毎年クリスマスイブの日
想い出ずるのだ。
74年生きてきた。
様々な困難に遭遇したが
その後の生き方を指標になった登山を回想する。
若さの強靭な肉体については触れている。
以下は54年前 体育会 会報に掲載された
青臭い気負いが剥き出しの拙文。
読み返すと恥ずかしいが記録に留めたい。

記
体育会山岳部1年間
を昭和43年3月27日
前穂高北尾根登攀後
上高地で終えようとしていた。
その最後の1日を絶えず雪崩の危険のある梓川沿いの道を
中の湯へと歩いた。
「バカヤローもう1年も終わりだ」
背後の雪の穂高を美しいとも思わない。
ただもう1年が終わるのだいう気持ちでいっぱいだった。
これで入山日数は120余日になる。
山岳部では1年間に7回の合宿を通らなければならいのだ。
春の深雪は重い、かんじきを踏みしめながら
1年生時代の合宿が浮かんでくる。
谷川岳芝倉沢新人歓迎合宿、汗と体中傷だらけの歓迎であった。
6月合宿奥秩父縦走
怒声を浴びながら苦しみの行進であった。
三つ峠ロッククライミング合宿
岩にへばり付いたまま動けなかった。
夏山合宿 南アルプス北岳バットレス登攀
1年生である一人参加。
秋山合宿 立山から槍ヶ岳への厳冬期縦走の偵察と
食料の荷上げをした。
11月 冬山入門の富士山登頂。
そして、厳冬期の立山から槍ヶ岳縦走。
1967年昭和42年12月24日
クリスマスソングが花やいだ街角に流れてた。
夜行列車黒部に乗り込んだ。
冬山への決意、不安、死への恐怖、
本格的冬山への出発は僕の胸に重苦しくのしかかった。
翌年元旦 僕は立山の頂上に立っていた。
眼下に日本海が広がり能登半島が突き出て
富山湾に船が小さく見えた。
南に目指す槍ヶ岳が小指のように突き出ていた。
その時、どれほど帰りたかったことか。
40度近い傾斜の氷面をアイゼンで下る
足が立ちすくんで動けずやっとの思いで下った時
上級生にすがって泣き出した。
そして、来る日も来る日も吹雪で動けず
綿の寝袋は足が凍結するほどで眠れず
下界の日常キャンパスを想い涙ぐんでしまった。
予定最終帰京日に、下山できず
上高地で捜索隊に出会った時
ただもう声も出なかった思い出。
春山、前穂高北尾根積雪期の恐怖の登攀
現在、自分は1年生を終わろとしている。
精神的、肉体的に極限まで追いつめられた
1年時代に得たにのは何だろうか?
体力でもなく。登攀技術もない
沸きあ上がるような山への激しい情熱であった。
山への限りない憧れ、より高きより困難に、立ち向かう
闘志であり、絶対の信頼、山仲間の友情
厳しい自然に接する時の新鮮な精神であった。
自分の血を湧き立たせるのは、1年生時代の激しい試練の中で
生まれた純粋な山登りからのの気持ちからである。
1年生時代、厳しいのは当然であり、甘えてはならない。
苦しい事から逃げてはならない。
困難に打ち勝つ気概を持たねばならない。
それを通って2年生になる資格が出来るのであると思う。
もうすぐ自分も胸に輝く部員バッジが貰える。
自分ながら、「ご苦労さん」と言いたい。
地獄の1丁目「山岳部」も1年間」住みなれてしまうと
とても良いところだ。
想い出ずるのだ。
74年生きてきた。
様々な困難に遭遇したが
その後の生き方を指標になった登山を回想する。
若さの強靭な肉体については触れている。
以下は54年前 体育会 会報に掲載された
青臭い気負いが剥き出しの拙文。
読み返すと恥ずかしいが記録に留めたい。

記
体育会山岳部1年間
を昭和43年3月27日
前穂高北尾根登攀後
上高地で終えようとしていた。
その最後の1日を絶えず雪崩の危険のある梓川沿いの道を
中の湯へと歩いた。
「バカヤローもう1年も終わりだ」
背後の雪の穂高を美しいとも思わない。
ただもう1年が終わるのだいう気持ちでいっぱいだった。
これで入山日数は120余日になる。
山岳部では1年間に7回の合宿を通らなければならいのだ。
春の深雪は重い、かんじきを踏みしめながら
1年生時代の合宿が浮かんでくる。
谷川岳芝倉沢新人歓迎合宿、汗と体中傷だらけの歓迎であった。
6月合宿奥秩父縦走
怒声を浴びながら苦しみの行進であった。
三つ峠ロッククライミング合宿
岩にへばり付いたまま動けなかった。
夏山合宿 南アルプス北岳バットレス登攀
1年生である一人参加。
秋山合宿 立山から槍ヶ岳への厳冬期縦走の偵察と
食料の荷上げをした。
11月 冬山入門の富士山登頂。
そして、厳冬期の立山から槍ヶ岳縦走。
1967年昭和42年12月24日
クリスマスソングが花やいだ街角に流れてた。
夜行列車黒部に乗り込んだ。
冬山への決意、不安、死への恐怖、
本格的冬山への出発は僕の胸に重苦しくのしかかった。
翌年元旦 僕は立山の頂上に立っていた。
眼下に日本海が広がり能登半島が突き出て
富山湾に船が小さく見えた。
南に目指す槍ヶ岳が小指のように突き出ていた。
その時、どれほど帰りたかったことか。
40度近い傾斜の氷面をアイゼンで下る
足が立ちすくんで動けずやっとの思いで下った時
上級生にすがって泣き出した。
そして、来る日も来る日も吹雪で動けず
綿の寝袋は足が凍結するほどで眠れず
下界の日常キャンパスを想い涙ぐんでしまった。
予定最終帰京日に、下山できず
上高地で捜索隊に出会った時
ただもう声も出なかった思い出。
春山、前穂高北尾根積雪期の恐怖の登攀
現在、自分は1年生を終わろとしている。
精神的、肉体的に極限まで追いつめられた
1年時代に得たにのは何だろうか?
体力でもなく。登攀技術もない
沸きあ上がるような山への激しい情熱であった。
山への限りない憧れ、より高きより困難に、立ち向かう
闘志であり、絶対の信頼、山仲間の友情
厳しい自然に接する時の新鮮な精神であった。
自分の血を湧き立たせるのは、1年生時代の激しい試練の中で
生まれた純粋な山登りからのの気持ちからである。
1年生時代、厳しいのは当然であり、甘えてはならない。
苦しい事から逃げてはならない。
困難に打ち勝つ気概を持たねばならない。
それを通って2年生になる資格が出来るのであると思う。
もうすぐ自分も胸に輝く部員バッジが貰える。
自分ながら、「ご苦労さん」と言いたい。
地獄の1丁目「山岳部」も1年間」住みなれてしまうと
とても良いところだ。
立山から槍ヶ岳縦走記録
一番の恐れは、彼女も出来ず
死んでしまうことだった。
上級生には、彼女達が見送りに来ていた。
Justin Bieber - Mistletoe (Official Music Video)
写真の部員
みんな今では72歳過ぎた。
遭難死 病で物故、
退学して行方知れず。
全共闘にのめり込んで退部。
それぞれの道程。
まもなく、現世ともお別れ。



















