京都つれづれなるままに

京都好きの旅日記。お寺、神社、グルメからスイーツまで!思いつくままに。

重要文化財4件国宝へ答申

2020年03月20日 09時32分00秒 | 日記
 3月19日の夕方のニュースで文科省の諮問機関・文化審議会が新たに4件の重要文化財を国宝指定指定するよう文科省大臣に答申がありました。

1件目は奈良法隆寺国宝金堂の3つの天蓋です。
国宝釈迦三尊像の天井から吊るされた木造の天蓋で2つは飛鳥時代、一つは鎌倉時代の作です。
四角には楽器を奏でる天人が付けられています。








2件目は奈良春日大社の「だ太鼓」2点です。鎌倉幕府を開いた源頼朝が春日大社に寄進したと言われています。



3件目は京都右京区花園にある法金剛院のご本尊木造阿弥陀如来坐像です。
法金剛院は平安時代初期に起源を持つ古寺で嵯峨天皇、淳和天皇、仁明天皇が行幸され、その景勝の素晴らしさから仁明天皇から五位の位を授けられた事からお寺の山号は五位山と言います。

今回、国宝に昇格される阿弥陀さまは、平安時代西御堂のご本尊で藤原時代を代表する丈六仏です。

院覚(いんかく)の作で、均整のとれたお姿と蓮弁の彫刻は秀逸です。

4件目は、群馬県高崎市にある綿貫観音山古墳出土品です。
全長97mの後円部分にある横穴式石棺の出土品の一括指定の答申です。

中でも銅水瓶(どうすいびょう)は日本最古と言われており、鏡には獣が描かれており、古代中国、朝鮮半島の出土品と類似性が多く、この地の首長の交易を示す重要な副葬品だそうです。



その他、重要文化財指定の答申には、奈良市から出土した「長屋王家木簡」。
長屋王は天武天皇の孫にあたり皇位を継承する有力皇族でしたが藤原氏との政争に巻き込まれ自害しています。

近鉄大宮駅近くにかってそごう奈良店がありました。事前の発掘調査で長屋王邸宅跡を示す多くの木簡が出土し話題となりました。

その他に登録有形文化財の答申には「太陽の塔」が入っています。
1970年に開催された大阪万国博覧会のパビリオンのひとつで塔そのものは勿論、内部の作品も全て岡本太郎氏の作品です。

僕は当時7才で3度行き、太陽の塔の奇抜なデザインに驚きもし、また、夜間に放たれる光に"未来"を感じました。

アメリカ館で「月の石」を見るのに何時間も並んだり、各国のパビリオンを見て"世界"の大きさも感じました。
非常に思い入れのある博覧会です。

「人類の進歩と調和」がテーマでしたね。

次の大阪万博ではどんな未来を見せてくれるのでしょうか?






下御霊神社

2020年03月19日 07時16分00秒 | 日記
 下御霊神社は革堂行願寺の少し北側にある神社です。上京にある上御霊神社に対して南の中京にあるため下御霊神社と呼ばれています。





桓武天皇の御代に各地で疫病が流行し、これは御霊の祟りであると考えた当時の人々は貞観5年(863)、平安京に附属する神泉苑で御霊会が行われたのが上御霊神社、下御霊神社の創祀とされています。







説明板にあるように西側の正門は元は仮御所の建礼門とはいえ立派な彫刻が施されています。
このように皇室との関係も深く、御所の産土神(うぶすながみ)として崇敬されてきました。







ご祭神は桓武天皇の皇太子であった早良親王をはじめ八柱でいずれも政争に巻き込まれ非業の死をされた方々で、その御霊を鎮める為に創祀されたのが御霊神社です。



現在の社殿は天明の大火(1788)に消失し、仮皇居の内侍所の仮御殿を寛政3年(1971)に移築されたものです。
見た目にも屋根の傷みが進んでおり、修復の為の寄付を募られています。

最後に御朱印を授与して頂きました。











革堂(行願寺)

2020年03月18日 07時34分00秒 | 日記
 革堂行願寺は寺町今出川の南にある天台宗寺院でご本尊は千手観音さまです。





西国三十三観音霊場の第19番札所でいつも巡礼の人々で賑わうお寺です。

創建の歴史は古く寛弘元年(1004)、行円が一条小川の一条北辺堂跡にお堂を復興し、行願寺と名付けた事に始まり千年以上にわたり人々の信仰を集めてきたお寺です。





行円が仏門に入る前、狩猟で生計を立てていました。ある日、山で身ごもった雌の鹿を射たところ死んだ雌鹿のお腹から小鹿が誕生する様子を見て殺生の非を悟り仏門に入りました。
行円はその雌鹿の革を常に身につけていた事から皮聖とか皮聖人と呼ばれ、その事からお堂も革堂と呼ばれるようになりました。







境内には藤袴(フジバカマ)の鉢がたくさんあり、秋には参道に並べられます。



日本最古と言われる都七福神のおひとり寿老人がお祀りされています。





最後に御朱印を授与して頂き、近くにある下御霊神社へと向かいます。













御寺 泉涌寺

2020年03月17日 07時01分00秒 | 日記
 3月14日はJR東海「そうだ 京都、行こう。」のイベントで皇室の菩提寺として知られる泉涌寺を訪れました。





泉涌寺大門(重要文化財)に8時に集合で、泉涌寺執事長の渡邉さまから泉涌寺の歴史についてお話を頂きました。






門からの参道が下った"降り参道"を歩き正面にある仏殿で日本最大の涅槃図(縦16m、横8m)の絵解きをして下さいました。 



今まで阿難尊者は、お釈迦さまが亡くなられて嘆き悲しんでいるお姿だと思っていましたが、ショックで気を失っておられているお姿だと知りました。

次に舎利殿です。





お釈迦さまの仏牙(ぶつげ)舎利をお祀りしているお堂です。四つしかない仏牙のひとつが日本に伝来しているのは凄い事ですね!
韋駄天さまがお守りされています。
天井には京狩野の祖・山雪の龍図が描かれており、下で手を叩くと音が反響する"鳴き龍"になって響きます。
4度も試してしまいました!
今回特別に裏堂に描かれている韋駄天さまも見せて頂きました。
太陽光に当たっていないので色彩が綺麗に残っています。

次に御座所です。





御座所は、皇族の方々が月輪御陵(つきのわのみささぎ)、四條天皇から歴代の天皇の御位牌をお祀りする霊明殿に参拝される際の休憩所です。

昨年の秋に上皇さま、上皇后さまが退位のご報告をされた際、また、今年5月に新天皇さまが即位のご報告をされた際にもご休息所となりました。

上皇さま、上皇后さまが来られた時は"御座所庭園"が紅葉🍁の時期で上皇后さまは庭園を見られた瞬間「まあ、綺麗」とおっしゃられ、暫く見入っておられたそうです。  
それで予定を30分もオーバーされてしまい宮内庁、皇宮警察の方々はかなりヤキモキされたそうです。(沿道の警備、及び信号の制御など周囲は大変だそうです。)
こんなエピソードが聞けるのもお坊さまのご案内ならではです。





次に霊明殿に参拝します。
泉涌寺では庭園の撮影は可ですが建物内の撮影は全て禁止されています。
これは、泉涌寺へは皇族の方の参拝が多いので、建物の間取りや細部が詳細が出てしまうとセキュリティ面で問題があると宮内庁からの指導がある為だそうです。

以前に霊明殿が公開された際には奥まで行けたのですが今回も正面の一室だけの公開だけでした。

以上でイベントは終了です。
御座所の受付でお願いしていた御朱印を頂き境内を散策します。




霊明殿正面にある勅使門の前を通り月輪御陵に参拝し、泉涌寺を後しました。











次に「京都と光秀」展が行われている京都市歴史資料館(月曜日休館、無料)へと向かいました。










京都御苑の桜

2020年03月16日 07時35分00秒 | 日記
 3月14日の午後、京都御苑の桜🌸の開花状況を見に行って来ました。

堺町御門から入り、まずは出水の桜🌸へ。







出水の小川が流れる向かいに枝垂れ桜🌸があり、早咲きの桜として知られています。

どうでしょう?早くも7分咲き程だと思います。一年振りの桜につい見とれてしまいます。



馬酔木も綺麗に咲いています。

次に梅園です。








木蓮です。





次に毎年楽しませてもらっている近衛邸跡の糸桜🌸です。







多くの洛中洛外図にも近衛邸の桜は描かれています。





平野神社の早咲き桜"魁"も開花したそうです。
今年も開花が早いですね!

可憐で優雅で、そして精一杯咲く京都の桜🌸が楽しみです。