ベーブ・ルース
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%BC%E3%83%96%E3%83%BB%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%82%B9
ベーブ・ルースの話を読むと面白いです。
一番凄いな・と思うのは、ベース・ボールの概念を変えてしまったことです。
それまでは、ヒットや打率が中心でした。
ホームランなどあまり気にしなかった時代です。
ベーブ・ルースが打者に専念した年からホームランを量産し始めました。
『ヤンキースでのデビュー年となった1920年には、「もうこれ以上の本塁打記録は生まれないだろう。前年が異常だっただけで、あれほどの本塁打数は期待できない。20本も打てれば上出来だろう」と言われながら、ルースは打率.376、54本塁打を記録し、周囲を驚嘆させる。同年に記録した長打率.847は、2001年までMLB記録であった。この年にルースが放った54本塁打というのは異常な数値であり、2位はセントルイス・ブラウンズの強打者、ジョージ・シスラーの19本と、約3倍の差で突き放す圧倒的な本数だった。また、ルースよりも多く本塁打を打った「チーム」はフィラデルフィア・フィリーズのみ(64本)であった。 』
『ルースの登場により、飛ばないボールのデッドボール時代が終わり、本塁打が量産されるライブボール時代が始まった。 』
と言うような圧倒的な長打力を発揮しました。
これ以降、ホームランがベースボールの花形になります。
ルースは、革命を起こしました。
色々逸話は沢山あると思います。
☆最長飛距離
『ルースが打った中で一番大きな本塁打は、1921年7月18日にデトロイトのネビン・フィールドでの一本といわれている。中堅場外に消えていった打球は、175メートルの特大弾であった。 』
①☆今のルールなら104本の本塁打 ⇒❓
『1921年当時は現在とは多少本塁打に関するルールが異なっていたため、もし現行のルールでルースがシーズンを送っていたら、彼はこの年に104本の本塁打を記録していただろうという研究もある。ビル・ジェンキンソンが2006年に執筆した本 “The Year Babe Ruth Hit 104 Home Runs”(和題:ベーブ・ルースが104本塁打を打った年)によれば、1931年までアメリカンリーグではファウルポールに直撃した打球はエンタイトル二塁打扱いであった。また、フェアゾーンでフェンスを越え、ファウルポールを巻いてファウルゾーンに落ちた打球は、現在では当然のごとく本塁打扱いになるが、当時はファウルであった。これらのデータを全て集計すると、ジェンキンソンによれば、ルースは104本塁打を記録していたことになる。それでも、ルースがこの年に記録した総塁打数(457)、長打数(119)、出塁数(379)は、未だに破られていないMLB記録である。 』
※そして当時の試合数は154試合です、現在162試合。
※後日、加筆訂正
2024-07-31
MLB2024>50本以上HRを打った選手とルール変更など
https://kitanoyamajirou.hatenablog.com/entry/2024/07/31/011533
その後、別の記事を読むと同じビル・ジェンキンス氏の著書を元に違った内容が書いてありました。年間ホームラン数と生涯ホームラン数をWikipediaの記述者が誤解して①の記述をしている可能性があります。ビル・ジェンキンス氏の著書を確認しないと確かなことは分からなくなりました。普通に考えるならポールを巻くホームランがあっても年数本だと思います。1921年のルースのホームランは59本であり数本加算しても60数本です。追記します。
参考https://www.nikkei.com/article/DGXZZO37559460V21C11A2000000/
バリー・ボンズの73本なんか、まだまだでしょう❓
(加えて薬物問題があります)
だから現行ルールなら、当然「塁打数」も「長打数」も記録が増えます。
※このような事情は無視して単に数字を比較しても公平とは言えません。
かなりハンデイ付きでも、いまだに破られない記録もあります。
凄さの度合いが、全く違います。
翔平君もデトロイトで175メートルHRを打たなければなりません。
※今、デトロイトにある球場
コメリカ・パーク(Comerica Park)は、アメリカのミシガン州デトロイトにある野球場。 MLBデトロイト・タイガースの本拠地である。
💮10勝46HRは、翔平君の勝ちです。
良かった!
※関連記事目次
項目「MBL & プロ野球」目次③
https://blog.goo.ne.jp/kitanoyamajirou/e/11328fcdd47caf7c999058799251da3b