東福寺の最終回は【最勝金剛院】です。
「らくたび」代表の山村純也さんがFacebookで"隠れた紅葉の名所"として紹介されていました。
法堂の東に続く参道を進むと左手に最勝金剛院の寺院があります。
門を潜り更に先に進むと両側は墓地になっていて、その最奥に八角形の法華宗があります。
このお堂の主は鎌倉時代初期に活躍した公卿・九条兼実と言われています。
兼家は平家滅亡後には摂政・関白・太政大臣を歴任した実力者で五摂家のひとつ九条家の祖としても知られ、彼の子孫から後に一条家、二条家が誕生しています。
明治時代に九条家の子孫の方が兼家が晩年を暮らしたと言われる東福寺周辺の月輪殿跡を調査され発見されたのが今の法華堂のある円墳です。
そこで藤原氏の氏寺である奈良興福寺の南円堂を模した法華堂を建立し、兼家を追悼されました。
しかし、考古学者の間では奈良時代以前の横穴式石室を持つ円墳との学説もあり真偽のほどは定かではありません。
そんなロマンを持ち最勝金剛院を訪ねるのも一考です。