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映画 ご(誤)鑑賞日記

映画は楽し♪ 何をどう見ようと見る人の自由だ! 愛あるご鑑賞日記です。

白い牛のバラッド(2020年)

2022-03-24 | 【し】

作品情報⇒https://moviewalker.jp/mv75532/


以下、公式HPよりあらすじのコピペです。

=====ここから。

 テヘランの牛乳工場で働きながら耳の聞こえない幼い娘ビタを育てるミナは、1年前に夫のババクを殺人罪で死刑に処せられたシングルマザー。今なお喪失感に囚われている彼女は、裁判所から信じがたい事実を告げられる。

 ババクが告訴された殺人事件を再精査した結果、別の人物が真犯人だったというのだ。賠償金が支払われると聞いても納得できないミナは、担当判事アミニへの謝罪を求めるが門前払いされてしまう。

 理不尽な現実にあえぐミナに救いの手を差し伸べたのは、夫の旧友と称する中年男性レザだった。やがてミナとビタ、レザの3人は家族のように親密な関係を育んでいくが、レザはある重大な秘密を抱えていた。

 やがてその罪深き真実を知ったとき、ミナが最後に下した決断とは……。

=====ここまで。

 イランとフランスの共同制作。


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 イランの映画というと、ここ数年では監督のアスガー・ファルハディの名をよく聞くけれど、私はファルハディ作品は未体験。本作は、新聞か何かで評を読んで、見てみたくなって、劇場まで行ってまいりました。


◆取り返しのつかないこと。

 冤罪で死刑、、、これほどの不条理ってあるだろうか。

 しかもシングルマザーとなったミナにとって、イランの社会は日本以上に冷たい。アパートから突然追い出され、新居探しもままならず、、、。そこへ、夫に多額の借金をしていたという男レザがやってきて、ミナに救いの手を差し延べる、、、のだが、このレザという男、どう見ても訳アリ。

 レザが何者なのかは、割と早く明かされて、冤罪の判決を下した判事アミニその人なのだ。レザは、自責の念にかられて、名を偽り、ミナに償いをするつもりか、新居を格安で提供するなど何かと世話を焼く。ミナもレザのことを信頼し、直接的な描写はないが、おそらく男女の関係になる。シーンとしては、ある晩、ミナが鏡を見ながら真っ赤な口紅を塗り、ベールを外して、レザの部屋に入っていく、、、というもの。

 レザ=アミニには息子がいるのだが、息子は家庭を顧みなかった父親を嫌悪しており、兵役に行ってしまい、さらに悪いことに亡くなってしまう。ショックで倒れるレザを献身的に看護するミナ。2人の関係はどんどん深まる。

 けれど、レザの正体が思わぬ形で明かされ、それを知ったミナがどうしたか、、、が終盤へのオチとなる。

~~以下、結末に触れています。~~

 ミナは、レザに毒入りミルクを与え、強引に飲ませて、レザを殺す。いや、本当にレザが死んでしまったかどうかは分からないが、ミルクを飲んだ後、苦しみながら椅子から崩れ落ちて床に倒れ込んだ。

 本作の冒頭、一頭の白い牛が無機質な広場みたいなことろにポツンと立っている。また、ミナが働いているのはミルク工場で、本作では雌牛が象徴的に扱われている。これは、コーランに雌牛の章というのがあることに関係するらしいが、その辺はよく分からないのでスルーするけど、ラストシーンでも再び、白い牛が広場に立っている画が出てきて、要は、この牛は生贄ということのようである。

 つまり、ミナの夫は、犠牲となったということの象徴らしい。確かに、冒頭とラストの白い牛が佇む画は、それだけでもの凄く不穏である。

 さらに言えば、犠牲になったのは、ミナの夫だけでなく、レザもまたそうであったということなのだろう。レザは判事として役割を果たしただけ、なのかもしれず、冤罪はレザのせいというよりは、イランの司法制度に冤罪を産む原因があるのだ、、、と。

 イランでは、イスラム法により罪が裁かれるというが、本作のパンフによれば「イスラームは創造主たる神のご意志によってあらゆる予定があらかじめ定められているという運命論(カダル)を取っている」とのこと。「予定があらかじめ定められている」って日本語としてどーなの??というツッコミはさておき、冤罪となるのも神のご意志、、、と言われても、納得できまへん。だからこそ、ミナは、判事に謝罪を何度も求めに行ったわけよね。

 終盤は、そうなる予感はあったけど、本当にそうするのか、、、と見ていてちょっと絶望的な気持ちに。ミナは娘を連れて、レザが手配してくれた家を出るのだが、今後を考えると、さらに絶望的になる。レザが死んでしまっていれば、当然、殺人罪だろうし、それでミナが拘束されたら、幼い娘はどうなってしまうのだろう? とか、、、。これは映画なんだから、そこまで考えなくても良いんだよね、、、。はい、考えないことにします。

 レザにミルクを飲ませる前、ミナは、また鏡に向かって真っ赤な口紅を塗るのだが、その時の顔つきは、前述の、レザの部屋に行く前のそれとは違っている。また、ミナに「(ミルクを)飲んで!」と強く言われ、ミルクを飲むときのレザの表情から、レザは覚悟してミルクを飲み込んだのだと思われる。そのときのレザの表情が実に雄弁だった。


◆死刑、イラン映画、、、

 死刑、日本では賛成の方が世論では多いらしい。私も以前は、積極的に賛成でないにせよ、極刑としてはアリではないかと思っていた。けれど、大きく考えが変わったのは、裁判員裁判が開始されることになったとき。この制度、イロイロ怖ろしい。被告人が有罪か無罪かの判断だけでなく、有罪の場合はその刑罰まで決めるのだ。しかも、全員一致ではなく、多数決。

 この制度が開始されて以後、私は一貫して死刑には反対だ。その後、裁判官の死刑判決を下すときの精神的な負担の重さを見聞きし、ますます反対の意が強くなった。

 死刑賛成の主な理由は、犯罪の抑止力と遺族感情だそうだ。

 抑止力については、科学的には証明されていないとのこと。皮肉なことに凶悪犯罪を起こした犯人の犯行理由が「死刑になりたかったから」というのはどう考えればよいのか。

 遺族感情は、私は遺族になったことがないから軽々に語れないが、映画『瞳の奥の秘密』(2009)を見て考えさせられた。妻を殺された男が、犯人を死刑にしたくない(死んでしまえば楽になれるから、という理由)がために、犯人を自らの手で監禁し、社会的に抹殺するという荒業に出るのだが、詰まるところ、犯人にとって「死んだ方がマシな罰」を遺族によって課せられたというわけだ。その行為自体を肯定するのではなく、罪に見合った罰とは何なのか、ということを考えさせられた。遺族感情と一口に言っても、遺族も色々で、全員が極刑を望むとは限らない。また、判例から極刑の可能性が低い事件で、「犯人を極刑にして欲しい」と遺族が署名活動をしているといったニュースを見ると、申し訳ないけど法治国家の前提に対するあまりの無知さに、遺族に対する同情の念など吹っ飛んでしまう。刑罰の見直しを求めて署名活動をする、というのなら分かるけど。

 本作の舞台であるイランも死刑が残る国で、執行される件数は日本よりはるかに多い。さらに、日本よりも怖ろしいのは、拷問による自白の強要や結論ありきの公判が珍しくないということ。日本でも自白の強要は起きているが、拷問は憲法で絶対に禁止されている。

 そんな状況で冤罪が発生しない方がおかしいわけで、それでいて死刑制度がしっかり機能しているなんて怖ろし過ぎる。本作内では、冤罪だったから賠償金あげる、でも間違いは認めないし謝罪もしない、全て神の思し召し、、、とされてしまうのだから、冤罪で殺された者は永遠に浮かばれない。

 本作はイランでは上映禁止になっているというが、まあ、それはそうだろう。また、ファルハディの影響が随所に見られるらしいが、私はファルハディ映画を見ていないので分からない。

 イラン映画というと、キアロスタミの名前くらいしか出てこない(あと、マルジャン・サトラピもイランだったな、そういえば)が、小粒でピリリ系と勝手に思っている。本作もそうだと言って良いと思う。『亀も空を飛ぶ』『 ペルシャ猫を誰も知らない』とか、前から見たかったので、近々見ようと思う。

 

 

 

 

 

イスラム法には「同害報復刑(キサース)」が制定されている、、、らしい。

 

 

 

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