これは、すまない、どうしよう、、」
二人はバスを乗り換え来た道を帰って行く間、話を交わしました。
「若いの、私がこの間にどこまで行ってきたかわかるかい。」
「えっ。」
「故郷に行ってきたよ。50年前に別れた母親に会って来た。母に。」
老人はその大切な夢を壊さなかった心の優しい青年に、深く深く感謝したのでした。
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幸福な世界

2015-02-11 06:59:11 | 韓で遊ぶ


愛の絆創膏

お母さんが台所で何か作っていました。
「お母さん、これ、何。」
「ううん、、隣のおばさんにあげようと思って、お粥を作っているの。その人、娘さんを亡くして心に傷を負ったのよ。」
お母さんは、人はとても悲しいことがある時、食べ物を作ったり掃除をしたりするのが辛くなると言いました。
引っ越して来てからいくらもたたない隣の家には、6歳の娘と母親が二人だけで暮らしていました。ですが、その娘が悪い病気にかかって、そのまま亡くなってしまったのです。おばさんは悲しみが病気となり寝込んでいましたが、誰も世話をする人がいませんでした。
「あの、、、隣に暮らしている者なんですが、、、これでもちょっと召しあがってもらおうかと、、、」
「あれまあ、こんなありがたいことが、、、」
おばさんは、お母さんが持って行ったお粥を何口も食べずに、のどを詰まらせて泣きました。
「う、う、、、、」
次の日、学校から帰ってきた私は、薬局へ立ち寄り絆創膏を一箱買った後、隣の家の門をたたきました。
「スジね。どうしたの、、、」
「おばさん。心の傷にこれを貼ればすぐに良くなるから。」
おばさんは膝をついて私をいきなり抱きしめました。
「ありがとう。スジ、、ありがとう。」
その次に日、布団を片付け起き上がったおばさんは、小さなガラス瓶がぶら下がったキーホルダーをひとつ買って来ました。そして、その中に私があげた絆創膏を入れました。
愛という名前の絆創膏。それは心の傷を治してくれる妙薬だったのでした。
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幸福な世界

2015-02-10 05:48:42 | 韓で遊ぶ


パン屋の子供
一軒の小さくてかわいいパン屋がありました。
10年の間、慎ましい生活をして貯めたお金で、やっと店を構えた主人は、陳列台のパンを見ているだけでも満足で、客が多い日は幸せな微笑が絶えることがありませんでした。
ところが、ある日からか、店の陳列台から、パンが1袋、2袋消えるようになりました。
「おかしいな。たくさん残っていたはずなのに、、」
おかしなことでしたが、主人は数え間違えたのか、もう売れてしまったのに忘れたのだろうと思いました。
しかし、疑惑のパン失踪事件は、毎日繰り返されました。
一体、誰の仕業なのか、犯人を捕まえようとした主人は、触覚をピンと立てて、パン屋に現れる人を一人一人見守りました。ですが。
主人のその監視網に引っかかった人は、他でもない自分の10歳の娘でした。塾へ行く途中店に立ち寄った娘は、お母さんがちょっと目を離した隙にこっそりパンを取ったのでした。
「なんという、、、」
次の日も、その次の日も娘のパン泥棒は続きました。
食べたいならば、いくらでも食べることができるパンを、あえてこっそりもって行く理由が一体何なのか、とても気になった主人は、その日もパンを2袋、かばんにそっと入れて出て行った娘の後をつけて見ました。しばらく後を付いていった主人は、びっくり驚いてしてしまいました。
「なんと、あの子が。」
娘が立ち止まったところは、美術学校の前の地下道の入り口でした。
娘は、そこでこじきをしている少年の前にパンの袋を出しました。
「ありがとう。妹がこのパンが世界で一番おいしいって。」
娘はかわいそうな少年のために毎日パンを差し出していたのでした。
「ふぅ、そうか、そうか。」
娘の姿をこっそりと見守った主人は安心して胸をなでおろしました。そして次の日から娘が持っていく2袋のパンを別に作りました。いつでも持って行けるようにです。
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幸福な世界

2015-02-09 06:45:59 | 韓で遊ぶ


ほうせん花の鉢

日の光が柔らかくなった春の日でした。
花屋に一人の少女が来ました。道端に出して置いてある花の鉢の前で、しばらくしゃがみこんでいた少女は、花の鉢を一つ指差してたずねました。
「おじさん、この花はいくらですか。」
「パンジーのことかい。」
「いいえ、その後ろにある小さいのです。」
少女が指差したものは、小さくてみすぼらしく、茎が曲がって花も咲いていないほうせん花の鉢でした。
「それは売り物じゃないんだ。どうせ枯れたら捨てようと思っていたから、持って行くかい?」
「本当?わああ、、、」
少女は、何回かありがとうと挨拶をした後、その見栄えの悪い花の鉢を受け取って喜んで帰って行きました。
それから3年たったある日、花屋に小さな小包が配達されました。
「小包です。ここにおいて行きます。」
配達員が置いていったものは、小さな箱と手紙が入った小包でした。
「覚えていないかもしれませんが、いつか私にほうせん花の鉢をくれたでしょ。その日はお母さんが病気で入院した日でした。」
きちんきちんと書かれた手紙の内容は次のようなものでした。
病気の母のために何かプレゼントを買いたかったけれど、お金がなかった少女は、そのほうせん花の鉢をお母さんの病室の日の良く当たる窓際において、毎日真心を込めて水をあげました。
そうすると、みすぼらしい鉢からとうとう花が咲き、花を眺めていた母の頬にも、次第にほうせん花の花のような生気が戻ってきました。
少女はその種を取って病院の前の庭に蒔きました。
花が満開になった夏のある日、お母さんはとうとうベッドから起き上がり退院することになったのです。
少女はお母さんが治ったのは、ほうせん花の鉢のおかげだと信じていました。
少女が送った箱の中には真っ黒で丸々としたほうせん花の種が一杯入っていました。
世の中全部をほうせん花の花で染めても余るくらいにです。
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