同窓生の集まり

2023-10-15 09:24:37 | 日記
 14日、大阪城前のホテルで年一回の同窓生の集まりである大阪達徳会の総会が行われた。参加者は96名で少し減少した。年々年をとるために参加者の減少は止むおえないが私と同じ卒業生は14名とダントツで参加者の減少はなかった。
 今年は東京のそれと重複したため会の会長は大阪には来なかったが毎年彼は寄付してくれ寄付してくれの物乞いであるためそれがなかったのが明るい綺麗な総会だったのではないか。達徳会は赤字続きの連続というがこれは今更始まったことではないのではないか。我々が毎日毎日残業残業の連続で必死になって働いていたあのモーレツ時代、会はのほほんとしていたと言っては失礼かもしれないがそれに近い状況で収益をいかにして上げるのかの努力を怠ってはいなかったか。今日集まって参加した皆さんはおそらくあの時以来今も自身の生活設計が出来ている皆さんに違いない。



 豊岡民謡の「べろべろ節」を参加者を含めて踊っているところ。

13日の金曜日

2023-10-13 18:09:04 | 日記
 13日の金曜日が無難に過ぎた。終日家にいて静かに過ごそうと思いそれを実行したわけだ。比較的に暖かな気温の穏やかな一日だった。安倍総理を銃撃して死なせた山上被告の行為は決して許されるものではないが、ただ旧統一教会の闇が白日の下に晒されこの教会の解散問題が今や大きな話題になって解散が妥当であるとの見解が示されていることの重要性は多くの国民から刑の軽減の支持があるもの事実のようだ。
 イスラエルとパレスチナの対立は我々日本人から見て不可解なことばかりだ。同じ中東人なのにどうしてケンカするのか理解に苦しむ。肌の色が違うわけでもなし目の色が違うわけでもなしでイスラエルから水道水を貰い発電用の石油も供給されているのだから感謝していいのではないか。国境を封鎖されているのは悪事を働くからそうなのであってお互い隣人としての態度を示せば壁はなくなるに違いない。
 大量のロケット弾が撃ち込まれたということだが、このロケット弾を供給する国が後ろにいるのだからこの供給国も悪いといえば悪い。何とかならないものだろうか。

コウノトリの人工巣塔

2023-10-12 09:30:18 | 日記
 淡路市の電柱上に営巣しているコウノトリの巣の電柱を関西電力から買い取りこれを人工巣塔にする工事が進められている。6,600ボルトの高圧電力が通電している電柱上にあるのは危険として電力の送電を中止しているが、これを人工巣塔とし代わりの電柱を新たに建設してコウノトリに安心して子育てをさせるようにという。
 コウノトリの繁殖は順調で全国各地で飛来が確認されている。今後は中国やロシアで生まれた新しい血を持った個体を導入してさらなる増殖に邁進してもらいたい。

夏から冬へ

2023-10-09 09:37:54 | 日記
 昨日8日は冷え込んだ。慌ててチョッキとセーターを羽織り寒さを凌いだがまるで秋を通り越して一気に冬を迎えたようだ。こうして寒い冬を迎えるとやはりあのシャツイチで気軽に過ごせた夏が恋しくなる。8日は24節季のひとつ寒露だからチョッキが要るのは当然だがあまりにも急な季節の変化に対応が難しい。
 今日の新聞には蚊が飛び始めるという記事があった。蚊は猛暑が苦手で丁度今のようなしのぎ易い気温を好むという。そういえば今年は蚊取り線香のお世話にならないだろうとシメシメと心ひそかに期待していたがなんと9月下旬ころから夕食時や睡眠前の時間帯になって飛び始め一昨年に買った蚊取り線香が急に減り始めて在庫の急減に思いは砕けてしまった。
 またまた中東のイスラエルとパレスチナが戦争を始めた。仕掛けたのはいつもの通りパレスチナで大規模なロケット弾を使用して多数のイスラエル側に死傷者が出ている模様でイスラエルも報復として航空機による爆撃を開始した。パレスチナ側はいつものように地上からのロケット弾でいわば行ってこい式の攻撃であるのに対してイスラエルは戦闘機による精密誘導弾での攻撃で戦果は明らかであるがどうもこの地域の人間模様が我々日本人には理解しがたい。ロシアとウクライナの戦争も同じ地域と言っていいだろうがいわば未開の遅れた地帯としての認識でいいだろう。米国の対中国対策として西太平洋の島嶼に米海兵隊を駐屯させる動きが活発化させている。沖縄の米軍基地の重要性はますます高まるばかりである。米国の陸海空海兵の各戦略軍は目が離せない多忙なことだろう。

映画「名もなく貧しく美しく」

2023-10-07 10:22:16 | 日記
 今町内の生涯学習センターのホールで行われる映画「名もなく貧しく美しく」のチラシを見ている。1961年制作のもので監督脚本が松山善三さんで敗戦直後の混乱時代を生きたろうあ夫婦の感動の物語とある。ろうあ夫婦を演ずるのはた高峰秀子さんと小林桂樹さんだ。後期高齢者の皆さんならばきっとこの映画があったことは記憶の片隅にあるであろう。
 現代の社会ではろうあ者の方々に対しての見方は随分と変わりみんなが共生できる社会に変貌して差別はあの時代とは様変わりしたが当時は相当なものがあり生きずらい時代だった。手話もあっただろうが今ほど広く認識されていなく特別なものとしてのものだったが今ではテレビなどでも手話ニュースの時間帯があり耳の聞こえない皆さんに対するコンテンツが設けられている。社会の民度がそれだけ上がった証左だがやはり就職結婚などではそれなりに範囲が狭くあるのは間違いない。
 最近では性同一障害の問題が顕在化してきて戸籍上の取り扱いがこれまた新聞記事になっているが、昔はこのような事案はタブ―視されていてそのような人間がいるとは思ってもみないことだた。民放で出演されていたカルーセルマキさんがそうだと話題を投げかけたが実際そうなのか解らなかったが、今や男がカツラを冠り着物姿でテレビの司会をする時代になった。
 この映画の監督が描こうとした夫婦を名もなく貧しく美しくにしたが、貧しく美しく生きようとしないで明るく楽しく大らかに裕福に生きるようにこれからは生きてもらいたい。私はそれを願っている。