あれからもう38年が経過した。日航ジャンボ機墜落で520名の死者を出したあの事件からだ。もうそんなに経つのかと思うほどの時間の経過で38年といえば学校を出て社会に出て定年を迎える時間に相当するのであるからであの時のその時の現役だったサラリーマン諸氏は同じ思いにしておられるのではないだろうか。あれから我が国の空は大きな航空機事故は皆無だからまずはめでたしといわねばならない。いつも思うのだが、伊丹の大阪国際空港は私の知る限り航空機事故は聞いたことはない。一日400機近くが離発着している過密空港にも関わらずである。
奇跡的に助かった4名の皆さんもそこそこの年齢に達しておられる。生存者のその時のお名前と年齢を記しておく。
吉崎博子さん 34 兵庫県芦屋市
吉崎美紀子さん 8 兵庫県芦屋市
川上慶子さん 12 島根県大社町
落合由美さん 26 大阪府豊中市
川上慶子さんは最後部の圧力隔壁の前の座席、落合由美さんは最後部より3列前の左側座席、吉崎さん母子は最後部座席より7列前の席だった。