朝日カルチャーセンターで滋賀県立大学名誉教授の中井均先生の講座を受講しています。



















4月に高取城の現地講座がありましたが会社の仕事の都合で参加出来ませんでした。
そこで個人で高取城へ。

調べてみると登山道の入口まで車で行けるようですが駐車スペースが少なく安全策で壷阪寺(南法華寺)の有料駐車場に車を停めて高取城へと向かいました。

高取城は岡山の備中高松城、岐阜の美濃岩村城に並ぶ「日本三大山城」のひとつに数えられています。
壺阪寺の駐車場から約1時間半で立派な石垣が現れます。


城の縄張りは上の図のように構成されています。
また、復元想像図の絵図からも壮大な山城であった事が想像出来ます。
城は標高583.9mの高取山の頂に築かれ、城内周囲は約3km、郭内周囲は約30kmにおよぶ規模を誇ります。
現在では石垣が残るのみですが二ノ丸跡、本丸跡からは往時の繁栄を感じさせます。





本格的な築城は筒井順慶が天正12年(1584)に郡山城の詰城として以前に築かれていた城を再建した事に始まります。




その後、天正13年(1585)に豊臣秀長の家臣・本多利久が城主となり、大小の天守に27の櫓、33の城門を備えた本格的な山城(平城式手法を採用)が築城されました。
城は瓦葺だったようで地面には無数の瓦の破片が散らばっています。


麓から天守台までの高低差(比高)が390mもあり日本の山城の中で最も高く「日本一の山城」と呼ばれる所以です。
因みに備中高松城は340m、美濃岩村城は150 mです。
一般的に比高が高い山城ほど攻めるのに難しい城と言えます。




今、流行りの"御城印"は壺阪寺で頂けます。
次に西国六番札所でもある壺阪寺を拝観します。