静かに朝の光がカーテンの隙間から射した。
眠れぬ闇夜だったが
今日の1日が又始まる。
7月9日(土)AM9時
ヨットハーバーを通り、物流センター沿い歩き
市場に向かう。
眠れぬ闇夜だったが
今日の1日が又始まる。
7月9日(土)AM9時
ヨットハーバーを通り、物流センター沿い歩き
市場に向かう。
ヨットハーバーと漁港
護岸からこちらに歩く中年男性に呼び止められる。
ショッピングセンターへの道を尋ねる。
船から来たので、いろいろ買い物したい。
護岸には、作業船がズラリと並ぶ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/dc/522655efd358a67138e94c893af29d4e.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/03/39016e1272e1c7a2d1b2ad16c127ee85.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/03/76/078074f4a9d85f98d2cf3192ffe383fe.jpg)
40年前、漁業権を失った漁港と
大型貨物船が寄港していた。
愛媛八幡浜の船が、必ず護岸でフラッグ海風に煽られいた。
何故、この護岸に寄港?
外国貨物船も多く
特にソヴィエト連邦の中型貨物船が停泊。
太った女が甲板で洗濯類をロープを吊るし干していた。
男達は、深夜、集合住宅のゴミ置き場にやって来ては
魚ではなく家具、電化製品を漁り数人で抱え
船に運んだ。
出港して他国の寄港地で売り捌くのだ。
ロシアは昔も今も庶民は貧しい。
この先も更に貧しくなる。
娘が幼い頃、護岸で釣りをした。
大型貨物船が停泊している。
頭上高く、甲板から見下ろすオジサン。
「釣れるか」
「釣れない」
オジサンが甲板から消えた。
暫くして大声で
「孫娘がいて、ずっと会っていない」
大きな魚を2本投げ落とす。
1メートは超えるタラの冷凍。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/e0/6d18c573aa4f720080bf06918733571e.jpg)
周囲の釣り人は驚き羨ましそう。
自転車に乗せられない。
冷蔵庫にも入らない。
娘の同級生のお母さんにノコギリでカットしてあげた。
今は昔ではなく。
外国貨物船は殆ど寄港しない。
その時代に沿って、国内産業も10年単位で変化。
IT社会でない頃は、海外出張での
ビジネス取引であったが、現在はない。
海外取引とは、顔も声も知らない。
全てネット繋がり。
カード決済。
貿易言語 英語中国語も出来ず
日本語ビジネス文書もおぼつかない
爺さんは、下働きで支える。
寂れた港町は、電車が開通して駅が出来。
動く歩道には、日本一の大型ショッピングセンターへ
家族連れ、カップルが向かう。
僕は市場で買った酒類をリュックに詰め
動く歩道ではなく歩道を歩き家に戻る。
動く歩道