馬鹿も一心!

表題を変えました。
人生要領良く生きられず、騙されても騙されも
懸命に働いています。

50年前 凍傷の激痛は疲労への警告。午下がりのサンチョパンサ 諦め名人の……只一つ諦めちゃダメな事

2020-12-05 07:28:18 | 日記



12月4日(金)
今週は自宅でのトランス作業に追われ
又決算書類作成もあった。
11時 桜上水事務所に着き
早速 トランス銅線巻き作業を始める。
同時に、PC会計ソフトを起動して
伝票類を打ち込み印刷。
師走の慌ただしい1日。
18時半 終了して帰宅電車に乗る。
妻から、ラインで娘が帰宅途中のメッセージ。
20時半下車。
娘の夕食と入浴なので
居酒屋で待ち待機。
21時半 飲み屋ディスタンスカウンター席で
独りぼっち無言呑み。


22時 漁港を通って家路へ。
冷たい海水を含んだ風が剥き出しの顔と手に吹きつける。
右耳右手に激痛が走る。
50年以上前の凍傷の痛みだ。
急激な冷感に曝されたからだが
疲労が蓄積している警告でもある。
いったい 手と耳の組織細胞が痛むのか?
脳が50年前の痛みの記憶覚醒させるのか?
心身が弱くなると、痛みはその人の弱点を攻撃する。
新型コロナウイルスも弱った者を攻撃。
若い頃は、ギリギリまで戦い
心身傷つく実体験を経て、逆境を乗り越えた。
凍傷の激痛も長い人生への警告メッセージなのだ。




午下がりのサンチョパンサ
諦め名人の……只一つ諦めちゃダメな事

日記
2020-08-23 02:13:56


どんな想いも様々な障害や事情によって本物や?否やと試される。
時には自分の心が産み出す嫉妬や復讐心理、狭量な自尊心によって損なわれ消失する事もある。
逆に……もう疲労困憊、疲弊の限りという状態になってさえ、自分の心が、その思いを手放してくれない?……事もある。
純粋な思いが執着へと変質したり、逆にその思いが純粋過ぎて、幾ら疲れ様と心が諦めてくれず自分を許さない場合などそんな状態になる。
どんなケースでもキーワードは『諦める事』なのである。自分のその思い大切ならば『報われる事を諦める』とその思いは純なまんま保持できる。
報われる事が自分の関心から外れれば(詰まり諦める)執着などに変質することもない。
他人が繰り返し作った大きな損害を返す事!いつの間にか『兎に角返してナッシングを迎えたい』との思いは僕の人生の意味となり唯一の指針になった。
安全な所に身を置いた連中の能天気な評論。絵空事の正義論で無責任な批判も受けた。あらぬ中傷も繰り返しあった。その犯罪の主人公が会社からいなくなった後、その残されたマイナスをゼロに戻す意味合いが自分でも分からなくなった事もあった。
誰彼を語る前に『お前の事だろ?』、関わったのならゼロにしろ!……ゼロにしてから自分の自由を取り返せ!……それが自分の心の声だった。
その課題の渦中にある時、僕はとても落ち着く。本意を演っているからだろう。イイ歳をしてからに……そんな揶揄が聞こえ来ても心は逆に落ち着く様になった。
惨め?……それが自分!これこそが自分!……と自分の思いを実践出来てる自分は幸福者だと実感出来る様になった。
例え狡い手で逃げ出しても自分の思いが自分に裏切られたのだと心が知っている……少しも落ち着けないだろう。終生取り返しの利かない苦痛を感じる事になる。
他者に何度も裏切られたのだ……せめて自分は自分の心を裏切らない様に生きたいと思う。
今の所、そんな自分に……僕はやっとこさ納得して生きている。自分は幸せなのだと感じている……。自分に納得する……という奴はとても難儀な課題を次々くれるものである。
結果、数多くの事を『諦めた』なぁ?……。自分の大切な思い一つ守る為に……何時しか僕は凄腕の諦め名人になっていたのだった……。