馬鹿も一心!

表題を変えました。
人生要領良く生きられず、騙されても騙されも
懸命に働いています。

護岸の寄港船の移り変わり。

2022-07-10 06:44:29 | 日記
静かに朝の光がカーテンの隙間から射した。
眠れぬ闇夜だったが
今日の1日が又始まる。


7月9日(土)AM9時
ヨットハーバーを通り、物流センター沿い歩き
市場に向かう。

ヨットハーバーと漁港  


護岸からこちらに歩く中年男性に呼び止められる。
ショッピングセンターへの道を尋ねる。
船から来たので、いろいろ買い物したい。
護岸には、作業船がズラリと並ぶ。




40年前、漁業権を失った漁港と
大型貨物船が寄港していた。
愛媛八幡浜の船が、必ず護岸でフラッグ海風に煽られいた。
何故、この護岸に寄港?
外国貨物船も多く
特にソヴィエト連邦の中型貨物船が停泊。
太った女が甲板で洗濯類をロープを吊るし干していた。
男達は、深夜、集合住宅のゴミ置き場にやって来ては
魚ではなく家具、電化製品を漁り数人で抱え
船に運んだ。
出港して他国の寄港地で売り捌くのだ。
ロシアは昔も今も庶民は貧しい。

この先も更に貧しくなる。
娘が幼い頃、護岸で釣りをした。
大型貨物船が停泊している。
頭上高く、甲板から見下ろすオジサン。
「釣れるか」
「釣れない」
オジサンが甲板から消えた。
暫くして大声で
「孫娘がいて、ずっと会っていない」
大きな魚を2本投げ落とす。
1メートは超えるタラの冷凍。

周囲の釣り人は驚き羨ましそう。
自転車に乗せられない。
冷蔵庫にも入らない。
娘の同級生のお母さんにノコギリでカットしてあげた。
今は昔ではなく。
外国貨物船は殆ど寄港しない。
その時代に沿って、国内産業も10年単位で変化。
IT社会でない頃は、海外出張での
ビジネス取引であったが、現在はない。
海外取引とは、顔も声も知らない。
全てネット繋がり。
カード決済。
貿易言語 英語中国語も出来ず
日本語ビジネス文書もおぼつかない
爺さんは、下働きで支える。
寂れた港町は、電車が開通して駅が出来。
動く歩道には、日本一の大型ショッピングセンターへ
家族連れ、カップルが向かう。
僕は市場で買った酒類をリュックに詰め
動く歩道ではなく歩道を歩き家に戻る。

動く歩道