5月26日、久々の公開が行われている大徳寺塔頭孤蓬庵を拝観しました。
表門の石橋から小堀遠州が設計しています。
京都春秋さんのガイドが付いていて最大でも20名程の拝観になります。
建物は文化財の為、手前で荷物を預けての拝見です。
また、表門から中は撮影禁止になっています。
(毎回ですが、、、)
僕が行った時には3名でほぼ貸切り状態でした。
孤蓬庵は大名であり茶人でもあり作庭家でもあった小堀遠州の隠居所として当初は同じ大徳寺境内にある黒田家の菩提寺"龍光院"に造られた庵が最初です。
後の寛永20年(1643)に大徳寺境内西側に移転し、遠州が自ら設計し現在の孤蓬庵が造られました。
しかし寛政5年(1793)に火災で焼失してしまいます。
同時の図面が残っており、遠州を崇敬する松江藩主・松平不昧公や近衛家の援助により寛政10年(1798)に再建されました。
本堂前庭(史跡・名勝)です。
写真は庭園の左手にある編笠門です。
(以下の写真は以前に購入した絵葉書からです。)
今は二重の刈込みの奥に高い植栽が植えられていますが、当時は船岡山を琵琶湖に浮かぶ舟に見立てて遠望する借景庭園でした。
遠州の故郷・長浜や琵琶湖に対する望郷の念を思います。
茶室・忘筌席(重文)です。
茶室には珍しい西向きに造られています。
庭に面した障子は上半分で、下半分からは植栽や手水鉢や寄せ燈籠が見えます。
また、天井には胡粉が塗られていて、如何に火の光を室内に取り込むかを考え抜かれた茶室です。
利休が小間の茶室で侘茶を確立したのとは対象的に遠州の茶室は広間で明るい書院式の茶室です。("きれいさび")
忘筌席のさらに奥には「直入軒」があり遠州の全くのプライベート空間です。
赤土を琵琶湖に見立て故郷を懐かしむ庭園になっています。
忘筌席からの眺めと同じ庭園ですが、全く印象が変わります。
縁側に据えられた手水鉢はもうひとつの手水鉢と地下でつながり"サイフォンの原理"で常に水が張られた状態になっています。
遠州の存命中に建物はほぼ完成していたようですが、庭園の完成を待つ事なく正保4年に68歳で亡くなっています。
伏見奉行や徳川幕府の作事奉行、将軍茶道指南役などの多忙な役職があだになったのでしょうか?