6月15日は朝日カルチャーでの現地講座「和歌山城を訪ねる」に参加しました。
講師は近世城郭研究の第一人者の中井均先生です。
昨年の3月で滋賀県立大学を定年退官されましたが、大学で教鞭を取っておられた時よりもお忙しくされています。
①一の橋と大手門
和歌山城の内郭と三の丸との間にかかり橋で昭和58年(1983)再建。
大手門も昭和57年に再建された高麗門形式の大手御門。
②石垣
天正13年(1585)羽柴秀吉が紀州を平定。
弟の秀長に命じて創建した初期の和歌山城の石垣。
石垣には近くで採石された緑色片岩が使われています。
③二の丸跡
二の丸は東側から表・中奥・大奥に分かれていました。
表は藩主が謁見や儀式を行い、藩の役人が政務を行う政庁。
中奥は藩主が執務し生活する公邸。
大奥は藩主が休息したり、側室、奥女中が生活する場。
④ 御橋廊下
西の丸と二の丸をつなぐ渡り廊下橋。
藩主だけがわたることのできた橋で外から見えないように側壁・屋根をつけ、18世紀前半に造られたとされています。
⑤天守閣
いよいよ天守閣まで来ました。
弘元3年(1846)に落雷により焼失しますが嘉永3年(1850)に再建。
昭和10年、姫路城に次いで2番目に国宝に指定されましたが、昭和20年の空襲で焼失します。
昭和33年に鉄筋コンクリート造りで再建されたのが今の天守閣です。
⑥石垣
石垣が見どころのひとつです。
・野面積み 主に豊臣・桑山期の石垣で近くの岡公園や和歌浦等で採集される緑色片岩が主に使われています。
・打ち込み接ぎ(うちこみはぎ)
浅野期と徳川期に使われた石垣で友ヶ島で採石される砂岩が使われています。
・切り込み接ぎ
徳川期の石垣で石材を精密に加工して積んだ勾配の急な石垣。
熊野地方で採石される花崗斑岩(かこうはんがん)が使われています。
3期の石垣の変遷が見れるのも和歌山城の特徴です。
⑦岡口門
築城当初の大手御門で重文に指定されています。
東側の土塀は日干し煉瓦積みで鉄砲狭間が特徴的です。
狭間の開口部は石材で強化されています。
⑧岡口公園
岡口門の南側には緑色片岩の石切場が残っています。
一昨年にもひとりで来ましたが、中井先生の解説と見所の案内で初めて来た様な感覚でした。
最後に岡口門です。